ONE

SS

〜永遠の盟約〜

 

 

誰だって、人は夢を見る。

夢の中で、時に笑い、時に泣くだろう。

それでも、夢は夢でしかない。

現実の世界とは、異なるものだ。

しかし時に人は、それ以上のものを夢から得ようとする。

苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、それらから逃げる為に。

もう一つの「現実」を創り、そこへ人は逃げるのだ。

少女は、その創られた「現実」をこう呼んだ。

『永遠』と―

 

 暗い、柔らかなまどろみの中で目を覚ます。

 どの位、眠っていたのだろう。

 ここが何処なのかなんて、考える必要も無かった。

 ここは、夢の中。

 そして、自分にとって現実の世界。

 しかし、思う。

 何処から何処までが、夢で、そして現実なのか。

 誰が夢を夢と、現実を現実と証明できるだろう。

 現実と思っている世界こそが、夢ではないと証明できるだろうか。

 時折思う。誰もが夢の中で生きていると。

 夢こそが現実であり、現実こそが夢だと。

 そう、人は夢の中でさえ、夢を見るのだから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章

『永遠』

 

「おはよう、やっと会えた。ずっと待ってたんだよ」

 朝なのだろうか、暗いこの世界では分からなかった。

 目の前から、嬉しそうな少女の声が聞こえた。

 闇の中で目覚めたばかりの自分には、目が慣れていないせいか少女の顔を確認することはできなかった。

 体に、不意に体に確かな重みと温もりを感じる。

 気付いた時には、眼前にかわいらしい少女の顔があった。

 少女は、正面から俺に抱き付いてきていた。

「ここがあなたの望んだ世界。今日からはあたしと一緒に暮らすの」

 嬉しそうに語る少女は、良く知った顔。その顔は大切な人のそれ。

 けれど違う。少女の時間は止まったままなのだから。彼女の中で、時間は流れていないのだから。

 少女は、『永遠』に少女なのだから。

「あなたの考えていることは分かる。でもね、それこそが『永遠』なんだもの。本当はあなたも分かってるはずだよ」

 少女は屈託なく笑い、語りかけてくる。

 時にその笑顔は、少女とは思えない妖艶さを醸しだす。

 それでも俺は知っている。彼女は長森であってそうではない。

 この世界に在って無いものだから。

 いいや、本当はそうではない。

 この世界が、在ってはならないのだ。

 少女は変わらず話し掛けてくる。嬉しくて仕方がないといった様子だった。

「あなたが忘れているのなら、私が思い出させてあげる」

 そう言うと、少女は俺の手を取り、右も左も分からぬような暗闇の中を駆け出した。

 少しの距離を走ると、少女は俺の手を離した。

 手を一杯に広げ、そして開き、くるりと回ってみせる。

 海も空も、風も音も、光も、影さえもない世界で。

 そんな世界に、光が突然流れ込んだ。

 本来、空があるであろう場所を見上げれば、そこには薄い雲がかかっており、雲間からは、さながらハープの弦のような光の筋が見てとれた。数多の光の筋の中の一つに俺たちはいた。

「ここには何もないし、何でもあるの。そう、あなたが望みさえすればね」

 思い出した? 笑いかけてくる少女を、見下ろしながら考える。

 本当は分かっていた。

 忘れるはずが無かった。

 忘れられるはずが無かったのだ。

 ただ、悲しすぎたのだ。

 目の前にあるものが。現実というもの全てが。当時の、小学生という自分には余りにも荷が勝ち過ぎていたのだ。

 俺は、瞳から溢れ出る『水』を止める事ができなかった。

 そう、これは『水』。『涙』なんかじゃない、そう思った。あまりに悲しすぎて、『涙』を流していると思いたくなかったのだ。

 自分の意識が少しずつ、弱まっていくのが感じられた。

(もっと、もっと自分を強く持たないと…)

 俺はここでも消えてしまう。

 この世界でも消えることなど有りえるのだろうか、思いながらも自分に言い聞かせる。

 理由などありはしない。ただ、そんな風に思っただけだ。

 けれどそれでいいのだ。理由にいかほどの意味があろうか。人間は理屈ではなく、感情で決断を下す生き物なのだから。

「大丈夫? 私はいつだってあなたと一緒にいるから大丈夫。心配しないで」

 少女は心配そうに言ってくる。

 違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。

 何故か言葉が、口から声が出なかった。

 俺は、声にならない声を、悲鳴を上げる。

 構わず少女は語りかけてくる。

「あなたは消えないから。だってここはあなたの世界なんだもの」

 少女は続けて言った。

「こっちの世界に来て、本当に全てを忘れてしまったのね」

 少女は、初めて俺に悲しい表情を見せると、そう悲しげに言った。

 俺は思い出す。捨てたはずの、捨ててしまっていた。遠い昔に置き去りにしてきたはずの過去を―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が俺に何かしたのだろうか。

 そんな風に思った。

 けれど、それは大した問題ではないだろう。重要なところはその点ではないのだから。

 そう、悪いのは忘れていた自分なのだから。

 溢れ出し、流れ始める過去の記憶。記憶の奔流。俺にとって、忘却したはずの哀しい記憶の流れ。

 大好きだった妹。自分になついていた、かわいい妹。父親はいなかったが、優しい母親。幸せだった。それ以上を望みはしなかった。

 いや、望むべくものが無かったのかも知れない、今思えば。

 きっと俺は、何かを手に入れるために、何かを捨てねばならないのなら、そのままがいい。そのままでいい。そう思っていたのだろう。

 少しだけ大人になって、初めて気付く。

 変わらぬものはない。流れ行く時の中で、何もかもが変っていく。

 少しずつ移って行く景色のように、いつかは自分も大人になる。

 どうして、分からなかったのだろう。

 続くと信じていた。永遠に続くものだと信じていた。

 妹が亡くなるまでは。

 死に逝く妹を前に、何もできない無力な自分。

 僕は良い兄でいられただろうか。何がしてやれただろうか、何かしてやれることがあったのではないか。

 常に自分を苛む自責の念。

 黒い服、黒い布に囲まれた葬式の中で。

 そこに顔を見せなかった母親。

 自分は捨てられた。幼い子供心にもそれが分かり、どうすることもできず、ただ苦しかった。

 何よりも、何も出来ない自分自身が。

 痛む心と、陰口を叩く参列者の声。

「可哀想に、捨てられたのよ」

「ここの奥さん、娘さんの葬式にも顔を見せないでねぇ…」

「不憫にねぇ、死んだこのコも、そこのコも。 父親だっていないんでしょう?」

 やめろ! やめてくれ!

 俺は堪らず悲鳴を上げた。

 優しさの欠片も無い、そんな同情など、見掛けだけの哀れみなどいらなかった。

 自分が余計に惨めになるだけだ。

 俺は、余りにも残酷な現実をこうして叩きつけられた。

 そして、耐えられなかったんだ。

「あなたができたのは、事実を、起きたことを否定することだった」

 不意に少女の声が聞こえ、現実に、いや現実ではないだろう。『永遠』の世界へと引き戻される。

 過去の記憶の奔流から。

「幼児期、少年期と呼ばれる頃、その頃に心に大きな傷を受けた場合、それはいわゆるトラウマになることが多い。そして、多くの人達はその傷を忘れるため、否定する。そんな事はなかったって。一般的にそれは多重人格を形成する傾向にあるのだけれど、あなたは違った」

 少女は、俺の目を真っ直ぐと見据え話した。

 身振りや手振りを交えながら。

 少女としての雰囲気は、そこにはなかった。歳の離れたお姉さんに諭されている、そんな不思議な感じがした。

「多重人格は一つ、又は複数の人格を形成し、その人格に辛いこと、傷を押し付けて、自分の傷を忘却する方法。でも、あなたはそうはしなかった。いえ、出来なかったのかもしれないね」

 少女の声は優しくて、余計に悲しかった。

 なぜ出来なかったのか、俺はもう分かっていた。

「俺は…何より自分自身が許せなかったから……」

 消え入りそうな、か細い声が、いつの間にか優しい白い光で包まれたこの世界に広がった。

 俺は膝を着いた。流れ出ている『水』は、いや『涙』はいまだに止まってはいなかった。

 頬を流れる『涙』が熱かった。まるで、心を焦がすようだった。

「そう、だからあなたは人格を形成するのではなく、否定したの。自分自身をね。否定された人格、心はそのままに体だけが成長を遂げた。何年も。けれど、そんな不安定なままでは、長く存在を継続しつづけることは難しかった。空気の入れすぎた風船のように、それはいつか割れて、壊れてしまうから。だから壊れてしまった後の心の行き場が必要だった」

 少女は静かに続けた。

「それが、俺が望んだ『永遠』の世界……」

 俺は震える声で呟くように言った。

「そう、思い出してくれてありがとう。ここには出会いがないかわりに、別れもないの。別れはあなたが一番嫌った事だから」

 少女の声は、冷たくは無かったが、決して暖かくも聞こえなかった。

 全ては自分の弱さが招いた事。全てから逃げ、否定した結果がこれだ。

 受け入れる事を拒絶し、かといって否定することもままならなかった少年が、自分が、間違いなくここにはいた。

「大丈夫、あたしはいつまでも一緒にいるから」

 少女は、手を優しく握り、微笑みかけてくる。

 そんな声は、手は、どうしようもなく暖かく感じられた。

 けれど、俺はそれを受け入れる訳にはいかなかった。

「だけど、俺は帰らなくちゃいけない」

 待って―

「待っている人がいるから?」

 俺は驚いた。自分が言おうとしたことを少女に先に言われたからだ。

「それじゃあ、あたしはどうでもいいの? あたしだって、ずっとあなたのことを待っていたのに、あたしを置いて行っちゃうの? ねぇ、そうなの? あたしを置いてどこかに逃げちゃうの?」

 潤んだ瞳と、涙声で訴えかけてくる少女。

 掴んでいた手は力なく離し、地面への力なく座り込む。

 その姿は、幼くてか弱い少女の間違いなかった。

 重なる情景。

 

―また私だけ置いて逃げちゃうもん―

「大丈夫…逃げないよ」

 とは言えなかった。

 俺は、また誰かを傷つけてしまうのだろうか。

 涙は、いつの間にか乾いていた。俺の涙は枯れてしまったのだろうか。

 俺は分かっていた。

 少女は、彼女は俺が作り出した過去の長森だ。

 いや、その表現は正しくないかもしれない。この少女は過去の長森を元に、俺が形成した一人の少女に過ぎないのだから。

 長森であって、長森ではないのだ。

 だから、俺の心と同じように少女のまま成長していない。

 だったら、俺は思った。ゆっくりと口を開く。

「君も一緒に行こう。俺が行くんじゃない。二人で一緒に行くんだ」

 座り込み、しゃくりを上げながら泣いてしまっている少女に、優しく手を差し伸べながら話し掛ける。

「え?」

 顔を上げながらも、状況が分かっていないのか、手をなかなか握ろうとしない少女。

 それでも、俺は辛抱強く待った。少女が、俺の手を握るのを。

 俺は手を差し伸べるだけ、それ以上のことをしてはならない。少女自身が、自らの足で踏み出さなくてはならないのだ。

 しばらくすると、それでも7、8秒だろうか。少女は俺の手を握り立ち上がった。

 俺は少女を優しく抱きしめる。頭を優しく撫でてやる。

 少女のしゃくり、泣くことからくる体の震えは収まったようだった。

「苦しかったな、寂しかったな。ごめんな、いままで一人にしていて」

 許してくれ、何てことは決して言わない。そんな言葉は少女を傷つけるだけだから。

 優しく少女に話し掛けた。俺は気付いたのだ。彼女は俺自身なのだと。

「ううん、あたしはいつだってあなたを感じていたから…あなたが来るって分かっていたから…」

 辛くはなかった。少女は言ったが、声は震えていた。

 悲しかったのだ、辛かったのだ。辛くないはずが、悲しくないはずがなかった。

 一人で、ずっと一人だったのだから。長い悠久ともいえる時の中で。

 少女は、心に空いた穴を塞ぐ術も知らぬまま成長を続けた、自分自身の姿に違いなかった。

「君が待っていてくれたように、俺のことを待っていてくれる人がいる。だから、一緒に会いに行こう」

 優しく囁きかける。

 彼女はずっと子供だったから…。なぜ気付かなかったのか、なぜ分かってやれなかったのか。

 一番渇望していたのだ。

 一番欲しがっていたのだ。それは、愛情という名の、優しさという名の温もり。

 それがなかったから、知らなかったから。

 出会いを、別れを恐れた。

 そこに優しさや愛情は確かにあったのに。

 手に入れることにより、それを失ってしまうことを恐れたばかりに触れることができなかった。

 ただ、泣きじゃくるだけだった。

 だから、だから優しく抱きしめてやる。自分がして欲しかったように。

 一人じゃない、それを実感できるだけの温もりを伝わるように。

 俺は、自分の心の中で泣きじゃくる少年の自分と、この少女に手を差し伸べなくてはならないのだ。

 俺自身がそうだったように。

 俺が、四ヶ月間の中で、現実の世界で学んだこと。

 出会い、別れ、優しさ、愛情。

 与えられる愛情を信じられず、踏みにじろうとした俺に、構わず愛情を与え続けてくれた長森。

 あいつには分かっていたのだ、俺が何に飢えているのかを。何を渇望していたのかを。

 今度は俺が与えねばならない。愛情と言う名の『永遠』。

「一緒に行こう、もう怖がる必要はないんだよ。出会いを拒否することはないんだよ。もし、怖いというのなら守ってあげる。泣いたりしたら、泣き止むまで隣で待ってあげる、どこにも行かないよ。俺はもう、君を否定しない」

「否定……しないの?」

 傍に…いてくれるの? わたしはいていいの?

 顔を上げ、訊いてくる少女。

「君はやっぱり分かっていたんだね」

 俺は言う。俺は悲しかった。少女は、初めからずっと気付いていたのだ。

「君は、俺に人格を形成しなかったって言ったけど、それは違う。君自身が、形成された人格そのものだったんだ。だから、俺は辛い過去を忘れることができた。それで永遠への、ここへの邂逅が近づくにつれて、君を感じれば感じるほど過去を思い出した。辛い事ばかりを…。それは君に辛い事だけを背負わせてしまったから。俺が多重人格にならなかったのは、自身を否定したからじゃない、君を否定したからだ。自分から切り離したからだ。消滅させることはできないから、過去を否定することができても、無かった事にはできないから、だから切り離すしかなかった。それで、君は俺がいる以外の世界に存在する必要があった。それが…この世界だ」

「なら、ならどうして、どうして私にそんなに優しくしてくれるの? 辛い事を思い出すだけなのに…」

 少女は、戸惑いながら言った。

「君は俺だけど、俺じゃないんだよ」

 俺は確信していた。

 永い刻の中で、彼女は独立した存在としてこの世界で確立していた。

「君は、俺である前にか弱い一人の女の子なんだよ。今まで、本当にごめんな」

 心の奥底から謝罪する。

 全て俺が悪かったのだ、今はそう思える。

 少女は泣いていた。

 俺の胸の中で。

 永遠という時の中で。

 優しさ、愛情という温もりに包まれ。

 今度は違う。否定をするためじゃない。多くのことを、全てを受け入れるために涙している。

 一人で苦しいのなら、分かち合えばいい。

 俺は一人ではない。

 この少女に、何もかも背負わせるわけにはいかない。

「君は、俺に辛い過去を押し付けて消えることをしなかった。それはどうして? しようと思えばできたはずなのに」

 俺は少女に一つの問いをする。

 少女は泣きながらも答えてくれる。

「あたしは知っていたから、浩平が本当は誰よりも優しいことを…。孤独という寂しさの中でも、気丈に振舞おうとしてたことを…。誰よりも、辛い事を背負っていることも。だから、あたしが犠牲になることで、浩平が幸せになれるのなら、それで構わないと思った。少しでも浩平の力になりたかった。でも…結局こうして浩平を呼んでしまった。ごめんなさい、浩平…」

 きっと少女の言葉に嘘は無い。

 少女の言葉が胸に痛かった。

 どうして、俺は否定していたのだろう。自分で作り出したくせに、作り上げたとたんに否定する。勝手だ、あまりにも勝手すぎる。

 こんなにも……こんなにも彼女は俺を思ってくれていたのに…。

「優しいんだな、みずかは」

 本当に優しいのは、俺なんかではない。

 この少女だ。

 孤独の中で。何もないこの世界の中で。ずっと少女は、俺を思ってくれていたのだ。

 うわぁぁ〜ん。

 初めて名前を呼ばれた少女は、声をあげて泣き始める。

 泣けばいいのだ。いままではずっと我慢してきたのだから。もう、我慢する必要は無い。

「泣けばいい、思いっきり泣けばいい。泣き止むまでずっと側にいてやる。いや、これからはずっと一緒だ。みずかが泣き止んだら、そうしたら一緒に行こう」

「いいの? 本当にあたしも行って?」

「ああ、いいんだ。だめなもんか。もう、こんな世界は必要ないんだよ。この世界がなくなるんだから、みずかがここにいる必要も、もうないんだ。だから二人で一緒に行こう」

 流れる涙も気にせず、訊いてくる少女のみずかに、そう答えてやる。

「だって、俺達は―」

 俺はみずかを優しく抱き上げる。指で涙を拭ってあげる。

 指に、確かに涙の温もりを感じる。

 瑞佳はゆっくりと頷いた。

俺は瑞佳の額にかかっている髪を優しく手でどけると、ゆっくりとくちづけをした。

 唇に確かな温もりを感じる。

 少女の、瑞佳の顔がゆっくりと紅潮するのが見てとれた。

 

だって、俺達は―

 

永遠の盟約を交わしたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来も 過去も 今も無く

時だけが刻まれる世界で

俺たちは一つになった

古き約束にさよならを

果たされし 盟約にさよならを

新しき盟約は結ばれる

それは『永遠』に続く盟約

 

 

そう、それは『永遠の盟約』―

 

 

to be continued

 

 

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