『お姉ちゃん、授業参観にやってくる!』

 

 おかしい。

 何かがおかしい。

 具体的に言うと、教室を覆っている空気なんだが。

 親父が亡くなって以来、授業参観など俺には関係なかったはずだ。

 いや、藤ねえが昔。

「私は士郎のお姉ちゃんだからねー」

 などと言いながら来た事が一度あったような気もする。

 しかし、今そんなことはどうだっていい。現在藤ねえは教壇で鞭を取ってるし。

 だと言うのに何なんだ、この周囲の刺すような視線は。

 ちらっ。ちらっ。

 気まずい。いや、気まずいを通り越して視線が痛い。

 だというのに。

 「シロウー、お姉ちゃんが来てあげたわよー」

 などと、のたまわりながら、視線の原因は教室の後ろで手まで振っている。とりあえず、俺はせめて視線を合わせない。

 彼女の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。俺のことを好いてくれていて、それ自体はとても嬉しいのだけれど、問題は彼女と呼ぶのは大いに躊躇われる、イリヤの幼すぎる外見である。

 このままの状況では、明日から学校内での俺の株は大暴落間違いない。

 この時点で既にクラス内に置いて、俺の価値などバブルが弾けた後の土地の値段くらいに下がっている気もするがそれは言うな。

 そんなの、俺自身が一番良く分かっている。

 だがしかし、そうかお姉ちゃんだから来たというのなら、理屈は藤ねぇと一緒だ。

 確かに姉弟と言えばそうだ。むしろ俺の養父が切嗣で、イリヤの実父が切嗣だというのなら戸籍上義理とはいえ姉弟に当たるだろう。

 なーんだ。なんてことないジャン♪

 と能天気に、自分の説得を試みるが。

 『理性第一班、却下であります。同じく第二班却下です。第三班却下ですぅ。第四…(以下略)』

 ダメだ、脳内会議で全面的に否決である。自分を説得しきれません。

 そもそも、クラスメイト達にイリヤがお姉ちゃんだと説明するのに無理がありすぎる。

 ちらりと後ろを伺う。視線が合う。

 にぱ、と花が咲いたような笑顔でぶんぶんと手を大きく振るイリヤ。

 うわ、可愛い。

 その様はどう見ても小学生にしか見えないが、犯罪的に可愛い。

 『本能第一班、可愛いに賛成。なんの問題もありません! 同じく第二班賛成です。第三班賛成しかありえません! というか萌えです! 第四…(以下略)』

 まてコラ! 多数決って言うか、全員一致かよ! しかも三班、萌えとか言うな。

(衛宮…、まさかかように堕落していたとは…南無ー)

 うわ、一成まで合掌とかしながら俺を蔑んだ目で見てるよ。ていうか、何かお前の心の声が聞こえるんだけど。俺の気のせい?

 イリヤの言葉を聞いた教室内が、「ざわざわ」と表現されるであろう音に覆われる。

 

 おい、お姉ちゃんとか言ってるぞ。

 お姉ちゃん?

 衛宮って一人っ子だろ?

 いや、ていうかそもそもさ―

 

 そんな会話をして後ろをゆっくりと振り返るクラスメイト達。

「アレはどうみても…」

『小学生だよなぁ』

 いや、ハモらなくていいから、君達。

 ていうか、その「じとーっ」って擬音語が聞こえてきそうな視線を向けるのをやめてクダサイ。

 

 まさか衛宮がなぁ…。

 衛宮くんがねぇ…。

 

 疑惑に満ちた目で俺を見るクラスメイト達。

 何だ、一体俺が何をしたっていうんだ!

「ロ○コンだったなんてね…」

 ぐはっ!

 挙句には、隣の席のクラスメイトなどは。

「犯罪だぞ、衛宮。幼女はやめとけって」

 とか言い出す始末。うるさい、ダマレ。

 血潮は鉄とはいえ、心は硝子な私。

 思わず心が砕け散りそうだよ。

 違う○リコンじゃない、俺はそういうのと断じて違うぞ。

 思わず『無罪モラトリアム!』とか叫びたくなったが、授業参観の中いきなり叫ぶわけにはいかないので、心の中で絶叫しておいた。

 当然だが、この状況は果てしなくマズイ。なんとか誤解を解かねばなるまい。

 しかし、どうやってこの状況を乗り切ればいいんだ! くそ、こうなったら。

 助けてふぁーざー。

 俺は心の中で今は亡き親父に助けを求めてみる。

 脳内親父は、生前見たこともないような笑顔で。

『士郎。漢はねフェミニストじゃなきゃいけないんだよ』

 キラン、と歯が光る。

 いや、意味わかんないから。

 脳内親父が役に立たないことが判明したので、他に助けを求める。今の俺は完全にテンパっているのだ、早急に誰かの助けが必要だ。

 そうだ!

 助けてししょー。

 と、今年から同じクラスになった魔術の師匠である遠坂に子犬のような視線を向けて助けを求める。

 ところが。

「くっ、くく…」

 笑ってる。笑ってますよ、アノ人。必死に腹を抑えて、全力で面白がってますよ。本当にあの方は私のお師匠さまなのですか?

 などと自分に突っ込みを入れてみたりするが、そこで一つの疑問がようやく浮上した。

 なんでイリヤが授業参観を知ってるんだ?

 余りにもテンパってるもんだから、そんなことに今更気が付いた。

 普段から 「この悪魔っ娘ー!」 と言いながら、微笑ましいながらも戦いを繰り広げている藤ねえが教えたとは思えない。

 チラリと藤ねえに視線を向ける。

 いや、そもそもなんか藤ねえもこの状況に固まってるし。

 頼むから授業してくれ、藤ねえ。そろそろこの空気に耐えられそうに無いから。

 しかし、だとすると誰だ? 桜だろうか? いや、それはないだろう。

 むしろ、嫌がらせという点では美綴のほうがまだありそうだ。

 以前、弓道部にイリヤを連れて遊びに行ったときに散々からかわれたからな。笑顔の美綴に。

 このロリ○ンめ、とな。

 いや、だからそんな視線を俺を見るな皆。

 違うってば。違うんだって。断じて俺はロリコ○ではない!

 だが、そんな俺の思いとは裏腹に相変わらず「じとーっ」という擬音語が聞こえてきそうな視線を向けるクラスメイト達。

 ふっ、皆の愛が痛いぜ。などと皆の熱視線を好意的に解釈し、少し現実逃避をしてみる。

 無論、何の慰めにもならなかった。

 ていうかむしろ、仲間を見つけた! っていう表情で見つめてきてる人とかいて、痛すぎるんですけど。

 

 きっと、長い間一人暮らしで大変だったのよ…。

 え? でもよく藤村先生が。あっ、逆にそれで心労が溜まって…。

 いつも藤村先生の相手をしてるんだもんね…。

 衛宮、大変なんだな…。

 衛宮くん、大変なのね…。

 ロ○コンになってもしょうがないのかもね…。

 

 いや、藤ねえも心労の一つの原因ではあるけど、本当に○リコンじゃないんだってば。

 「じとーっ」というクラスメイトの視線。

 ……うん、多分、きっと。…だと、いいなぁ。

 なんか、だんだん弱気になってるんですけど俺?

 しかし、今はそんなことに思考を割いている場合ではないのである。俺は自身に言い聞かせて、思考を現実へと舞い戻らせる。

 犯人は誰だ? 藤ねえじゃないのならやっぱり。

 ここは、やはり美綴あたりか。

 あっさりと結論に辿り付く。いつ教えたのだろうか? などという疑問も沸くが、犯人は美綴しか考えられまい。

 視線をさり気無く美綴に向ける。

 美綴りは笑いをかみ殺しながら、ん? という視線を返してくる。

 お ま え か ?

 口パクで尋ねてみる。

 いや、例え犯人だとしても素直に自供するかどうか怪しいものだが。

 くくっ、っと笑いながらも美綴は明後日の方向をさり気無く指差す。

 俺の明日はどっちだ。というかあるのかどうか今となっては、「オレオレ詐欺」など比較にならないほど怪しいものだが。

 美綴の指の先には涙すら零しかけている(笑いすぎでだ)、先ほどのお師匠さまがいらっしゃりやがった。

 遠坂はゆっくりと声を出さずに口を動かす。

 わ た し。

 お前かよ!!

 全力で心の中でそう突っ込んだその時だった。

 バン!

 藤ねぇが教壇を出席簿で叩いた。

「もう、授業になりません!」

 そうだ、いいぞ藤ねえ。俺を助けてくれ、もう一人のお姉ちゃんよ。

「そこで先生から一言」

 お、何だかこの場を打開してくれそうだ。

 うんうん、今ほど貴女を頼りにしたことは無いような気がするよ。思わず、明日からは貴女をお姉ちゃんと素で呼んでしまいたいくらいだ。

「何なのよ全く、大きな声を出して。タイガったら全然淑女じゃないんだから」

 などと後ろでのたまわっている、お姉ちゃんという名のロリっ娘をどうにかしてくれ。主に俺の未来が危ういので。

「そこのロリっ娘!」

 ビシッ、という擬音語が思わず聞こえそうな勢いでイリヤを指差す藤ねえ。

 おぉ、何だか凛々しくすら見えるよ。でも、公の場でロリっ娘という発言もどうかと思うよ。

「何よ、タイガ?」

 などと聞き返すイリヤ。腰に手を当てて、むんと無い胸を張る。頬なんかも膨らませて、えらく挑戦的である。その様子は、子猫やリスも真っ青なくらいの愛らしさを醸し出している。

 うわ、可愛い。

『本能第一班賛成。同じく第二班賛成です。第三班賛―』

 やかましい、もうええっちゅうねん。

 脳内会議の採決を待たず、会議そのものを却下する。

 イリヤは自分がどういう事態を引き起こしているのか、自覚などないんだろーなーと思っていたが、本当に自覚など全く持ってゼロのようだ。

 うむ、ここはビシっと言ってやってくれ藤ねえ。頼りにしてるぞ。

 さっきから、クラスメイトは愚か、他の保護者様方の視線も痛いんで。

「それに士郎!」

 今度は俺に指を差す藤ねえ。

 何故そこで俺がでますか?

 それに、苗字じゃなくて名前で呼ぶのかよ。それは先生としてどうなんだ、とか思ったが。

「廊下に立ってなさい!」

 っていうか俺も同罪かよ!

 全力で突っ込みを入れされて貰った。

 タイガー化した藤ねえを、一瞬でも頼りにした俺が馬鹿だったということだろうか。

 ここまでくると最早、神頼みしかないだろう。

 そういえば「神は死んだ」とか言ってた哲学者がいたよなー、とか思いながらなんとなく天を仰いで見る。

 神託とばかりに脳内に流れ込んできた映像は。

『ふむ、それを言ったのはニーチェだな。確かに神は死んだのかも知れぬ』

 麻婆豆腐を貪りながら、そんなことをのたまわる言峰だった。

『水などいらぬ! 立ち止まるな、駆け抜けろ! お前はロリ○タ世界の新たな守護者となれる器を持つ逸材だ』

 ダ マ レ、やかましいわい! 麻婆の海で溺死しろ、言峰。

 頭の中から、さっさと麻婆神父を追い払う。が、

「ほら、早く廊下に出る!」

 藤ねえに怒られた。

 どうやら世間的に価値が大暴落した俺には、天を仰ぐ自由すら与えられないらしい。

 そもそも、上見上げたって教室の天上だけどな。

 

 

 かくして授業参観日に廊下に立たされるという、珍事に巻き込まれた俺だったが。

 ぶっちゃけ、二年のクラス達から窓を通してその光景は丸見えであり、イリヤと共に廊下に数十分も立たされるということは、この上ない羞恥プレイであった。

 時折、ちらちらと見に来る保護者の方々と二年生達の視線は好奇心を通り過ぎて哀れみすら含んでおり、すげぇ悲しくなった。

 そんな中で唯一の救いだったのが桜だ。

 桜の教室とうちの教室は、間に廊下と中庭を挟んで向かい合っている。

 桜は俺のこの様子を見ると、最初は驚いたようだったが、状況を察してくれたのだろう、大変ですねと言うように苦笑した。

 思いやりの心が暖かい。すごく癒されるよ。

 ありがとう桜。俺の心のオアシスはどうやらお前だけみたいだ。

 そんな風に、視線で桜と会話を交わしていたのだが。

「ほーんと、タイガって短気ね。そもそも何に怒っていたのかしら、ねぇシロウ?」

 あんなんじゃ、きっと嫁の貰い手もないわね。

 なんてある種の爆弾発言をかましながら、全く事態を理解していないイリヤが腕に抱きついてきた。

 思わず振り返る。

 そういう行動が事態を悪化させているんだよイリヤ。そう言いたかったが、瞬間もの凄い悪意のこもった視線を感じた。

 ぎぎぎ、と音がしそうなぐらいゆっくりと向かいの教室に顔を向けると。

 般若もかくや、という表情の桜がいた。

 こわっ! 

 マジでなんか殺られそうである。

 と思ったのだが、一瞬の後には、これでもかといわんばかりの素敵スマイルな桜がそこにはいた。

 うむ、正に春に桜が咲いたと言わんばかりの笑顔だ。さっきのは気のせいだったんだな。本当、桜の笑顔は心が洗われるね。

 ところがどっこい。

『先輩。鼻の下が伸びてますよ(怒)』

 とマジックでメッセージを書いたノートを窓越しに見せられた。そのままの素敵過ぎる笑顔で。

 桜さん、怖いですー。

 ちなみに記しておくが、桜の席は一番窓際であり、後ろから二番目だ。

「ん、どうしたのシロウ。何か顔がひきつってるけど?」

 イリヤは俺の視線を追いかける。その先に桜を見つけると。

「ふふん♪」

 何て悪魔っ娘に相応しい、素敵過ぎる笑顔で笑ってみせて。

 ギュッっという感じで、俺の胴体に思い切り抱きついて見せた。

 その時の桜の表情をどう言い表せばいいのだろうか。俺の気のせいでないのなら、漫画に出てくるような怒りマークが顔中に浮かんでたね。

 授業が終わるまでの間、桜は何度かノートにメッセージを書いて俺たちに見せてくれたが、メッセージは次のようなものだった。

『イリヤスフィール、コロス』

 桜さん、表現が直接的過ぎると思います。

 あぁ、桜は平和の象徴だったはずなのに…。

 席が後ろの生徒が怪訝な表情で桜の行動を見ているが、最早そんなものはどうでもいいらしい。これでもかというくらい思いっきりメッセージをこちらに突きつけてくる。

『先輩も覚えておいて下さいね(笑)』

 その(笑)が逆に怖いんですけど。

 こちとら血涙とか流せそうな心境ですよ。

 ちなみに、イリヤはそんなメッセージを全く意に介さず俺に抱きついたり、手を握ったり、腕を組んだりを、桜の方を見ながら繰り返していた。意に介さないどころか、はっきりいってワザとである。

 桜の中には、それを見る度に殺意という名の魔力が流れ込んでいっている気がした。

 どうやら桜という名の、俺にとっての心のオアシスは既に枯渇してしまったっぽい。

 代わりに桜からは怒りが温泉のように湧き出ているようだけどな。

 キーンコー、と終業を告げるチャイムが鳴り始めた瞬間、イリヤの手を引いて鞄すら持たずに脱兎のごとく学校から逃げ帰った俺だったが(身の危険を通り越して、命の危険を感じたためだ)、ハァハァと息を切らしながら、外見が小学生の少女を高校三年生の男子が手を引きながら走っていたのだ、世間のオバ様方がどのような目で俺を見ていたかは推して知るべし。

 俺もう、堂々とお天道様の下を歩けないよ。うわーん。

 日が暮れた頃、仕方なしに家へと帰ったが(イリヤを連れた状態で、どこかに泊まるアテなどあるはずがない)、その晩に顔を真っ赤にした桜とタイガー化した藤ねえにこっぴどく搾られたのは言うまでもない。

 ちなみに師匠改め、赤い悪魔こと遠坂凛さんはそれを見て横で楽しそうに笑っていやがりました。

 そんな師匠を横目で見ながら、思わずスタッフサービスとかに電話したくなったのだが。

 『女の子を泣かせちゃいけないよ。後で損するからね』

 なんて、脳内親父は素敵な笑顔で、親指まで立てながらのたまわった。

 いや、泣かせてないし。

 泣いているのも、損しているのもむしろ俺だよ。親父、ちゃんと聖杯は破壊したから成仏してくれ。

 ねぇ、神様。俺、なんか悪いことしたかな?

 ぼろぼろになった体で布団に倒れこみながら、そんなことをいるかどうか分からない神様に尋ねてみた。

 とりあえず、神が死んだかどうかはさて置き、衛宮士郎は冬木市深山町に置いて社会的に死んだような気がした。

 

 

 

 

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