名残月 ―分水嶺補遺―

 あれは秋のはじめ、まだ昼間の暑さの残る頃だったと覚えている。母は、その
頃家事の手伝いに通って来ていた婆やを連れて秋祭りの縁日へと出かけた。いつ
も帰宅が九時過ぎになる父の晩飯のために八時前に早々と戻った母は、留守番を
していた自分の前に土産の甘栗を出して、机の上に広げた書物の活字を妨げない
位置にそっと置いた。母が出る前に用意されたこちらの分の飯は既に片付けてい
たから、一言礼を言っただけで再び活字に目を落とし、その紙袋を傍らに押しの
けた。例のごとく、弟はこの時間には不在だった。台所に向かった母の様子がい
つもと違うことが気になり、あとを追った。流しの前にうずくまったその姿に駆
け寄ると、母は青い顔を上げて弱々しく笑ってみせた。
 あくる日、父は仕事を休んで母を病院へ連れて行った。弟は付いて行くと言っ
て聞かなかった。悪戯を繰り返して母の手を焼いてばかりいたあいつには、そう
いうところがあった。父の一喝で渋々登校用の鞄を手に取ったものの、何か口実
を作って早退することは間違いなかった。その点は父も母も同じことを考えてい
ただろう。その行動力は、明らかに私には無いものだった。
 病人の容態はよいとも悪いともつかないうちに、年は暮れてしまう。私は一休
みする間、父から休んでいるようにと厳しく言われていた母の傍に付いて、話し
相手になっていた。母は弟のことを尋ねた。鶴来屋の人たちの手伝いを拒んで、
不器用な手つきでひとり障子の張替えをしていると答えた。母は苦笑めいた含み
笑いを漏らした。その笑みで、それが去年までの母の仕事であったことに気づいて、
私も一緒になって笑った。
 年も明け、空気も緩むにつれて、病人も少しづつ良くなる。陽気の縁側に千代
紙を持ち出しては飽きもせずに折り鶴を並べたり、曇った日には床の中で手作り
の人形に合う着物を縫ってみたりする。母は医者の気休めの言葉から、慢性的な
貧血であると信じたらしい。往診に来たときに父が確かめると、もう一度年が越
せれば僥倖とのことであった。
 にもかかわらず、少しづつよい。夏の夕べ、父が家族で海へ行こうと言うと、
母はたいへんに喜んだ。父は母を支えるようにすぐ側に付いて歩いた。弟はかな
り先を歩く。なにもこんな日にまでああいう態度をとることは無いじゃないかと
父は不機嫌そうに言った。母はそっと父の背中に手を当てて、あの子らしくて良
いじゃあありませんかと言った。母の入院はあと数日の後に決まっていた。
 時節柄、他にも幾らかの人がいたが、浜の夕日に母は満足したようだった。こ
こは、まだ子供だった時分、幼馴染でもあった父との遊び場であったらしい。何
十年も前の思い出話を照れくさそうに相手している父に気を遣って、私はそっぽ
を向いていた。母は一組の家族連れに小さな女の子がいるのに目を留めて、もう
ひとりくらい、あんな女の子が欲しかったわねと言った。
 波打ち際に向かって歩いていた母が、突然しゃがみこんだ。父と私とが慌てて
駆け寄る。母は苦笑しながら、花火の燃え殻を手に、私たちが子供の頃は、こん
なものはみんなちゃんと持ち帰ってたのにねと言った。いつの間にかすぐ近くま
で駆け寄っていた弟は、一瞬ほっとしたような表情を見せた後、また離れたとこ
ろに歩いて行った。母は幸せそうだった。
 そんな母も今はない。弟は遠くの町に出て行ってしまった。父は先年、母が入
った墓を家族みんなが一緒に入れる大きなものにつくり換えた後、自分もその中
で眠りに就いた。温泉客は増え、鶴来屋は大きくなり、それにつれて浜の汚れも
目立つようになった。母が望んだ女の子は、彼女にとっては孫という形ながら、
四人も授かった。今年の七月、この四つの笑顔を引き連れてこの浜を訪れた。あ
の母に年毎に似てくる一番上の千鶴は、中学に入ってから、年頃の娘の例に漏れ
ず、父である私と距離を置くようになった。このときも妻の横で妹たちの姿を楽し
そうに眺め、それでいながらこの私と視線が合うと、恥ずかしそうに目を伏せて
しまう。母が病床で気紛れに作ったあの手作りの人形の容貌にどことなく似てい
る三番目の楓は、私がすることに習って、砂に埋もれた花火の燃え殻を飽きもせ
ずに拾っては、そのたびに私に手渡してくる。その幸せそうな笑顔が母の面影に
重なる。私はその罪のない横顔に見入って、あの母のあらゆる短所と長所、人の
良さや包むような優しさ、その全てが遺伝しても差し支えはないが、ただその終
わりの悲惨であった彼女たちの祖母の運命だけはこの娘たちに繰り返させて欲し
くないものだとしみじみそう思ったのである。




 名残月 ―分水嶺補遺― 完 (初出:にわか書店、2001年11月)

 

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