度重なる近親者の死を契機に相次ぎ精神病様の障害を発症した二症例

北里 一郎[a, b], 梅津 襄[b]
a: 隆山市民病院精神科, b: K大学医学部精神科学教室      

「症例1:女性 初診時16歳/診断:分類不能の人格障害」
 Aは同胞4名中の第3子であり、共通の父母を持つ同胞は、症例2の長女(B)を含め、全て女性である。Aたちの父は地元中堅企業の経営者であったが、X-8年、配偶者とともに自動車事故によって他界した。その後、症例の父親の実弟である叔父が、その妻子と別居する形で、両親を失ったAたちの保護者となったが、X年8月、その叔父も同じく自動車事故で死亡した。叔父の死から1ヶ月後の入院時には、Aは他の同胞および叔父の一人息子である従兄と同居していた。X年9月、Bと従兄の婚約がAたちに伝えられ、その夜、ささやかな祝宴が自宅で開かれたが、その直後、Aは自室で衝動的に自傷行為(wrist cutting)を行い、隆山市民病院救急外来に運び込まれ、そのままICUで入院となった。身体的には、後遺症が懸念された左手の機能も早期にほぼ回復した。入院後3日、救急科より同院精神科に紹介があり、北里が精神科主治医となった。今後の精神的サポートが主な依頼目的であった。Aは元来寡黙であり、近親者にも心情を語ることは稀であったが、自傷行為のタイミングから考えて、AがB乃至従兄に対して何らかの特別な感情を抱いていることは疑いがないと考えられた。Aの入院中、BはAの入院期間中一度も見舞いに訪れなかったが、従兄は一度だけ、Aの一学年下の四女とともに入院後まもなく当病院を訪れた。その際Aは、手首の包帯およびガーゼを自ら外し、まだ塞がらない傷口を誇示するように見せた。この行動に関して、Aは主治医に「兄になる人ですから、全てを知ってもらいたいと思いました」と語った。一方で、入院当初から希死念慮が継続しており、時折訪れる「耐え難い不安感」から、入院中幾度か橈骨動脈を切断して大量出血させたが、やがて自傷行為はエスカレートし、点滴用針を胸部に根元まで刺し、画像上、針先が心筋に達していることが確認されたため、心臓外科で開胸手術を施された。普段は礼儀正しく、治療スタッフの指示にも素直に従っていたが、面接の深まりとともに、怒りや攻撃性といった感情が一切表出しない不自然さが主治医には感じられ、自傷行為によって自己完結的にしか表現できないAの病理の深さが推し量られた。またそれゆえに、従兄が見舞いに訪れたときの行動の特異性が浮き彫りとなって治療者に印象付けられた。Aの自傷行為のたび、四女が昼夜を問わず駆けつけて甲斐甲斐しく身の回りの世話を行ったが、その行為によってAの孤立感の軽減に顕著な効果が認められたため、面談に2ィいて可能な限り面会に訪れてもらえるよう依頼した。四女はこの言葉を忠実に守って連日Aの面会に訪れた。四女の負担も少なくなかったが、この時点でAとBの距離を縮めることは弊害が大きく自宅療養は望ましくないとの四女の希望もあり、入院をしばらく継続することとした。この頃、主治医がAに家族のことについて語るよう促すと、両親が存命していた幼少の頃のことを淡々と語った。日頃と同様の無感動な口調にもかかわらず、その内容は、Bおよび従兄を含めた全ての家族に対する肯定的な感慨に満ちており、Aがその当時に対して強い郷愁を感じていることが明らかとなった。Aは入院から1月以上が過ぎても自分の退院の時期については興味を示さなかったが、X年11月、面会に来た次女の口から、Aに深く同情する四女に対して、Bからの風当たりが強くなっていると語られ、それが原因でAは退院を強く希望するようになった。四女が体力的、気力的にかなり消耗していること、唯一中立的な立場の次女はやむを得ぬ事情から出掛けがちなことなどを考慮し、同月、試験外泊を経て、自宅からの通院による治療に切り替えた。次女と四女がうまく緩衝役を果たしてAの自宅への復帰は比較的円滑に進んだが、AはBや従兄との接触を避ける目的から、ドアを鍵付きのものと取り替えた。その後、X+1年4月頃より、Aが受験を控えて本格的に学業に向かい、次女および四女の尽力によってBとの接触の機会も減少した。X+2年3月、Aは大学進学に伴って遠隔地に住むことになったため、治療者との治療関係は、転居先の医療機関に対する紹介状を書くことを以って終結した。



「症例2:女性 初診時23歳/診断:急性PTSDおよび解離性障害」
 Bは同胞4名中の第1子である。Bは次女以下とは幾分か年が離れており、仕事の多忙さから不在がちな父親の代わりに、専業主婦であった母親を補佐する形で妹たちへの親性の一端を担っていた。しかし、X-8年に両親が、X年8月に叔父が相次いで死去したことに伴い、3人の妹を一人で支え、また事業に関して責任を負わなくてはならない立場となった。X年11月、Aの退院と入れ替わるように、Bの婚約者である3歳年下の従弟に付き添われてK大学病院精神科に来診した。Aの自殺未遂をきっかけに、不眠、悪夢(B自身が家族一人一人の命を奪う)、パニック発作などが出現する、などが婚約者の口から語られた。婚約者は発言のたびにBに同意を求め、Bは場の雰囲気と解離した笑顔でその都度頷いた。婚約者には発言を控えてもらった上で、主治医は入院を勧めたが、Bは婚約者に縋り付いて激しく拒絶したため、原則週1回、45分の面談による治療を行うこととした。その際、主治医(梅津)はAの主治医と綿密な連携の下に治療計画を立てることを提案し、Bおよび婚約者の同意を得た。当初、Aの自殺念慮とBとの関係の抽出に焦点が置かれたが、その過程でBのみならず、Aおよび他の同胞にも共通した慢性的な外傷履歴が明らかになった。X-10年、Bたちの祖父の死を受けて跡を継いだ父親は、事故死の数ヶ月前より事業上のトラブルが原因で塞ぎ込み、時には器物に対して当たり散らすこともあったという。Bは両親の事故死について、父親の行動のことで運転中に口論となったことが原因ではないかと語った。両親の結婚も母方の親戚からは祝福されておらず、また父方の親戚である叔父一家は遠方にいたため、両親との死別直後には親戚の庇護を受けられなかった。更に父親の事業の譲渡問題なども絡み、Bおよび同胞に「耐え難い心理的苦痛」が覆い被さったが、まだ中学生であったBは妹たちの保護者として振る舞わねばならない立場のため、悲しみの感情さえ表出できない状況で1箇月近くを過ごした。その後、叔父がそれまで勤めていた会社を辞め、単身赴任の形で亡き兄の事業を継ぎ、それとともにBたちの保護者となった。叔父はBたちに非常に同情的で、Bたちも叔父に打ち解けて接することが出来たが、叔父が別居中の家族を一番大切と考えていることが時折感じられ、そのためBは親の愛情に飢餓感を感じていた。その叔父もやはり事故によって死去したが、その死をBは「(私たちの)家の人間にとっての運命」であると感2カたという。主治医との面談のために来院した次女によれば、Bたちの家は地元では有数の名家でありながら、狂気の血統があるという噂が古くから広まっており、両親や叔父の死もその延長として語る人がいる上、両親の結婚が母方の親戚から祝福されなかったのは、やはりそれが原因であるとのことであった。また婚約者の話によれば、Bが叔父の変死の後に会社を継いだことから、参考人として警察から事情聴取を受けたことが語られた。このように、初診から数ヶ月が過ぎた時点で、面談におけるテーマは、Aにまつわる外傷体験およびB自身の問題から、両親あるいは叔父の死、更にBたちの家に対する差別体験にほぼ移行した。それまでは婚約者が必ず同伴していたが、この頃から一人で通院するようになった。Bは婚約者に関して、この数ヶ月をただ一人で支えてくれたことに感謝していると述べた。主治医が、今も悪夢を見るかどうか尋ねると、Bは肯定したが、「(たとえ現実で実行しようとしても)必ずそれを止めてくれる人がいることに気づきました」と言った。その後、進学に伴うAの別居の際に動揺があったものの、大事に至ることなくやり過ごした。その後、Bは家族の支援の下で徐々に家事を行うようになり、徐々に発症以前の水準にまで回復しつつある。



I. 複合型PTSD ―Aの精神病理―

 次に何が起こるか予測できない緊張した空気の中で生活していることは、慢性的な苦痛をもたらし、それを否認しようとする努力は心的外傷として心に焼き付けられる。こうした外傷は成人にとっても耐え難いものであるが、まだ自力で生きることの出来ない自我の成熟途上にある子供は、より強烈に外傷に暴露されることになる。そうした子供において、思春期以降に複合型(複雑型)PTSDの発症を見るケースは少なくない[1, 2]。
 二症例が精神科を受診するきっかけとなった症状の直接の発症原因は非常に明確である。しかし、表面的に明確な症例ほど往々にしてその根は深いことは、多くの臨床家にとっては経験の知るところであろう。二症例は、家庭内での父親の直接的あるいは間接的な暴力、両親の事故死、その後の事業の相続に絡む政治的な問題等で外傷体験に反復的に曝され続けた。これらの経験は二症例の人格形成に多大な影響を与え、やがて治療を必要とする形で自我表出せざるを得ない原因ともなった。言い換えれば、発症原因はあくまできっかけに過ぎず、根源的な原因は反復的な外傷体験によって徐々に蓄積されたのである。

 一般に、若い女性の自傷行為は周囲への救難信号と解釈され、例えば境界例の症例においてしばしば認められるようなアピール度の高い自傷行為ほど致死性は低いとされる[3]。しかし、この一般論を念頭に置くならば、Aの感情を表出しない自傷は通常の境界例よりも深い精神病理を表していると考えられる。
 Aの自殺の意志に関して、その確実性は不明であるが、採った手段はそのいずれもが死に至る危険が高いものであり、しかも本人にはその自覚が乏しいままに嗜癖化し、更に危険な手段へとエスカレートしていった。そこで当初の治療の第一目的は、自傷行為の防止と、その危険性を自覚させることに全力を傾けざるを得なかった。その反省に立って、Aの退院後、通院治療を行う段では患者の精神内界に働きかける治療に焦点を当てた。

 Aの自傷行為は自己評価の低さ、不安定さの表れである。Lacan, J. の精神分析概念を外挿するならば、Aはこの時期、一種の対人的倒錯に陥っていたと考えられる。倒錯という用語は狭義では性倒錯を意味するが、ここでは、他者の欲望の位置に自己を同一化することによって、自己価値を他者の承認によって確認していくという構造を指す[4]。
 自己表現力を発達させていないAが孤独感を紛らわせるために行動した結果が、叔父や母親代わりであるBの承認や賞賛を得る目的で獲得した学業の好成績であり、成就することのなかった従兄への献身的愛情であった。後者に関しては、Aはその感情を従兄に対してさえ口外することができず、その状況をAの主観から説明するならば、「叔父の亡き後、A自身が自己の価値を確認するためにわずかに残された存在であるBおよび従兄の二人が予告なく婚約を発表するという『裏切り』の結果、Bは自己のすべてを否定されたため、その直後の自殺企図、更には見舞いに来た従兄への傷口の露出という倒錯した表出以外には選択肢がなかった」のであろう。

 以上のようなAの自己価値の不安定さは複合型PTSDの特徴である。Terr, L.は、この反復的かつ慢性的な外傷をタイプUトラウマとカテゴライズした上で、この種の外傷を受けていた児童は、否認や麻痺、自己催眠や解離などの防衛機制を発達させ、また、強い怒りに基づく行動を伴うと述べている[5]。
 否認および麻痺は、DSM-IV(米国精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル)では基準C、回避/麻痺性症状として分類されている[6]。虐待を受けて育った児童は、その体験を人に悟られないように努力したり(否認)、痛みに対する無感覚、全般的な無感情、更にはそれが他者に対する共感性の欠如として表れたり(麻痺)といった行動をとることで自己を守ろうとする[1, 5, 7]。
 また、種々の慢性的、反復的な外傷体験は児童に解離を生じさせるが、解離性障害とはその延長上に位置するものだとする研究者や臨床家は少なくない[7]。この立場では、解離は心的外傷となるような体験から自己の健康的な領域を守るという機能を果たしているということになる。身体的、精神的あるいは特に性的虐待を受けている児童は、虐待の最中に意識はどこかまったく別の場所を訪れていたという感覚を持ったり、虐待による痛みをまったく感じなかったりといった状態がしばしば認められるという(一次的解離)。更には、この「現実の自分から離れてしまう」状態が進行し、自身の意識が身体を離れて天井などから虐待される自分自身を観察するなどというような症例も少なからず報告される(二次的解離)。その際、観察している対象が自分自身であると認識できる場合と、更に解離が進み、被害を受けているのは自分ではなく別の人の体験であると考える場合とがある。後者の場合、その体験が繰り返されると、トラウマティックな体験やそれによる被害を引き受ける別の人格を誕生させ、その結果としてもとの人格はトラウマとなるような事態から回避できるようになる(三次的解離)。これが解離性同一性障害(多重人格障害)と呼ばれるものである。DSM-IVにおいてはPTSDと解離性障害とを独立したものとして分類しているものの、その関係は密接だと考えられるのである。
 更に、強い怒りの存在は複合型PTSDを有する症例に特徴的に認められる反応の一つである[1, 7]。慢性的、反復的なトラウマ体験は、その内面に怒りの感情を蓄積させる。自傷行為はその怒りの感情を適切にコントロールできずに内向し、自分自身に攻撃性が発露された結果だと解釈することができる。またそれと共に、自傷行為は、通常の慰藉行為では解消できない外傷体験が、自傷という自分の肉体に対する激しいショックによって和らげられるということを経験的に学んだ結果でもある。

 この複合型PTSDの概念をAに当てはめれば、その一つ一つの行動の意味が理解しやすくなる。
 Aの寡黙さは麻痺によるところが大きい。これは、Aが主治医に対して「周りの人たちが私の言動に喜んだり怒ったりすることが、理解することはできても共感することが出来ない」と述べたことからも明らかだと思われる。
 また、Aの問題行動の際立った特徴は自傷行為の頻発であるが、これは過度の解離が原因だと説明することができる。慢性被虐待児の感情状態は、「落ち着いていられない」状態から、不安とディスフォリア(重度の不機嫌)を経て、恐慌、狂乱および絶望までのスペクトルの中を揺れ動く[1]。これらは時間が経つにつれて低いレベルに落ち着くものの、多くは成人期まで継続する。これらに対して被虐待児がしばしば用いる解離という防御機制は、逆にディスフォリア的感情を更に悪化させる場合がある。解離は感情的距離を置くことにより庇護的な感覚を作り出すものであるが、その一方で他者との繋がりが断たれた感覚、自己解体感を抱かせ得るものでもある。この耐え難い空無感は、通常は見捨てられ感に由来する反応であり、一般的な自己慰藉法によっては解消することができない。これに対して被虐待者は、やがてこの感情に対する最も効果的な対処法が自己に対する激しいショックであることに気づく。この効果を得る最も効果的な方法は自己の身体を傷つけることであり、かねてそのことに気づいていたAは、憧れの存在である従兄と姉であるBの婚約発表の直後、wrist cuttingによる自己慰藉をはかったのである。
 児童期虐待経験者の多くは自殺を企図する。しかし、自殺企図と上に示したような自傷行為との間には明確な区別がある[1]。自傷行為は、死ぬことではなく制御不能の心の痛みを和らげるものであり、それを行う人間は逆説的ではあるが、自己保存行為の一つと位置付けることができる。主治医がAに対して入院の原因となったwrist cuttingの動機に関する説明を求めたところ、Aは、「手首から迸る熱い血を眺めているうちに、ああ、これで私は助かったんだという実感が湧いてきた」と語った。またそれを支持するように、主治医との家族面談の際、意識を失って倒れているAを目撃した次女および四女は、Aが微笑みを浮かべていたと口を揃えて述べた。
 怒りは、前述の通り複合型PTSDの症例に認められる大きな特徴であるが、Aは主治医を含む治療者との間にその種の感情を表出したことは、少なくとも主治医が把握する限りでは認められなかった。主治医が把握しているのはわずかにAの従兄に対するwrist cuttingの傷跡の誇示のみである。しかし、一般に考えられていることとは異なり、慢性被虐待者が自分以外の人間を「操作」することはあまり多くない[1]。このことを勘案するならば、Aのこの行為は、従兄に対する攻撃とするよりは、最愛の存在を修復不能な位置にまで遠ざけるという一種の自傷行為として理解されるべきであろう。



II. 共依存、嗜癖そして機能不全家族 ―Bの精神病理―

 前章では、Aの精神病理を説明するために複合型PTSDという概念を提示した。その一方で、たとえ来院のきっかけとなった病名が異なるとしても、同様の外傷履歴を有する以上、Bがこの疾患概念のもとにカテゴライズされることに違和感を感じることはないと思われる。その一方で、BとAとの差に関して明確にされねばならないことは、Bは長女でありAは三女であったことから、姉妹の中での役割が異なっていた点であり、更にはこのために外傷の内容およびそれぞれの発達段階における時期が異なっていた点である。Bを含めた姉妹4人は両親に対する批判をほとんど口にしなかったが、Bあるいは次女による両親の回想から、共依存の構造を包含した家族履歴を推測することができた。本章では、まず共依存の概念を確認した上でBの精神病理の検討に移りたい。

 共依存という概念は、慢性アルコール中毒症(以下ア症)の精神病理研究の中から生まれた[8-10]。ア症患者は生活力を持たず、通常は配偶者などの家族が稼ぎ手として存在している。家族はア症患者を更生させようと働きかけるが、ア症患者はその家族の心理を逆手にとって飲酒を継続できるように立ち振る舞う。このア症患者と家族の関係がいわゆる共依存であり、この場合の家族は共依存者と呼ばれる。しかし、この共依存概念は、現在ではアルコールや薬物などの嗜癖者とそのパートナーという条件を必要としない、対人関係の病理として拡大適用されつつある。また共依存者には、以下のような共通するいくつかの特徴がある[10]。他者コントロール、自己中心的思考、自己喪失、低い自己評価、否認、境界線の欠如、「良い人」を演じる、などである。当然、これらは明確に区別されるべき概念ではなく、相互に関連するものである。
 『他者コントロール』は共依存の最も主要な特徴である。共依存者は、自分がどうしたいか、どう感じたかに関心を寄せる代わりに、相手の言動に自己のすべての関心を集中する。そして、相手のコントロールに成功したとき、「あの人を救えるのは自分しかいない」というように自分を誇大評価する。逆にコントロールに失敗したときには極端に自己評価を下げてしまう。なぜなら、共依存者にとって、自分が必要とされないことは、自己の存在そのものが否定されたことになるからである。
 『自己中心的思考』。共依存者は、本来自分でとるべき責任がないことまでとろうとするするが、それが負担になると一転して依存症者に怒りをぶつけたり、自己憐憫に陥ったりする。これは、共依存者が常に自分中心的な思考をとるため、他者が引き起こした問題であっても、自分に関係しているのではないかと不安になるのである。
 『自己喪失』とは、自分がしたいことを明確にイメージすることができないことを指す。共依存者にとって最大の関心事は、いかにすることが相手の期待に応えるかである。共依存者はお節介であり、自分なら依存症者のすべてを直せると過信している。このため、非現実的な期待を持ち、自己の限界を認識できない。
 共依存の背景にあるものは、『低い自己評価』、言い換えれば自己肯定的感情や自尊心の低さである。共依存者はネガティブな認知の仕方をとったり、完全主義であったりする。自己評価の低さのため、共依存者は自己の存在を確認するための他者が必要なのである。
 『否認』。依存症は一般に否認の病気ともいわれるが、人間関係の依存症である共依存もやはり否認の病気である。家庭内に問題が起きていても、それが起こっていないかのような言動をとり、またそれを認めたとしても些細なこととして取り扱おうとする。こうした認知法は、彼らの原家族との関係からきていることが少なくない。親からの愛や承認を十分に受けてこなかったために自己を愛することができず、それゆえ他者をも愛せないのである。共依存者にとって大切なことは、自分がどう感じるかではなく、他者がどう感じるかであるが、その理由はつまり、他者を興味の中心に据えることにより、自身と向き合わずに済み、現実を見なくて済むからである。
 『境界線の欠如』。共依存者は自己の感情と相手の感情とを区別できない。そのため、相手が怒れば自分も怒り、相手が落ち着けば自分も落ち着き、相手が喜べば自分も喜ぶ。しかし、境界線の欠如は感情に限られたことではない。依存症者の問題を共依存者が引き受けることによって、何もかもの境界線がなくなってしまうのである。
 また、共依存者は『「良い人」を演じる』。共依存者は、相手にとって常によい人であることに関心を集中させている。もう少し正確に表現すれば、相手から良い人と評価されることに関心を集中しているのである。その結果、自己の行動の一つ一つについて、他者からの評価に過敏になる。それが原因で心身症的な病気になる例も少なくない。

 共依存者は以上のような特徴を有しているが、B自身や次女の話から判断すれば、Bは母親との共依存関係にあり、両親との死別後は妹たちとの間にそのような関係が生じたものと思われる。
 Bは、年子として出生した次女以下の三人とは異なり、次女とでさえ5歳の開きがあり、多忙のために夜遅くまで不在がちの父親と、感情は豊かながら生活力に乏しい母親を支える形で、幼少時より3人の妹の母親役の一部を担わされていた。また、母親はストレスに対して脆弱な面があり、情動が不安定であった。父親の毎日の帰りが遅いことについて両親が口論をし、母親がパニック状態に陥った場合も、まだ小学校に上がるかどうかという年齢のBは父親に対して「おとうさまはおしごとがたいへんなんですから、ゆっくりおへやでおやすみになってください。おかあさまのことは、わたしがみていますから」と言ったとのことである。また、次女の回想によれば、しばしば生じたその種の小事件とBの行動について、父親は「あの子には本当に助けられる」と嬉しそうに語ったという。主治医は次女に対して、それが確かにBが7歳前後のことであったかどうか確認すると、次女は更に幼少時からそのような関係がBと両親との間にあった可能性があると語った。
 一般に、児童はかなり幼いうちから母親の状態を受け止め、否応なしに母親をサポートし、ケアする立場となるが[11]、それが結果的に母親の対人関係嗜癖(つまり共依存的性格傾向)を助長させる結果となったと考えられる。その結果として、Bおよび両親を中核とする嗜癖家族の構造が成立した。いわばBは、疲れて帰ってきた父親から、構って欲しくて駄々をこねる子供のような母親をたしなめ、かつ父親から遠ざける「妻」の役を担っていたのである。そして最も悲惨なのは、父親でさえこのBの態度を適応的で良いこととして受け止めていたという点であり、Bの態度が幼児と言っていい年齢の子供のそれとして異常を感じない親たちによって育てられていたという家族の状況である。
 家庭内で起こるアルコール嗜癖、薬物乱用、共依存的人間関係、暴力、虐待など、すべての嗜癖的行動は家族関係の機能不全をもたらすが[11]、Bの場合、両親との間の欲求充足にまつわる役割の逆転という形での機能不全の中で育ったと見ることができる。ただし一般的にそうであるように、この種の機能不全は当事者である家族成員も周囲の人々も良い家族であるという認識のもとにあり、このため、こうした家族の中で外傷が発生することが理解されない。その結果、外傷を受けた人間は自分の責任に帰されることで二次的な外傷を負うこととなる[1]。Bの場合、親からの愛を十分に受けることができず、逆に絶えず親の欲求を読みとり、自らの行動へ反映させねば親からの愛を受けられない状況に陥っていたために、慢性的な外傷に曝され続け、自らの主体性を正常に発達させることができなかったのである。
 両親との死別によって「保護すべき相手」を失ったBは、三人の妹との間に共依存関係を構築した。次女の述懐は、来院の原因となった事件以前のBと妹たちの関係をはっきりと浮き彫りにしている。「姉は本当に私たち妹のことを案じてくれました。両親が死んでから、姉は本当に身を挺して私たちを守ってくれたんです。でも、そんな姉が堪らなく感じられることがありました。姉は、私たちが従っているうちは優しい母親のように振る舞いました。しかし、私たちが自分の思い通りにならないと感じると、打って変わって威圧的、強圧的になりました。そんな姉に対して私たちは、私たちを置いて勝手に死んだ両親と比べてさえ、憎く感じることもありました」。
 Aのwrist cuttingは、BとAのみならず、結果として他の姉妹とBとの距離を認識させる効果をもたらした。そのきっかけを作ったAは、その行為によってはじめて独立した自我を持つことに成功したのである。
 入院の直接動機となったBの症状は、妹たちとの共依存関係を断ち切られたことが原因と考えられる。自己価値を確認する手段を失ったBは、婚約者と共依存関係になることを指向し、それに半ば成功した状態で初診の日を迎えた。Bの主治医は速やかにAの主治医と連絡を取って状況の概略を確認した後、Bのみならず婚約者をも治療対象とし、治療の第一義をBと婚約者との距離が適切な位置に誘導することに置いた。この試みは比較的円滑に進んだが、その過程で次章以下に述べるような共同体レベルの構造的問題が顕在化することになったのである。



III. 「憑依」の精神病理 ―二症例が属する共同体の構造的問題―

 Bの症例呈示の中で述べたように、二症例が属する家(C家と呼ぶことにする)は狂気の血統を持つとして同地の人間から差別されてきた。より具体的には、C家は鬼の血を引く家系であり、C家の人間は鬼を使役し、あるいは自身が鬼となって村に災厄をもたらすというものである。同地で起きた変事の多くは、まずC家と結びつけられたうえで虚実綯い交ぜに語られ、C家に対する差別的構造を増幅させる役割を担うこととなったのである。この構造がC家の人間の精神病理に影響を与えたことはAおよびBの臨床、更には家族履歴から明らかである。本章では、まず憑依に関する先人の業績をまとめた上で、精神病理学並びに社会文化精神医学の観点からC家の構成員に関する分析を試みたい。

 「憑依」とは精神医学のみならず、民俗学、社会学、文化人類学、歴史学、宗教学、心理学など多くの学問分野が研究対象とする概念であり、当然ながらその定義はそれぞれの立場によって異なるものとなる[12]。本論における「憑依」の用語については、大宮司が提示した定義[13]に依ることとする。すなわち憑依とは、「何者かによって憑かれていると、自分または他人によって考えられるような状態」を指す。
 憑依に関する精神医学的アプローチは古くから試みられている。江戸期の鬼神論的な風潮とは対照的に、播州姫路の漢方医、香川修庵は、『一本堂行余医言』の中で「かの俗に狐憑きと称するものもみな狂証にして、野狐の祟るところにあらず」と述べている[13]。こうした見解は近世の現実主義、合理主義への志向によって徐々に支配的となり、狐憑き俗信の発祥とされる出雲地方の松江藩においても俗信打破の御触書が寛政三(1791)年に出されるなど、時代の要請として、信仰そのものの世俗化、現世化が進行していったようである。
 明治期においては、西洋医学の移入によってその傾向は一段と拍車がかかった。東京帝大で内科とともに精神科を兼任したベルツは、政府の要請を受けて1885年に『狐憑病説』を著している[14]。更に近代精神医学の祖とも言える呉秀三による『磯部偶渉』[15]をはじめとして、榊俶『狐憑病に就て』[16]、森田正馬『余の所謂祈祷性精神症に就て』[17]、門脇真枝『狐憑病新論』[18]など、錚々たる面々による研究報告がなされている。明治期に書かれたこれらの報告は、日本では動物憑依が多く見られることが示されており、また憑依症例は今日の精神分裂病、躁病、器質性精神病などに相当する多種類の疾患に渡り、当時、広い範囲の精神疾患に憑依症状が出現していたことを伺わせる。
 森田が提起した診断分類である祈祷性精神病は、犬神、狐等の憑依にとどまらず、加持祈祷による人格変換、宗教妄想、憑依妄想を含むものであり、この方面の精神病理学的研究における金字塔である。なお、この疾患概念は我が国独自のものであり、欧米では対応する名称は見あたらない。森田の祈祷性精神病の鑑別は、「診断上大切なるは人格変換の精査であって、之を表面から見ると衒気症状、音読症、幻聴、独語、衝動性興奮状態など早発痴呆の症状を呈することあれども、之を統一すれば自己催眠より起る不随意言行から起る人格変換である」と述べられている通り、ヒステリー性の朦朧状態から解離性同一性障害までの範疇から大きく出ていないが、しかし村上が指摘するように、森田およびその門下が行った症例報告によれば、祈祷性精神病の主症状を形成するものは幻聴、幻視、憑依妄想などの分裂病的症状である[19]。森田は前述の通り人格変換を祈祷性精神病の病態の中心に据えている。これは、人格変換が問題になりにくい分裂病との症状論的差異を強く意識したものであろう。
 ただ、憑依に関する精神医学的アプローチが祈祷性精神病という診断分類によって格段に進歩したのは間違いないとしても、現在この名称は体系的な診断分類を前提とした診断名としては必ずしも広く使用されていない。上の引用の通り、祈祷性精神病はヒステリーあるいは精神分裂病様状態を主症状とする。憑依は、我が国において、心因反応およびヒステリー、非定型精神病、てんかん、躁鬱病、精神分裂病など多くの疾患に、かつ各疾患の中で憑依以外の症状と関連しあって現れる。このため、多くの症状から憑依のみを抽出するのは困難である。そこでここでは憑依において中心となる症状として、人格変換、幻覚、恍惚感および身体症状について述べる。
 久場[21]に依れば、憑依における人格変換は以下の5つの段階に分類できると考えられる。
(a) 主人格の内部境界がはっきりした状態。
(b) 憑依人格が幻聴、幻視などの形で主人格に働きかけるが、主人格の境界が保たれた状態。
(c) 主人格の中に憑依人格が入り込むが、主人格は他人格が自己のうちに入り込んでくることを自覚している。いわゆる同時的二重人格。
(d) 主人格の中に憑依人格が入り込み、両者の共存の様相が主人格にも不明瞭な状態。恍惚感が見られる。
(e) 主人格がもはや意識されず、憑依人格によって占められてしまった状態。いわゆる経時的二重人格。
 この人格変換という病態は、憑依を呈する患者が分裂病か心因反応様状態(心因反応およびヒステリー、特に解離性障害)かを鑑別する重要な指標となりうる。分裂病の場合、病状が顕著になるに従って憑依人格は被憑依人格全体に浸透し、その結果、分裂病的な病像を呈する。一方、心因反応の場合も同様の状態になりうるが、その場合は更に両人格の分離が完全で、典型的な人格変換が起こりうる[20]。久場の分類に従えば、上記(e)の段階は分裂病には見られず、心因反応に特有であると考えられる。
 幻視や幻聴もまれではない。分裂病のみならず、心因反応性の憑依においても非常に良く似た幻聴が見られる[22]。分裂病と心因反応における幻聴を比較すると、幻聴の内容が自己にとって被害的、干渉的、侵襲的であり、患者はこれと対決・対峙するという共通点があるものの、心因反応では幻声が次第に外界から自己の中に定位するのに対して、分裂病においては多くは持続的に外界に定位するという明確な違いがある。また、幻聴に対する病識・現実検討力は心因反応においてより明瞭である。
 恍惚感は神秘的なものとの合一感およびそれから生じる至福感である。また、身体症状として、交感神経の亢進による発汗、頻脈、血圧上昇、呼吸数増加などが認められることがあり、こうした症状は更に精神症状の増悪を促進する[22]。

 憑依に限らず、精神疾患には遺伝的因子および環境因子の双方が大きく関わってくるが、C家はごく限られた範囲にしか姻戚関係を持たない特殊な閉鎖的家系であり、その構成員の遺伝的背景および生育した社会環境は非常に類似していると考えられる。C家の構成員(AやBを含む4人姉妹とBの婚約者)によって語られたところによれば、同地の人間が語るように、C家の過去の血統の中には上記の憑依症状を示すものが多く含まれるとのことであった。特筆すべきは、一般的に憑依は女性に多く見られるのとは対照的に、C家において見られる者の多くは男性であるとのことであった。また、彼らは往々にして典型的な経時的二重人格の病像を示したという。つまりC家の人間に現れる憑依症状は、心因反応あるいは解離性障害といった疾患単位に含まれると考えられる。そうであるならば、発症原因のうちでより比重が大きい環境因子の同定が重要となってくる。家族は社会の最小単位であり、構成員にとって最も影響を及ぼす集団であることから、この章の締めくくりとして、家族の外部および内部を意識した環境因子の検討を試みたい。
 C家を取り巻く環境は、極めて特殊であると言わざるを得ない。C家は室町時代から続く名家であり、江戸時代中期に同地域が上方と蝦夷地との交易船、いわゆる北前船の寄港地として栄えるようになってからは、明治中期における鉄道網の整備に伴って翳りが見えはじめるまで、地域流通に大きな影響力を有していた。その一方で、C家は室町時代の同地域における伝説中の人物を祖とするとされ、地域ではこの伝説をもとにした祭りが営まれ、数百年の時を経た現在でも脈々と続けられている。伝説は、凶悪な鬼たちに対して立ち上がった流れ者の英雄というテーマであり、現在流布されているものは、C家の祖である主人公と鬼の娘との悲恋譚である。しかし、同地で古くから語り継がれてきたものは、主人公の出自の卑しさや、人間側および一旦仲間になった鬼たちへの裏切り行為が殊更に強調された、明らかにC家に対する悪意がこもった内容であった。
 ところで、民俗学では、憑依という概念は持ち家筋というキーワードを用いて語られることが多い。持ち家筋とは、周囲から狐や犬神などが家に住み着いており、それらを使役して周囲に害悪をもたらすと見なされている家で、C家もまた鬼を使役する持ち家筋に分類されると考えられる。しかしC家では、このような周囲からの評価を解消すべく努力しないのみならず、それを積極的に支持することで一族の結束を固めてきた。差別的構造は解消されるべきものと考えられている一般的価値判断とは異なり、持ち家筋の中にはこのような例も時に認められるという[23]。更に、精神医学的な意味での憑依は、通常、持ち家筋の人間ではなく、持ち家筋の人間によって害悪がもたらされたと見なされた人間において認められるものである。C家のこれらの特殊性は学問的に興味深いが、精神医学の対象としてここで問題とすべきは、C家の人間の精神医学的症状の病因の一つとしての周囲の差別的態度であろう。
 AおよびBにおける複合型PTSDの病因としての外傷履歴に、この周囲からの差別が大きな位置を占めていることは、二人に留まらず他の姉妹も口を揃えて度々言及しているいることから明らかである。しかし問題はそれだけではない。AおよびBはそれぞれの主治医から非常に聡明であると認識されたが、それでありながら伝説に基づいた、分裂病的妄想とも誤断されかねない言動をしばしば行った。これはC家に対する差別の深さのみならず、C家内部の宗教的とも形容できる伝説への親和性がその構成員の意識に重大な影響を及ぼしていることを伺わせる。ゆえに、AおよびBの治療では、伝説への宗教的親和性から距離をとらせることを目的とした精神療法を実施した。その結果、当初は伝説におけるヒロインと自分自身を同一視し、その信念に従ってwrist cuttingを行うまでに親和性の強かったAにおいて、特にその治療効果が認められたのである。



IV. 結辞

 心的外傷には伝染性がある。患者の外傷体験に接するとき、治療者はいわゆる逆転移反応によって、PTSDの諸症状を患者になり代わって体験する。このような人間の加害性と残虐性の物語に何度も曝されれば、治療者の自分自身あるいは人間全般に対する基本的信頼が揺らぐことも避けられない。二症例の両主治医は時と場所、更には接した症例が異なるにもかかわらず、共通した逆転移感覚にしばしば襲われた。すなわち治療者は、自ら鬼となってC家の人間を手に掛けるといった生々しい悪夢に悩まされた。この体験によって、C家の人間の伝説への親和性の強さが治療者に否応なく信じさせられることとなったのである。
 AおよびBの精神病理の根底にあるものは、C家の人間であることによってしばしば見舞われたアイデンティティの否定と、それに対する充足の欲求である。その行動原理は、頼りにすべき存在を絶えず探し求め、かつ信頼に足らないものを拒絶するというものであった。そして、この二人にとって信頼すべき存在は、奇しくもBの婚約者だった。これに対し、Bの婚約者はBが発症してから来院するまでの期間、それまでAやBが背負っていたものをすべて肩代わりするように一人耐えていたのである。しかし、彼はC家の男である以上、更なる外傷の潜在的原因として存在している。この状況はBの発言が端的に示しているだろう。「私は、彼によって叔父が抜けた真空状態が埋まることを期待した。優しさも、頼り甲斐も、そして秘めた暴力に関してさえも」。
外傷を受け続けた人間は、それを受けることさえ嗜癖化する。仲の良い夫婦と人間関係嗜癖とは、あるいは紙一重なのかもしれない。



引用文献
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