バイオサイエンス研究者の末席を汚す身ながら、精神医学に関して私は全くの素人である。精神科に類するものには、治療者側としても患者としても関わったことはない。せいぜいが、仕事の絡みで知り合った精神科医との雑談で、いくらかの有益な話を伺うことが出来た程度である。しかし、精神医学に対する世間の関心は年々高まっているようである。近年、この分野でも多くの書物が上梓され、それらによって多くの知識を得ることが出来た。しかしそれらの文献において提示される「人間の加害性と残虐性の物語」が、それらに対して何の責任をも負わなくて済む存在にとっては、共感を伴う癒しと感じたのもまた事実であるけれども。
ところで、痕のキャラクターを、あるいは痕の設定そのものを精神医学的方面からの分析の対象にするという試みは、私自身四年半も前に一度行っている。『賢治』の後書きにおいて記した、『柏木家を鬼の血の呪いから解放する方法』がそれである。私はそこで、柏木の人間の鬼化に関し、身体的および精神的変化を区別した上で、更に精神的変化の原因を器質的素因(側頭葉てんかん)と狭義の精神的素因(解離性障害)に求めた。鬼化の身体的変化についてはほとんど触れておらず、また多分に試論的なものではあったが、それでも私の中で分析すべき対象を概念化する目的は達成されたと考えている。またその一方で更に掘り下げた分析の必要性は感じていた。今回はSSと言いながら、精神医学論文の体裁をとっている。これは、私なりの分析結果を客観的な形で提示する必要を感じたためである。小説の形式であれば読者の方々にとっても受け入れ易くはなったであろうが、現実と私がでっち上げた設定との区別は不明確になる。私がここで試みたかったのは、「現実の理論を用いて如何にフィクションのキャラクターを分析するか」であったから、少なくとも私にとって、このSSが論文という形式をとるのは必然であった。なお、引用文献はすべて実在のものである。
話を痕に戻す。このSSの著者が作中の二人の精神科医であるという設定のため、またこの二人が鬼化した柏木の人間に接することが出来ないという設定の下で書いたため、どうしても論文の視点は痕のプレイヤーの視点とは異なったものとならざるを得ない。『分水嶺』で認めた千鶴および楓の行動には積極的なアプローチが可能であったものの、特に問題の中心であったはずの「鬼の精神病理」に関しては、問題の過半を置き去りにしていることを認めざるを得ない。この目的のためには、柏木家の内部事情を知る専門家が必要となる。このシリーズにおいて、祐介はそのために登場しているわけである。
今回のSSは以前にわか書店で述べた後書きの記述とは反するものの、『分水嶺』の外伝として提示することとしたい。その上で、当初の予定を変更して、次作は『分水嶺』、『街路樹』と続いたシリーズの3作目として、例のごとく3部作とすべきではないかと迷っている。にわか書店において発表した『賢治』の後書きで示したストーリーのうち、楓と祐介に関する残りの部分をと考えている。その後、現在の構想では時系列を『分水嶺』あたりまで戻した上で、初音、梓および柳川あたりに焦点を当てたものに手を付けたいと考えている。ただし、例のごとくいつ書き上がるかはまったく不明ではあるが。出来れば、のんびりと待って頂ければありがたい。
2002年12月
桑梨 汀泉