春風、乱れ舞う 〜柏木家にて〜 第2章 「大富豪か……それならあたしも知ってるよ」 「ポピュラーだからな。楓ちゃんは知ってる?」 「はい。あまりやったことはないけど、ルールは分かります」 ……何となく確かな自信がうかがえる口調だな。 「千鶴さんは?」 「はい、私も……あ、いえ、実はよく知らないんです……」 恥ずかしそうに俯く千鶴さん。そんな顔されるとなぁ……本当にもう、襲っちゃうぞ。 「そっか、じゃあ教えてあげるから、やってみない? 基本は簡単だから」 「は、はい……耕一さんが教えてくれるなら……」 「ちょっと待てぃ!」 梓の大音声が俺と千鶴さんの愛に満ちた空間を破砕した。 あまりにも素晴らしいタイミングだったもんで俺は思わず拍手しちまうところだった。 「千鶴姉が知らないわけないじゃんか! 昔みんなでやったことあるだろ!」 「あれ、そうだったっけか」 「耕一も一緒にやったの!」 皆の視線が千鶴さんに集まる。返答に窮しているようだ。 「む、昔ちょっとやっただけだから……もう忘れちゃったのよ!」 「どーだか……ま、やってりゃそのうち思い出すでしょ」 「ほんとに殆ど忘れちゃったの! 何よその目つきは?!」 「……姉さん、結構強かった」 ぽつりと楓ちゃん。相変わらず絶妙なつっこみをかます子だ。 「耕一、あんた教える必要ないからね。ったくこのひとは隙あらばこれだ」 「そんな言い方しなくても……梓だってよく知らないみたいなこと言って、 部活仲間とよくやったりするって言ってなかったかしら?」 また視線が集う。こういうの、墓穴っていうんじゃないか。いや、藪蛇か? 「だ、大富豪はあんまりやらないよ! そういえばなんで大富豪っていうんだろうね。 こっちじゃ大貧民っていうけど」 「ああ、地方によって違うよな。でも中身は一緒だろ」 ほっとくと際限なくやりあいそうだから、ここは梓のわざとらしい話題転換に 乗ってやろう。しかしこの年長組はなんでいつもこうなるかな……。 それからまた一悶着あったものの、大富豪をやるということで話は決まった。 ただ初音ちゃんがあまり得意ではないとのことで、楓ちゃんとコンビを組んで 二人一組という形になった。四人でやるのがベストだから、丁度いいだろう。 「よし、それじゃ始めますか。トップは最下位から二枚最上のカードを、 二位は三位から一枚カードを貰えるってことでいいかな?」 異存はなかった。実は俺もあまり細かいルールは知らなかったのだが、 まぁなんとかなるだろ。 「耕一、ジョーカーって一番強いんだっけ?」 「ああ。ただし3を出されたら負け」 「……3を三枚じゃありませんでしたか?」 いかん、早くも知識にひび割れが生じた。 「あ、そうだった、楓ちゃんが正解。それと、最後に2で上がるのはペケね。 じゃあ初めよっか」 ――二時間も経っただろうか。 「……上がりです」 「ぬぅ、またしても楓&初音ちゃんコンビがトップか!」 「強いわねぇ……」 「……コンビ組むの承知するんじゃなかった」 「……ごめんね」 「は、はは、いいんだよ初音ちゃん、きっと俺達が弱すぎるんだろうから……」 しかし、これほどとはなぁ。 二時間ほどやって、トップの座は一回も揺るがなかったのである。 初音ちゃんの運と楓ちゃんの技術は俺の及ぶところではないようで、 ずぅっと二位のままだ。そして最下位と三位という低レベルな争いを 延々と繰り広げているのが……。 「どうしてここでそんなカードを出すのよ!」 「ここぞというときのためにとっといたんだよ」 「卑劣な……」 「どっちがだよ! 殆ど覚えてないとかいっておいてしっかり覚えてたじゃないか!」 「それはそれ、これはこれよ」 「あーもう、この偽善者が!」 「そ、それは関係ないでしょう?!」 「二人とも……年少組が怯えてるからいい加減にやめてくれよ……」 憮然と言い放つ俺。さっきからこんなことばっかりやってる気がするぞ。 ゲームを始めてから千鶴さんと梓は常に最下位と三位の座から逃れることが できず、上位一組+一名が抜けて二人だけで勝負となるとかくの如し、である。 「……ありません」 「はいあたしの勝ち。これで千鶴姉は三勝四敗ね」 「まだ引き分けのはずよ?!」 「千鶴さん……」 「耕一さん、私間違ってないですよね? これで三勝三敗ですよね?!」 「梓姉さんの方が、勝ち越してる……」 「ほれみろ」 「楓……私はあなたをそんな子に育てた覚えは……」 「千鶴姉に育てられてたら楓の味覚はとっくに破壊されてるよ」 「教育方法と味覚に何の関係があるのよ?!」 「……ケンカはやめようよ……楽しく遊ぼ、ね?」 初音ちゃんの鶴の一声で、年長組も矛を収める。やれやれ……。 まさかここまでヒートアップするとは予想だにしなかった。 当初意図していた方向から大きく離れ、《家族でほのぼの》が《姉妹対決・血ぃ見んぞ!》 みたいになってしまった。いや血を見るのは長女と次女だけだとは思うが。 ちらっと楓ちゃんを見ると、年上の二人の微笑ましい姿を見て呆れながらも 楽しんでいるようだ。よし、とりあえず目的は果たした……ような気がする。 こうして見てると、彼女が姉や妹達と離れて違う土地に行ってしまうなんて あり得ないようにも思えてきた。だってこんなにも仲がいいじゃないか。 それは、端から見ていて見守り続けたくなるほどに……。 「もうこんな時間か……じゃ、あと一回やってお開きにしようか」 柱の時計を見て俺が言うと、同意の声が上がる……が、ここで梓がぽつりと、 「……胸だけでなく、トランプでも勝てず、か」 これを聞き逃すようだったら、それは千鶴さんではない。別の誰かだ。 どうして進んで火災に見舞われた家屋に飛び込むような真似をするんだお前は?! 「……………………うふふふふふ……………………」 笑っている。 どこか遠くに何かを捨て去ってしまった者の笑みだ。 「……ち……千鶴姉……ちょ、ちょっと待って……」 猛獣の尻尾を踏みにじって硫酸ぶっかけてリボンを結ぶようなことを自分が してしまったということを、梓はようやく気付いたのだ。 毎回毎回……学習能力ないんかお前は?! 「……そうね……梓ってば大したものだわ……」 白い繊手が伸びる。なんか爪が伸びてる気が……女の人は爪を伸ばすもんだよな、うん。 繊手がそっと挟んだものは、梓の顔だった。愛おしげに撫でている。 「あ……あのー……お姉さま? たかが大富豪如きでまさかそんな……」 「お、お兄ちゃん……千鶴お姉ちゃんを止めて! 梓お姉ちゃんが……」 ……俺だって止められるものなら止めたいよ初音ちゃん。 しかし……だがしかし……今の彼女は……! 「――耕一さん、止められるのは、あなただけなんです……」 楓ちゃん……そんな目で見ないでくれ……俺は……俺は君のそんな目を見たくない! 「ほぉんと……大きなムネねぇ……うふふ……でも、重くない?」 「あ……あう……お、重い、です……」 岩石も豆腐のように砕いてしまうのではないだろうか…… 千鶴さんの手は、なんか光って見えた。爪もとんがってる。 そしてその手は、梓のよく育った胸部に触れようと、頬から離れる。 ――やばい、潰す気だ! 考えろ耕一! 柏木家存亡の危機だ! 単なる姉妹喧嘩だけど もはやあの人はまともな言葉なんか聞きゃしねぇ! うむ、学習してるな俺は。 その時、俺は確かに天啓を授かったような気がした。 時間にしてコンマ一秒、いやそれ以下だったかもしれない。 神の恩恵か悪魔の囁きか、いや今はそんなこと考えてる場合じゃない! 「みんな、最後の勝負はなんか賭けないか?」 効果覿面であった。仄白く光って見えた繊手がぴくりとふるえ、動きを止める。 「あ、勿論お金とかじゃなくってさ、雑用とか労働とか……つまり……」 これ以上は言わない方がよかったかもしれない。 後悔先に立たずとはよくいったもんだ。古代の賢人って凄いな。 「トップを取った人は一日王様状態! ってのは……いかが、でしょうか……?」 語尾が弱くなってるのは千鶴さんがこっちを見てるからだ。 まだ完全に鬼モードを解除しておらず、その眼光、魔人の如し。鬼だけど。 えいもう一押し! 「王様になったら何でも命令できて、二位以下は絶対服従でございます! どうですかお嬢様方! 王様、いや女王様ですよ?!」 何で敬語になってんだ俺。 「……面白いですね」 おお、千鶴さんの顔つきが元に戻って……鬼子母神みたいな人だな。 「あなたたちも……それでいいわよね?」 ゆっくりと、妹たちに視線を向ける千鶴さん。 逆らいがたい威圧感。目をそらせない恐怖感。 そして…… なんかしてやったりって感じの表情! まさか千鶴さん、これを狙っていたのか?! んなわけあるかい、と一人つっこむ俺。いくら何でもここまで展開を読めるわけないよな。 首を横に振れるものなどいるはずもなく、かくして最後の勝負が始まった……。 「よっしゃあ! 上がりぃ!」 「そ……そんな?!」 「……お姉ちゃん……凄い……」 「……完敗、です……」 「マジかよ……」 何が彼女をここまで変えたのか。 一日女王様ってのがそんなに効いたか? 今までのダメっぷりは何だったのですか? 不可解な実力を発揮して、《一日女王様》権をゲットしたのは梓であった。 その勝ち誇った顔は、不思議とあまり憎たらしくはなかった。 むしろ無邪気に喜ぶ子供のようで微笑ましい……って言い過ぎか。 「ということで、明日は家事一切をみんなにやってもらおうかな♪」 「な、なんだとぉ?!」 これ以上はないというくらい目を見開いて、俺は全身を奮わせ叫んだ。 身体を冷たい汗が流れる。動悸が激しい。我知らず指の爪が掌に食い込んでいた。 楓ちゃんと初音ちゃんがびっくりして俺を見つめている。千鶴さんは……まだ悔しがってる。 「梓……お前は俺達に死ねというのか……?」 「いっとくけど食事の用意は楓と初音に頼むからね」 「……英断でございます」 「お兄ちゃん……いくらなんでも酷いよ……」 「いや、ちょっとしたジョークだからね」 お互い苦笑しながら言う。この程度の冗談を介さない子じゃない。 そこへ楓ちゃんが大層真摯な声でこういった。 「一生懸命、作りますから」 「……うん、期待してるよ」 「わたしも頑張るよ!」 「おう、明日が楽しみだぞ俺は」 なんだか本当に楽しみになってきたところで、梓の声が俺を現実に戻す。 「耕一には何してもらおーかなっ♪ 家の掃除と庭の草むしりと土蔵の整理と……」 「むしるほど草が生えてるかっ!」 「じゃあ植木の手入れ」 「バ●ボンのパパでも雇え!」 「女王様」 「ぐ……」 じ、自分で言い出したこととはいえ……そういえば千鶴さんはどこいった? 「うそ……負けるなんて……どうして……梓が……」 ……明日は大変そうだからもう寝るか。