勇者マルチ! 第8話
〜真夜中の私闘〜
作 光十字
くじういんぐ! 90000Hit記念SS
紅蓮の炎に包まれる盗賊団の野営地。そしてそれを見下ろすように位置する小さな丘に、2つの人影が距離をおいて向かい合います。両者ともに厳しい目つきで睨み合い、すでに話し合いの余地は全く残されていないように見えます。
そのうちの一方である、坂下という名の少女。じりじりと体を移動させつつも、少しずつ相手との距離を縮めていきます。突然の襲撃によって部下たちを失った彼女は、あまりの怒りに目を血走らせ、燃えさかる炎に照らされてその姿は赤く彩られております。
対するは琴音。友達である勇者に理不尽な危害を加えられ、その顔にはやはり怒りの表情を浮かべています。しかし坂下とは違い、どうやらそれに完全に支配されているわけではなさそうです。彼女にその相手ほどの鋭い殺気はなく、やや落ち着いた雰囲気すら感じるからです。
琴音が、2人を囲んで飛び回っている大ガラスたちに呼びかけます。
「みんな、わかっているよね。あの人、かなり強そうだから無理はしないでね……」
それに答えるかのように、大ガラスたちはそれぞれ鳴き声で返事をします。了解、とでも言っているのでしょうか。
「ふん。なかなか良くしつけているようだけど、そんなザコ、何匹いても関係ないわよ」
坂下があざけるように口元を歪ませます。そしてその言葉のとおり、視線はまっすぐに琴音をとらえたままであり大ガラスたちには見向きもしません。かなりの自信があるようです。
「……」
「それじゃ、そろそろ――いくわよ!!」
十分に距離を詰めたと判断したのでしょう。信じられない踏み込みの速度でもって、坂下は一気に相手のふところに飛び込みました。
「!!」
さすがに予想外だったのでしょうか、そのスピードに対してわずかに遅れる琴音の反応。坂下は小さく笑みを浮かべて拳を打ち込みます。そう、先手を取ったのは坂下。今、2人の戦いが幕を開けたのです。
拳の間合いにまで入り込んだ坂下は、得意の連続コンビネーションを繰り出します。今まで何人もの敵を葬ってきた必勝のパターン、しかし、今回はその威力にやや手加減を加えたものでした。
キィン! キン! キィン!
連打に合わせて堅い金属音に似た音が発生します。そう、坂下の攻撃は命中する直前に、ことごとく見えない盾によってはじかれてしまったのです。これは、先ほど勇者を守るべく発生したバリアーのような現象と全く同じです。恐らくは、人と異なるドライアードである琴音の、その特殊な能力の一端であるのでしょう。
「やはりね……」
そうつぶやきながらも攻撃の手は緩めない坂下、その不可解な現象に対して特に驚く様子はありません。勇者に対しての手が痺れた一撃より、この結果をある程度は予測していたようです。全力で打ち抜くと逆に手首を痛めると悟り、少しセーブした拳を放っているのです。
キィン! キキン! キィン! キィン!
嵐のような拳の雨ですが、一発も琴音の体に当たることなく乾いた音を響かせます。しかし、琴音の顔色は目に見えて悪くなっていき、やがて苦痛の息がこぼれ始めます。
「くぅ……」
「ふふ、苦しそうじゃない。やっぱりその妙な技、かなりの疲れを伴うみたいね」
キン! キィン! キキンッ!
休むことなく放たれる拳に対し、完全に防戦一方の琴音。敵の攻撃に対してシールドを張るのが精一杯であり、とても攻撃に転じる余裕は無いようです。距離をおいて警戒する大ガラスたちも、為すすべもなく威嚇の鳴き声を発するのみでした。
「フィニッシュ!」
相手がガクリと片膝をついたのを見た為か、あるいは連打コンビネーションの息が切れたのか、坂下はとどめとばかりに大きな動きで回し蹴りを放ちました。
ガキィィン!!
「きゃうぅ!」
痛烈な一撃。琴音は見えないバリアで防いではいるものの、衝撃を吸収できずに体ごと地面に叩きつけられます。
バックステップで大きく下がり呼吸を整える坂下。油断無く倒れた相手を見つめ、その様子をうかがっています。もちろん、周囲の大ガラスたちにも付け入る隙は与えません。
「ふぅ、こんなもんでどうかしらね。結構手応えあったけれど……」
しかし、そう言って額の汗をぬぐう彼女を前に、琴音はゆっくりとした動作で立ち上がります。
「い、痛い……です」
目尻に涙を浮かべつつ、衣服に付いた土を払うその仕草。まだ余裕を思わせるそんな態度に坂下の瞳が大きく見開かれます。
「へぇ、大したものね。変なバリアがあるとはいえ、今まで私のラッシュを受けて立ち上がってきた者はそうはいないわよ」
「……少しは気が済みましたか?」
「は?」
「……」
少しふらつきながらも再び構えを取り、淡々とした瞳で相手を見つめる琴音。最初に見せていた怒りの色はほとんど消え失せ、代わりにその顔は哀れみの表情を漂わせています。
「あ、あなた、むかつくわね……」
その発した言葉通りにいらだちを見せる坂下。そして次の瞬間、再び大地を蹴って拳の間合いにまで飛び込みます。――いえ、飛び込もうとしたのですが、それは出来ませんでした。彼女の足は地面を蹴ることはなく、その体は何故か宙に浮かんでいたのです。
「なに!? こ、これは……」
「今度は私の番ですよ……覚悟してくださいね」
地面を離れてぷかりと浮いてしまった自分の体に、さすがに驚きを隠せない坂下。どうやらこれも、琴音の持つ特殊な能力のようです。呪文を必要としないところをみると、魔法とはまた異なる力のようですが……。
「みんな、今よ!」
そしてその合図のもと、満を持して大ガラスたちが一斉に襲いかかります。翼あるものにとって空中戦はその本領。これはどう見てもカラスたちに分がありそうです。戦士系はみなそうなのですが、その中でも特に格闘家は足を踏ん張ってこそ力を発揮できるのですから。
大ガラスたちの数は合計8羽。それらが次から次へと攻撃を仕掛けていきます。移動はおろか方向転換も出来ない坂下としては、それを避ける術は全くありません。手足でなんとか急所をガードするのが精一杯です。ときおり拳を振るって反撃を試みてはいますが、先ほどまでのスピードや破壊力は見る影もありません。
「ま、まずいわ、このままでは……」
致命傷は避けていますが、これでは敗北は時間の問題です。瞬く間に傷は増えていき、ダメージは確実に蓄積されているのですから。
「まだです……まだ、気を失うわけにはいきません……」
一方、実は琴音の方も限界に近い状態でした。見えないバリアと同様、いやそれ以上に、この能力も精神力をひどく消耗するようです。額からは汗がにじみ、指先は小刻みにふるえ、両のひざはもう地面についています。これではどう見ても長く持ちそうにありません。
空中では坂下が大ガラスたちの攻撃にさらされ、地上では琴音が精神力の限界と戦っています。この2人の戦い、果たしてどちらに軍配が上がるのでしょうか。
「……はわ?」
2人の戦いより少し離れた草むらで、勇者マルチがようやく気絶より目覚めます。上体を起こして周りを見回し、その緑色の瞳に友達の背中を捕らえます。
「あ、琴音さん、おはようございますー!」
……周囲の状況がよくわかっていないようですが、とりあえずは声をかけるマルチ。元気のよい挨拶は彼女の美点のひとつです。
「――って、まだ真っ暗ですねー、思い出しました、そう言えばここはお外でしたー」
ひとりでツッコミを入れつつも、まだ肝心なことは全く思い出していないようです。そして琴音より応答が無いことに首をかしげ、とてとてと歩いて近づいていきます。
「はわ! 琴音さん、泥だらけですー、どうなさったのですか?」
琴音のすぐ隣でしゃがみ、のぞきこんで声をかけるマルチ。坂下の方に集中していた琴音も、ようやくその存在に気がつきます。
「あ、マ……ルチちゃん。よかった、無事だったの……ね……」
かくん。勇者の顔を見て気が緩んでしまったのか、琴音の体はついに崩れ落ち、その意識は深い眠りへと旅だってしまいました。
「琴音さん!」
状況を思い出してきたのか、緊迫感を帯びだすマルチの声。そして、時を同じくして坂下が空中より墜落します。受け身をとることもなく、落下の衝撃をその身にまともにくらいます。
「ぐっ!」
苦痛にうめく坂下。しかし、鍛え抜いた体力と精神力のたまものでしょうか、大きくぐらつきながらも自らの足ですぐに立ち上がります。
「ふ、ふふ……ふ。どうやら、私の勝ちのようね、でも――」
正面には気を失って地に伏している琴音、そしてそれに寄り添うマルチの姿があります。しかしその前には先ほどの大ガラスたちが降り立ち、こちらを激しく威嚇しております。うかつに近づけば、間違いなく襲いかかってくるでしょう。
「……」
しばしの間、坂下は迷いました。目前の敵を葬り去ること、これは恐らく可能なことです。かなりのダメージを受けたとはいえ、普通に戦えば大ガラスたちに後れをとることは無いはず。近づいていって、無防備な琴音の体に急所の一撃を与えれば良いのです。
じゃり……。無言で一歩踏み出す坂下。それに反応して大ガラスたちの動きがさらに騒がしくなります。が、まだ襲いかかってくる様子はありません。……どうも、大ガラスたちは決定的な衝突は望んでいないようにも見えます。
じゃり。さらに進む坂下に対し、さすがに数羽の大ガラスたちが飛びかかろうとしました。しかし、それを制し、両者の間に割って入るひとつの人影があったのです。
「だ、だめですー! それ以上こっちに来ないでくださーい!」
緑の髪に耳カバー、そして構えるはがねのモップ。言わずとしれた、我らが勇者マルチの姿です。
「……」
「こ、琴音さんをいじめたら、ゆ、ゆるさないですよぉー!」
重い武器をせいいっぱい振りかぶり、その決意のほどを示すマルチ。しかし足元はふるえ、今にも倒れそうなその様子は、どう見ても虚勢なのがわかってしまいます。でも、それでもこの勇者は、なけなしの勇気をフル全開にしているのです。
じゃり……。
「あう」
お構いなしに、さらに歩を進ませる敵。しかし、それに対して勇者は動くことができません。
じゃり、じゃり……。
「あう、あうぅ……」
ついに目前まで近づいた坂下。ぺたんと尻餅をついたマルチを見下ろし、相変わらずの殺気を放っております。かなりの重傷を負っているはずなのですが、それを微塵にも感じさせません。
「……そこをどきなさい」
低い、ドスのきいた声で脅します。相手の体は恐怖でふるえ、その武器ももう地面に投げ出しているのです。
「あう、あうあぅ……」
しかし、言葉にならない……オットセイのような返事で答えながらも、はっきりと首を横に振るマルチ。ここで逃げると琴音の命が危ないのを悟っているのでしょう。実力はともかく、心意気だけは立派であります。
「……」
そんな勇者の態度に思うところがあるのか、坂下の動きはそこで止まってしまいました。そう、彼女は最後の決断で悩んでいるのです。最初に、琴音が無関係だと言いはっていたこと。そして、少し経てば張本人の2人が戻ってくること。さらに、盗賊たちに勝ったその2人はきっと手強いだろうということ。加えて、それに対して自分はとても万全の状態では無いこと……。
その時にふと感じます、風上より接近してくるわずかな人の気配を。そして、恐らくはそれが真の仇のものであることを。
「チッ、運がよかったわね……」
そう言い捨てる坂下。座り込んでいるマルチを一瞥し、身を翻して去っていきます。深く傷ついているにもかかわらず、それでも並の人間以上の速さで遠ざかります。痛みをこらえ、屈辱を感じ、そしてまだ見ぬ2人に憎悪の炎を燃やしながら……。
強敵の去っていった方角をずっと眺めていたマルチですが、その逆の方より聞き慣れた声が聞こえてきました。愉快げに雑談を交わしながら姿を現したのは、勇者の保護者である委員長と、その悪友の志保であります。
「おぅ、勇者、待たせたなぁ。ええ子にしとったかー?」
「あは! マルチ、あんたも聞いてくれる? 智子ったらさー……って何よ、これ」
いち早く異変に気がつく志保。周囲にはいたる所に草が踏みしめられた跡があり、大ガラスの黒い羽根も大量に散らばっています。そして地面に横たわっている琴音と座り込んでいるマルチ、しかも2人とも体じゅう土にまみれているのです。
「ど、どないしたんや!?」
「戦いのあと、みたいだけどね。ただ、その相手がいないわね……」
……もしも、ここでマルチが速やかに状況を説明できていれば、この2人はすぐに追撃を開始したかもしれません。そうなっていれば、坂下の運命はまた異なったものとなっていたでしょう。
しかし、彼女にとって幸運なことに、この勇者はただ泣きじゃくるのみでありました。委員長も志保もそこからはまともな情報は得られず、結局は琴音の目覚めを待つしかなかったのです。そしてその時には、すでに東の空が薄ら明るくなり始めていたのでした。
かなりの実力を持つ格闘家の坂下。しかしその不幸度もかなりのものでありまして、出てきていきなり勇者や琴音を遙かにしのぎます。自慢の拳は結局は一度も当たらず、大ガラスにはいいようにつつかれ、遂には三流悪役の捨てゼリフまで吐く始末。今回は琴音戦のダメージが深く姿をくらませましたが、必ずや雪辱戦を挑んでくるに違いありません。
頑張れ坂下、負けるな坂下。この世界の未来と希望に、あなたの力が役に立つ時がきっとくるでしょう。その拳が世界を救う一翼となるかもしれないのですよ……。