勇者マルチ! 第6話

〜月夜の雷神剣〜

作 光十字

くじういんぐ! 70000Hit記念SS



 真円に近い月が夜空にこうこうと輝き、琴音にとって大きな転機となった1日が終わろうとしています。床の上に毛布を敷いて、薄い布団をかぶるだけの簡単な寝床。その中に身体を横たえつつも、なかなか夢への誘いはやっては来ません。環境の変化に対して落ち着くことができないのでしょうか。彼女は暗がりの中、枕代わりに頭の下で腕を組み、月明かりに照らされている天井をじっと見つめているのでした。
 ふと顔を横に向けると、安らかな寝息をたてて抱きつくように身をすり寄せてくる、勇者の頭がそこにあります。時折ぐいぐいと額を脇に押しつけてきたり、あるいはもぞもぞとお腹の辺りをまさぐられたりして、それも眠れない大きな理由ではありました。しかし、なぜかそれほど嫌なことでもなかったのです。
 さらに首の角度を少し変えると、2人の枕元に置いてある1本の剣が視界に入ります。委員長が勇者に充電のためにと貸し与えた、それはぼんやりと輝く雷神剣の姿でした。無造作に置かれている国宝級の宝物でもあるそれは、質素な鞘に納められつつもその光を溢れさせているのです。
 何やら迷っているような表情でそれを眺めていた琴音でしたが、すぐに諦めたように目をつぶります。布団に顔を埋めて小さなため息をひとつつき、やがてそれは時をおいて静かな寝息へと変わっていきました。
 ――彼女は気が付かなかったことでしょう。隣にある立派な木のベッドの中で、眠ったふりをしつつも新たな同居人を観察していた存在があったことを……。



 夜が明けて、委員長の武器屋も数日ぶりに店を開きます。マルチは新人である琴音に仕事を教えながらも、いつもよりは多めのお客さんの対応に追われています。忙しく動き回ってはいますが、それを苦にしている様子は全くありません。賞賛されるべき性格ではあるのですが、残念なことに、それは勇者という職業には必要のない要素でもあるのです。
 同居人のひとりである志保は朝早くから外出しており、委員長は店の奥で武器の手入れに余念がありません。
「はわー、今日はとっても忙しいですー」
「うん、いつの間にかもうお昼……」
「ちょうどお客さんもいなくなりましたし、お茶の時間にしましょうか?」
「あ、それじゃ、私用意してくるね」
「すみません、助かりますー」
 午前中は大盛況であったお店も、正午を迎える頃には客足もずいぶんとまばらになってきています。マルチと琴音は椅子に座って向かい合い、お茶を飲みながら穏やかなひとときを楽しんでいました。
「そういえば、ご主人様はどうなさったのですか?」
「いちおう声をかけたんだけど、忙しいからあとにするって。剣を一生懸命に磨いていたみたいだけど……」
「そーですかー、大変なんですねー」
 ずずっと湯飲みを傾けながら、にこにこしながら言うマルチ。そののどかな笑顔からは、本当に大変だと思っている様子は微塵にも感じることができません。
「……なんかマルチちゃん、幸せそうね」
「はい! 私、こんなふうに、のんびりとした時間がとっても好きなんですよー」
「……勇者なのに?」
「ええ、もちろんです。このまま、ずっとずっとお客さんが来なければいいですよねー」
「……」
「え? 琴音さん、どうかしましたか――って、はわ!」
 マルチの頭の上に、ぽんっと後から手が置かれました。正面に座っている琴音にはその正体がもちろんわかっています。髪の上より感じる手の感触と、琴音の驚いている顔。そして何より、背後より感じる尋常ならざる強烈な殺気。勇者の背筋に冷や汗が吹き出します。
「そ、そ、そ、そうでしたー! 薬草の棚の整理がまだでしたー、急がなくては……」
「またんかい、このダメ勇者ぁ!」
 わざとらしくこの場を逃げようとしたマルチでしたが、そうは問屋がおろしませんでした。
「はう、やっぱりご主人様……」
 そおっと後を見たマルチは、次の瞬間やっぱり見なければ良かったと思うことになりました。委員長の鬼のような形相がそこにあったからです。
「どうも、自分の立場っちゅうもんがよくわかってへんみたいやな。ええ機会や、その身体に叩き込んだるわ!」
「あう、あうあう……」
 いやいやをしながらも、右腕をしっかり掴まれて店の奥へと引きずられていくマルチ。琴音はしばらくその消え去った方向を眺めていましたが、すぐに仕事に戻ります。まだ熱さの残るマルチの湯飲みを片づけ、ブルッと一回身震いをしながら。
 遠くの方より勇者のものと思われる悲鳴が小さく響いてきます。それをあえて無視しつつ、慣れない店番をなんとかこなしている琴音。やがてその元に、委員長とマルチが再び姿を現します。
「琴音、これ、新商品や。ここの薬棚においとくさかい、小瓶に詰め直しといてや。1瓶60ゴールドで売るからな」
 透明な液体の入った牛乳瓶を棚に置きつつ、委員長は琴音に指示をだします。それは、見た目には普通の水にしか見えないものでした。
「……はい。でも、なんでしょうか、これ」
「これは『聖水』や。魔物を近寄らせん不思議な効果があるらしいんや」
「はあ、わかりました……」
 琴音はすぐ横にいる勇者へと視線を移します。足元を見てうつむいたままのマルチ、赤くはれ上がったその頬には涙の跡が何本も残っています。
「うう、琴音さん……。私、もう、お嫁に行けなくなってしまいました……」
「そのセリフ、前にも聞いたで。まぁ、自業自得ってやつやなー」
「……」
 琴音は『聖水』についてもっと追求したい衝動にかられましたが、なんとかそれを我慢することに成功しました。気にはなるけれど、決して触れてはいけない話題。そう、世の中にはそういったものも数多くあるのです。



 マルチと琴音がようやく閉店の作業を終えたとき、店の奥より2人を呼ぶ声が響きます。いつもながらの威勢のよい声、それはこの店の主である委員長のものでした。
「勇者ー、琴音ー、メシやでぇー。はよこんとウチが全部食べてしまうでー」
 今日の食事当番は委員長。セリフの後半は冗談っぽく聞こえるのですが、実はそうでないことをマルチは知っており、琴音も何となく心得ています。2人がぱたぱたと居間のちゃぶ台まで急ぐと、委員長がちょうど夕食の皿を並べ終えたところでした。今日のおかずを見てマルチは目を輝かせます。
「やりましたー! 今日はハンバーグですー」
「おいしそう……」
 昼間のせっかんを早くも忘れているのか、マルチはすでに幸せいっぱいです。委員長にも特に引きずっている様子は見られません。当事者でない琴音はまだ気にしており、そんな2人の様子を遠慮がちに見比べているというのに……。
 3人とも畳に座って手のひらを合わせ、いただきますをして食べ始めます。食が進むにつれ雑談は賑やかさを増していき、いつしか琴音も抵抗無くそれに加わっていました。しかし、話が一段落して静かになったとき、頃合いを見て委員長が重要な話を切り出したのです。
「あのなぁ……ひとつ、大切な話があるんやけど」
「はわ?」
「……?」
 いったん箸を置き、お茶を一口飲んで委員長は間をあけます。何やら緊迫した雰囲気に、マルチと琴音も動きを止めて注意を傾けました。そんな反応に満足そうに頷き、委員長は話を続けます。
「これから、盗賊団を、潰しにいくで」
 重々しくはっきりと、そして簡潔に述べられる要点。単純明快、実に彼女らしい切り出し方です。他の2人はとっさには何もできず、降って沸いたような静寂がその場を支配してしまいます。
 それだけを言うと、委員長は再び箸を取って食事を続けます。もちろん、琴音はまだ固まったままです。しかし、マルチの反応は少し違いました。
「ご主人様ー、おかわりですー」
 そう言って委員長の目の前に、空になったお茶碗を突き出します。さすがは勇者、これしきのことで動じる様子はありません。
 一方で委員長の腕の動きが突然止まり、僅かに震え、それが持つ箸が中央からまっぷたつに音をたてて折れました。
「……こら、勇者。ウチの言ったこと、ちゃんと聞いてたんか?」
「もちろんですよ、お仕事大変ですよねー。あの、それで、おかわりなんですがー」
 ガタンッ!
 片膝を立てて立ち上がろうとする委員長。遅まきながら、琴音が我に返って慌てて助け船を出します。
「あ、あの、これからって、いつ頃出発する予定なんですか?」
「ああん!?」
 今度は琴音の方を睨み付けて吠えかかります。かなり感情が高ぶっているようです。
「い、いえ、ですから、私とマルチちゃんの準備もありますので、何時ごろかなーなんて……」
 助け船のつもりが二重遭難になりそうなこの状況。琴音ももはや必死です。しかし、なんとか相手の気勢を削ぐことには成功したようでした。
 いったん浮かしかけた腰を、再び降ろして答える委員長。
「……あと2時間後や」
「わかりました。私たちもすぐに支度を整えますので……」
 心の中でほっと溜息をひとつつく琴音。そして、しっかり自分まで巻き込まれてしまった事にようやく気が付きます。しかしマルチを助けた成り行き上、いまさら行かないなんて言えません。覚悟を決め、委員長に質問を始めます。
「でも、なぜそんなことをするのですか?」
「奴らには、かなりの賞金がかけられてるさかいな」
「……」
「なんや、なんか文句ありそうやな」
「いえ……それで、相手については詳しくわかっているのですか?」
「その盗賊団の野営場所は、志保がもう調査済みやねん。草原にテント張って寝込んでるところに、いきなり襲いかかるんや」
「不意打ちですか、ちょっと卑怯ですね……」
「ふん、近代戦争に卑怯なんて言葉はあらへん。相手は数が多いさかい、最初にできるだけ減らしとかんとな」
「……勝てるのですか?」
「たぶんな。しかし、やっぱり相手次第や。こればかりはやってみなわからへん」
「……」
 琴音が形の良いあごに手をかけて思案する表情になります。仲間のカラスたちのことを考えているのかもしれません。
 そしてちょうど2時間後。嫌がるマルチを連れて、委員長たち3人は盗賊退治へと出発したのでした。



 夜の草原地帯を静かに歩いていく勇者たち。その風景は昼間とは全く別世界のようですが、それでも月が出ているだけまだ良い方なのかもしれません。街道がぼんやりと確認でき、少なくとも迷うことはありませんから。
 途中、3人は先行していた志保と合流を果たします。
「智子、予定通りよ」
 志保の服装は普段とは大きく異なり、首から下は全身黒ずくめの忍者スタイルでした。白く浮かぶ顔には不敵な笑みが張り付いており、今回の作戦にかなりの自信を持っているのが伺えます。武器としてはショートソードが2本腰にささっていますが、それだけではなく他にも色々と隠し持っているように見うけられます。
「おおきに。こっちもぬかりはないで。琴音と勇者もちゃんと連れてきてるからな」
 それに応えるは委員長。武器はもちろん雷神剣であり、くさりかたびらや鉄兜などの戦士の装備で身をかためています。
「はうぅ、本当はおうちで絵本を読んでいたかったのですがー」
 勇者は皮の鎧にはがねのモップ。相変わらずゴロゴロと武器を引きずっています。
「盗賊団って何人くらいいるのでしょうか……」
 その後にいる琴音。勇者と同じく皮の鎧を身につけ、その手にはひのきの棒。魔法使いタイプなのかもしれません。
「そうね、ざっと30人ってとこかしら。でも所詮は盗賊、あたしたちの敵じゃないわよ」
「ま、今回の主役はウチと志保に任せてもらおうか。久しぶりに一暴れしたいんや」
「……」
 少しほっとした表情になる琴音。実は、盗賊なんかを相手に大切なカラスたちを使いたくないのでした。彼女にとってカラスたちはあくまでお友達、けっして家来などではないのです。
「はう、私はどうすれば……」
「そやな、勇者は琴音と一緒にいて適当に戦ってくれたらええ。ウチらでまずは暴れるさかい、逃げてくる奴だけ倒しといてんか」
「わ、わかりましたー」



 遠くの暗がりの中に見えるいくつもの灯火。そこが目指す盗賊団の野営地であることは間違いありません。月明かりを頼りに目を凝らしてみても、動くものは炎のゆらめきのみ。どうやら大半は寝静まっているようです。もちろん、一部の見張りの者は起きているに違いありませんが。
「ほな、ぼちぼち始めよっかー」
「智子、一発派手なのを頼むわよー」
 それに応えるかのように、ずいと一歩前にでて輝く剣を抜き放ちます。そんな様子を息をのんで見つめる琴音。そして委員長は雷神剣を天に突きささらんばかりに頭上に掲げ、正面にある盗賊団のテントの群を見据えて気を錬り始めます。
「いっくでー! 雷神剣っ!」
 その瞬間、剣より膨大な光が溢れ、周囲はまるで昼間のように明るく照らされます。琴音やマルチは眩しさのあまりに目を細め、それでも成り行きを見守っています。志保はいつの間に用意したのか黒いサングラスをかけ、腕組みなどをしながら楽しげに見物しています。
 その極めて目立つ行動は、当然ながら盗賊側の見張りに発見されました。たいまつの灯火が少しずつ増えていき、怒号が飛び交い始めます。
「ふん、遅い遅い、反応が遅すぎよー」
 そんな志保の呟きも、雷神剣の発する不協和音にかき消されてしまいます。そして、委員長はその膨大なエネルギーを敵陣に向け、一気に解き放ちました。
「雷神の鎚(トゥール・ハンマー)!!」
 振り降ろした剣先よりほとばしる光の洪水。直径2メートルはありそうな電気エネルギーの束が標的へと向かいます。
 その光の帯は徐々に広がりつつも、一直線に盗賊団の野営地へと突き刺さりました。ひとたまりもなく吹っ飛ぶテント、崩れ落ちる外柵や見張り台。当然ながら人間も巻き込まれているはずですが、細かいところまではさすがに確認できません。
「ふわ、す、すごいですー」
「これが、雷神剣……」
 勇者と琴音は、その光景に魅入られるように立ちすくんでいます。
「確かに今回はちょっと派手ねー。智子、溜まってたんじゃないの?」
「まーええやんか、お陰ですっきりしたさかいなー」
 反動で10メートルほど後に引きずられ、ずれてしまった鉄兜を整える委員長。未だ土煙の収まらない敵陣を眺めるその姿からは、何となくすがすがしさを感じます。
「それはいいけどさ、お宝まで吹き飛ばしていないでしょうね……」
「そんな事まで知るかいな。とにかく、さっさと突っ込むで!」
「さーて、何人生きているかよね……」



 委員長と志保が盗賊団に切り込んで行ってしまった後、そこに残された2人はしばしの間呆然としていました。もちろん、先程の雷神剣のすさまじさに驚いているのです。しかし、いつまでもそうしている訳にもいきません。
「そういえば、琴音さんはみなさんと一緒に行かないのですかー?」
 ふと我に返ったマルチがのんびりとした声で呼びかけます。
「あ、そうね。……でも、今回は遠慮しようかな」
 同じく通常の思考に戻った琴音が応えます。参加しないですむならば、それに越したことはありません。
「それならばー、ここでお茶にしましょう。あ、琴音さん、そっちを持ってもらえますかー?」
 ごそごそと地面に敷くシートを懐から取り出すマルチ。すぐ横には早くもお茶のセットが用意されています。
「……これ、マルチちゃんが持ってきたの?」
「はい! こんなこともあろうかと思いましてー」
「……」
 闇の中で混乱する盗賊団を見物しながら、シートの上に座ってお茶をすすり始める2人。ときおり稲妻が光るのが見えたり、爆音が響いたりしていますが、なかなか静かになる様子はありません。
 お茶菓子をおいしそうに口に入れているマルチの横で、琴音は戦況を冷静に観察していました。その上空にはいつの間に呼び寄せたのか、大ガラスが数羽集まってきています。
 しかし、彼女らはまだ気が付いていないのです。盗賊団の中で最も手強い敵が、その場に接近しつつあることを……。



 さて、委員長と志保の2人組。彼女らの裏の顔は実は賞金稼ぎだったようです。一方が武具を揃えて管理をし、もう一方が諸国を旅して情報を集める……。危険が多くて割に合わないと思われるその仕事、しかし彼女らなりの理由があるのかもしれません。
 そして早速休憩に入っている勇者と琴音ですが、どうやらこのまま傍観者でいることは出来ない模様。状況は未だ予断を許さないものがあるようです。
 頑張れマルチ、負けるなマルチ。この世界の未来と希望は、全てあなたの双肩にかかっているのです。仲間が戦っている横でお茶など飲んでいる場合ではないのですよ……。




<第7話へ続く>