勇者マルチ! 第10話

〜戦いの行く末〜

作 光十字

くじういんぐ! 110000Hit記念SS



 魔王城の周りに広がる、昼なお暗き深い森。今、その一角にある小さな広場にて、この世界の未来を左右するであろう戦いが始まろうとしています。魔王と勇者――いつの世でも相容れないこの両者は、お互いの仲間たちを従えてじっと睨み合っているのです。
 鳥や虫の鳴き声さえ聞こえない静寂の中、言葉も無く対峙する年端もいかない少年少女。その背に課せられている世界の命運というものは、さすがに少々荷が重いようにも感じられます。彼および彼女らは、平和な世の中であるならば未だ親に甘えていても許されるほどの年齢なのですから。



 そんな彼らの緊張を和らげるかのように一陣の風が吹き抜けます。そして、それに前髪を吹き上げられながら、勇者浩之が力無く呟きました。その瞳は最初に見られた驚きより、すでに悲しみの色に染まっております。
「先輩、ど、どうして……」
 言葉は最後まで発音されることはなく、しかも木の葉のざわめきによってかき消されてしまいます。しかし、彼の言わんとすること、いえ、その気持ちは全員が感じたようでした。
 相変わらずの、わずかな唇の動きでもって魔王芹香は応えます。
「………」
 それは仕方のないことなのです――と、声には出ずとも浩之たちには伝わります。
「先輩! 仕方がないじゃわからないよ! そのわけを聞かせてもらえないと……」
 声を大にして詰め寄る浩之。彼の仲間たちも固唾をのんでそのやりとりを見守っています。
「………」
 芹香は少し困ったような表情を浮かべ、目配せをして横にいる綾香に助けを求めます。綾香はそれに応えるように小さく頷き、ため息をつきながら一歩前に進み出ました。
「まったく、困るくらいなら出てこなきゃいいのに……」
 両手を腰に当て、勇者たちを見回します。申し訳なさげにうつむく芹香を背にしつつ、その思いを代弁するように綾香は言葉を続けました。
「理由は――言わないわよ。だって、何を言っても引き下がるつもりはないんでしょ?」
「……」
 その問いに沈黙を守る浩之。それはこの場合、その推測の正しさを認めたことになるのでしょう。静かに、そして慎重に綾香の次の言葉を待っています。
「私と姉さんは、これが最善の方法だと思っているから……」
「綾香……」
「それにね、もう今さら引き返せないのよ。ここまで騒ぎを大きくしておいて、『やっぱりやーめた』なんてできるわけないじゃない」
 肩をすくめて、くすっと笑う綾香。やや自嘲的なそのしぐさに対し、浩之たちはどう反応して良いか戸惑います。
「だから浩之、これが最後のお願いよ。おとなしく、ここから立ち去ってちょうだい。そして、しばらくは何もしないで……私たちのする事を見守っていて欲しい――」
 一転して、思い詰めたような顔つきになる綾香。その後ろでは芹香も、こくこくと同意の意を示しています。
 邪悪なる、そしてこの世界を滅する存在であるはずの魔王。しかしその評判とは裏腹に、正体は普通の少女であり、しかも彼女なりの信念を持って行動していたのです。



 芹香と綾香、そして自分の仲間たちの見守る中、浩之はしばらくのあいだ沈黙を守っていました。選択肢はたったのふたつ。引き返すか、それとも戦うか。どちらを選んでも悔いが残りそうな場面ではあります。
「ひ、浩之ちゃん……」
 緊張に耐えかねるように、あかりが思わず口を開きます。そしてそれは結果として、返答を催促するかたちとなりました。重い口を開きつつ、そして一言一言噛みしめるように、浩之はゆっくりと言葉を絞り出したのです。
「……綾香。オレは、この混乱の元を取り除くことこそが……最善なんだと思う。周りの国への侵攻をやめ、世界を元通りにするよう約束してくれるならば――オレたちは黙って引き返してもいい」
 そして、再び訪れる沈黙。浩之は真っ向から相手の姉妹をにらみ付けます。一方、質問を質問で返された綾香はわずかな狼狽を見せ、芹香のほうを向いてその表情を伺いました。
「………」
 ふるふると首を横に振る芹香。妹に向けたその瞳には、強い意志の力を感じることができます。
「そ、そうよね。ゴメン、姉さん……」
 そして芹香と無言の会話を交わし終えた綾香は、浩之たちへと向き直って返答します。
「もちろん……そんな約束はできないわよ、浩之」
 そして、それと同時に膨らみ始める綾香の殺気。対する浩之も、わずかな望みを断ち切って心の準備を始めます。
「そうか、残念だな」
「そうね……」
 どうやら交渉は決裂した模様です。葵と理緒はそれぞれ構えをとり、あかりも静かに精神集中を始めます。――魔王あらわれるとき勇者もまた誕生す――伝説によるならば、まさに宿命の対決ともいえるこの戦い。しかし、目の前のそれは、大いなる悲しみを伴っているようにも思えるのです。



「おおおお!!」
 大地を力強く蹴って、格闘家の葵が綾香を急襲します。いきなり懐に飛び込んでの連打。小柄な体ゆえの、下から突き上げるようなその拳。それはなかなかに避けにくいものであります。
「く、さっきより速い……!」
 否応なしに応じる形となった綾香は、そう言いつつもほとんどの攻撃を受け止めます。が、前回ほどの余裕は見られないようです。葵の放つ拳のうち、いくつかはダメージを与えることに成功しているのです。
「まだまだぁ!」
「ちょ、ちょっと……」
 葵はさらに攻撃の回転を上げます。ペース配分を無視したその戦法は、格下の相手を短時間に葬り去るやり方であるのです。つまり、とても格上の綾香に対してつかう方法ではないはずです。これではすぐに疲れ果ててしまうことでしょう。
 そのスピードにおいて他の追随を許さない格闘家同士の戦い。つまりそれは、他者の介入が困難なものになることを意味します。すると当然ながら、芹香の相手は残りの3人ということになるのです。
「先輩! ごめんっ!」
 大剣を振りあげながら突き進む浩之。その後ろには理緒がぴったりと付いていき、さらに後方には杖を水平に構えたあかりが呪文の詠唱を始めています。
 そう、魔王に対して3人がかり。葵の狙いは、まさにこの状況を作り上げることにあったのです。



「呪文封鎖!」
 あかりの呪文が完成して魔王に向かって放たれます。いかにも魔法を使いそうな芹香に対し、先手を取ってそれを封じようというのです。
 未だ呪文を唱え続けている芹香の周りに、たちまち呪文封鎖の効力があらわれはじめました。一定範囲内の空気の動きを停止させて、それによって音声を無効化するこの魔法。声とはすなわち空気の動き。相手が範囲外に移動すれば意味がなくなるのですが、それによって中断された呪文は最初から唱え直しになるのです。
 あかりの魔法の効果は完成し、相手は沈黙の空気に包まれます。しかしそれに気が付いていないのか、芹香は呪文を唱える動作を止めません。
「やった! 今だよ、浩之ちゃん!」
 そんなあかりの叫びと同時に、浩之が芹香に肉薄して武器を振り下ろします。同時に、どうやら魔王の方も呪文を完成させたのか、大きく口を開けて何やら叫んでいるようです。もっとも、停止した空気のために音声にはなっていませんが。
 ゴゥ!
 突然、大きな火の玉が発生しました。勇者と魔王との間に突如として現れたそれは、瞬く間に浩之とその後ろにいた理緒を飲み込みます。
「な……にぃ!?」
「き、きゃ……」
 火の玉が消え去るまでの数秒間、そのふたりは灼熱の嵐に翻弄されることになりました。さすがは魔王、呪文封鎖の魔法は彼女には全く効かないようであります。
「そ、そんな……」
 愕然とするあかり。無理もありません、呪文とは魔法を使うにあたって必ず必要となるもの。従ってそれを声に出すことができなければ、魔法は一切発動しないはずなのです。
「………」
 私は言葉を使わなくても意志を伝えることができますから――と済まなさそうにあかりを見る芹香。沈黙の空気の影響下にいるはずなのに、そのセリフは相手の頭に直接響きます。
「や、やるな先輩、ちょっとばかりびっくりしたぜ……」
 剣を杖代わりにしてふらつきながらも立ち上がる浩之。鎧や兜はともかく、衣服はすでに焼けこげて炭になっています。しかし彼の後ろで倒れたままの理緒は、全く動く気配がありません。
「た、大変! 雛山さん、まってて!」
 あかりが慌てて呪文を唱え始めます。察するに、恐らくそれは回復魔法なのでしょう。
 しかし、同時に芹香も再び詠唱動作に入ります。これではいくら回復しても、すぐに攻撃呪文を唱えられれば全く意味がありません。しかも、肝心の浩之はまだ立っているのがやっとであり、動くことができないでいるのです。
 そして、先に呪文を完成させたあかりは悩みます。浩之と理緒、そのどちらを回復させるかの選択です。通常ならばダメージの深い理緒から回復させるのですが、魔王の攻撃魔法が浩之に放たれると全てが終わってしまうのです。
「ごめんね、雛山さん……」
 結局、浩之を選んだあかり。水色の霧状の回復魔法が、大きく弧を描いて勇者へと向かいます。――が、その途中、横合いから飛来してきた黄色の光線が衝突してきました。
「!!」
 ボゥン!
 紙袋が破裂するような音とともに、その回復魔法は消え去ります。そして驚いたあかりが視線を向けた先には、右腕を真っ直ぐ突きだしたままの綾香の姿がありました。足元には、青い髪の少女が力無く横たわっています。
「あ、あう……」
 思わず漏れるあかりの呟き。その瞳に、静かに歩み寄ってくる綾香の姿が映ります。葵と理緒は戦闘不能となり、浩之も立っているのが精一杯。無傷なのは彼女だけなのですが、後方支援がメインの僧侶では勝てるはずもありません。
「………」
 豪炎――。芹香の呪文が完成して、あかりは炎の嵐に包まれます。多大なダメージをその身に受け、たまらず崩れ落ちる彼女。体の自由がきかなくなったその視界には、同じく地に伏している葵の姿が遠くに小さく映ります。
「あ、あかりぃ!!」
 叫ぶ浩之。しかし、立っているのがやっとという事実は今さら変わることはありません。すでに彼にはどうすることもできない状況なのです。
「バイバイ、ひろゆき……」
 すぐ近くより聞こえたその言葉とともに、彼の腹部に衝撃が走ります。そしてその意識は急速に闇に閉ざされていったのでした。



 森は再び静寂に包まれ、戦いは浩之たちの敗北という形で決着がつきました。伝説の勇者といえども魔王には勝つことが……いえ、傷ひとつ付けることすらできなかったのです。勇者とその仲間たちはことごとく倒れ、芹香と綾香はその後処理を相談しています。
「さて、どうしようか? 姉さん」
「………」
「うん、そうね、やっぱ始末するしかないか……」
 こく……芹香は力無く首を縦に振ります。そんな悲しげな様子を見て、妹は姉の肩をたたきます。
「仕方ないわよ、姉さん。この血塗られた道を私たちは選んだんだから……」
「………」
 しばしの間、無言で敗者を見つめていたふたりでしたが、やがてわずかな魔法の気配を感じました。
「う、まずい!」
 その魔力の発生源があかりであることを察した綾香は、慌てて念の集中に入ります。しかし、それが完成するよりも早く、あかりが最後の力を振り絞って魔法を放ったのでした。
「――強制……退……避」
 あかりの魔法の標的は、たまたま視界に入っていた葵。
「さ、させないわよ!」
 間髪おかず、魔法の首飾りの力を得て迎撃光線を撃ち放つ綾香。輝くふたつの光跡が、倒れたままの葵に向かって突き進みます。
 が、しかし葵に命中したのはあかりの魔法のみであり、その瞬間に綾香の光線は突然消えてしまいました。そしてすぐに、魔法の効力が発動し始めます。淡い光が葵の体を包み込み、少しずつその輪郭がぼやけ始め……やがてはそこには何も存在しなくなったのです。
 あかりが最後に放った魔法――強制退避。それはこの場より、瞬間移動にて仲間を逃がす魔法だったのです。自分自身には使用できない点と、どこに飛ばされるかわからないといった欠点はあるのですが……。
「やられたわ、私の光線は魔法に対してしか効果がないから……」
「………」
「うん、まあいいよね、これくらい……」
 こくこく。



 ……あっさり倒れた浩之たち。いえ、これは綾香と芹香が強すぎるのかもしれません。ともあれ、魔王に対抗する最有力候補が無くなってしまったことは事実。その穴埋めは、もちろんもう一人の勇者の役目なのでありましょう。
 頑張れマルチ、負けるなマルチ。この世界の未来と希望は、全てあなたの双肩にかかっているのです。次回こそはあなたの出番、主役を取られないようにしっかりと頑張るのですよ……。




<第11話へ続く>