柏木家の雀鬼たち

〜前編:東場の章〜

作 光十字



「ローン! タンピンドラドラァー!」
「あー! きったねー、ダマかよ!」
 俺は梓の捨てた『六萬』に対し、景気よく満貫をぶち当てる。ふむ、なかなかいい気分だ。他のメンツ――千鶴さんや楓ちゃんから当たるのはどうしても気がひけてしまうからな。やっぱり高い手をあがって爽快感にひたるには、なんといっても梓からが一番だ。
「ばーか。誰かさんみたく何でもリーチじゃダメなんだよ。ツイてる時しか勝てなくなるからな」
「あん? 耕一、てめー、それはあたしのことをいっているのか!?」
「他に誰がいるんだよ」
「く、くっそー!」



 ――ここは日曜日の柏木家。みんなで真っ昼間から、のんびりと麻雀なぞに興じているところである。ひょんなことからその話題になり、久しぶりにやってみようということになったのだ。
 すでに半荘(ハンチャン)を2回終了しており、結局は俺の一人勝ちという結果になった。言っちゃあなんだが、こう見えても俺は食費をコレで稼いでいたこともあるのだ。当時は金のために必死だったからな。
 ギャンブル関係も一通り経験したが、やはり確実性のあるのはヘボ相手のフリー雀荘だ。手強そうなのを避け、昼間から打ちに来ている暇なオッサンやオバサン連中から巻き上げる。競馬のように一攫千金というのは無いが、腕さえあればほぼ確実に勝てるので小遣い稼ぎにはもってこいなのだ。
「耕一さん……強いです」
「え、そうか? 楓ちゃんにあらためて言われると照れるな。でもさ、ほら、何か足りないんだよなー」
「?」
「何か、そう……刺激がないんだよ。もっと背筋がぞくぞくするような……」
 俺は梓を見ながら、話にのってこないかと目で誘ってみる。
「それは、なんだ? 何か賭けないとダメってことかい?」
 察した梓が応じてくる。にやにやした笑みを浮かべ、やる気満々なのが聞かずともわかってしまう。さすがは梓、4姉妹の中でも一番俺と気が合うだけのことはあるな。ただ、指をポキポキ鳴らしながら――というのは勘弁してほしいところだが。
「だ、だめだよ、耕一お兄ちゃん。お金は賭けたらいけないんだよ」
 俺の後でずっと観戦していた初音ちゃんが止めにはいる。うーん、初音ちゃんは当然そう言うだろうな。楓ちゃんも、無言だが目でしっかりと否定しているのがわかる。ふむ、賛成2人に反対2人か。となると決定権をにぎるのは――
「別にいいんじゃないかしら」
 千鶴さんはあっさりと承諾した。そういうことには厳しい人だけに、俺としてはちょっと意外だったりするのだが……。まぁ、もしかしたら客人としての俺の意見に気を利かせてくれたのかもしれない。
「で、でも……」
「心配ないわよ、初音。別にお金を賭けようっていうわけじゃないから」
「え?」
 え? ――何を言い出すんだ、千鶴さん?
「つまりね、次の半荘に賭けるものは――」
 は! まさかっ!
 俺は急速に接近してくる恐怖を感じた。しまった! 成り行き上、千鶴さんに主導権を握られたのは痛恨だった! あ、梓のヤツも気が付いたようだ。瞬間的に引きつった顔がそれを物語っている。
 しかし、そんな俺たちをあざ笑うかのように、千鶴さんは賭事の景品となるものを発表してしまった。
「――勝負に勝った者が、今晩の食事を作るのです」



 うかつだった。俺は久しぶりに自分の軽率さを呪った。そう、ここ柏木家においては常に意識しておかなければいけなかったのだ。一番恐ろしい鬼が食事の調理権を狙っていることを……。しかもいったん千鶴さんがそう決めてしまうと、それを覆すことはほとんど無理だということも。
 いや、それでもまだ救いはある。先程まで一緒に卓を囲んだ感じだと、心配は全くいらないはずだ。悪いが、千鶴さん程度の雀力ではフリー雀荘で鍛えた俺の敵ではない。しかも今日は配牌もツモもすごぶる調子が良い。断言してもよいが、千鶴さんに後れをとるなんてことは絶対にありえない。
 そう思っていた。が、しかし――
「それでは耕一さん、初音と代わってあげてくださいね」
「はい?」
「だって、耕一さんに晩ご飯を作ってもらうわけにはいきませんから」
「……」
 むう、確かに。そう言われてみればそうだ。千鶴さんの笑顔の奥にそこはかとなく策略の臭いを感じつつも、これには反論は難しい。梓のすがるような視線を受けながら、仕方なく初音ちゃんに席を譲る俺。心の中で真っ黒な暗雲が次第に広がっていくのを感じながら……。



 そしていよいよ、晩飯の調理権を賭けた戦いが幕を開けた。つまるところ、俺の為に誰が作ってくれるかという争いなだけに、男として非常に嬉しいことだ。この上ない光栄である。だが、その結果によっては地獄への重い扉を開け放つ儀式ともなりかねないのだ。うむむ、千鶴さんには申し訳ないが、ここはぜひとも他の3人の誰かに勝ってもらいたい。
 さて、この辺で各メンツの特徴などを述べてみよう。
 俺の見たところ、やはり本命は梓で決まりだ。あの攻撃カを重視した手作りは破壊力があり、それなりに理にかなっている。相手に応じた細かい打ち回しはできないが、逆に言えば迷いが無いということにもなる。それが結局は攻撃力アップに繋がる場合も多い。
 対抗は楓ちゃん。状況に応じた手作りの柔軟さ、相手との押し引きなど、麻雀のセンスは姉妹中一番だ。守りに重点を置いたその打ち回しは、いったん大きな手をあがられると簡単には逆転させてくれない。ちょっと非力さはあるものの、あの梓の攻撃をうまく捌けるのは楓ちゃん以外には考えられない。
 初音ちゃんは初心者なので、ほとんど期待はできない……らしい。いや、ずっと俺の後で見ていただけなので全く知らないのだ。気持ちとしては応援してあげたいのだが、まあ、千鶴さんに振り込まない事を祈っていよう。ごめんな、初音ちゃん。でも、聞いた話だと妙にドラが集まってくるらしい。運が良ければ、ひょっとするかもしれないな。
 そして問題の千鶴さん。気になる麻雀の腕は……実はよくわからない。いや、つかみどころがないというべきか。危険牌を勝負しているかと思えば実は降りていたり、得意げにリーチをするかと思えば引っかけリーチだったりと、どうも気分次第で手を進めているとしか思えない。もっとも、まだ本気になっていないだけなのかもしれないが。
 ――以上がオレの予想なのだが、しかし、やはり勝負はふたを開けてみなければわからない。最悪の事態になる確立は低いと思うものの、そうなった時の代償があまりにも巨大である。そしてそれは他の3人もわかっているはず。先ほどから梓と楓ちゃんは互いに視線を交わし合って目で会話をしている。恐らくは、千鶴さんだけには勝たせないようにという事なのだろう。
 頼む、千鶴さん以外のみんな、頑張ってくれ! そしてごめんね、千鶴さん!



 卓上にサイコロが投げられ、座る場所と親が決められた。
 起家は千鶴さん。そして南家は梓、西家は楓ちゃん、北家の初音ちゃんとなる。姉妹の順で実にわかりやすい。ルールはありあり、半荘一回、赤ドラは無し、西入も無し、誰かが箱割れ(持ち点棒が無くなること)すればそこで終了となる。
 さて、東一局、注目の第一打。千鶴さんは少し考えて『北』を捨てた。
「ポン!」
 すかさず南家である梓の軽快な鳴きが響き渡る。そして捨て牌は『五萬』。
 ふむ、梓のヤツ早くも仕掛けたか。やや品が無いように見えるこの鳴き、しかし千鶴さんの親を蹴るという一点から考えれば合理的だと言えなくもない。
 梓の鳴きを見て、楓ちゃんが少し眉をひそめながら牌を捨てる。こういった一直線で露骨な仕掛けは、柔軟性をモットーとする楓ちゃんの好みではないのだろう。尚、捨て牌は『西』だ。
「ポンッ!」
 再び入る梓の鳴き。そして卓上に捨てられるのは『三索』。
 なるほど、間違いない。これは筒子の混一色(ホンイツ)の仕掛けだ。オタ風2枚を一鳴きとはちょっとアレだが、まぁ一直線な梓らしい手作りとも言える。ちなみにドラは『七筒』、ドラ色だけに馬鹿にはできないこの混一色。当然、親への牽制にもなる。
「ちょっと梓、人が親の時に変な事しないでよ」
「へっへーん、こんな親、速攻で流してやるよ」
「まあ、覚えてらっしゃい!」
「おっ、その『三筒』チー! 悪いねぇ、千鶴姉」
「く……」
 2人のそんな会話を交えながらも場は進んでいく。俺はみんなの後ろをさりげなく回って手牌をのぞき見ることにした。
 ……梓め、さすがに聴牌(テンパイ)してやがる。お、楓ちゃんは好形の一向聴(イーシャンテン)か、やっぱりスジがいいよな。ふむふむ、初音ちゃんはドラが4つね、うわさ通りだな。
 そして気になる親なんだが……、げっ、今、聴牌したぞ。そして、千鶴さんは後を振り返って俺に笑顔を向けてくれた。
「耕一さん、少し待っていてくださいね。おいしい晩ご飯を作って差し上げますから」
「う、うれしいよ、千鶴さん」
 俺が震える声でなんとか返事を絞り出すと、千鶴さんは卓上に視線を戻して宣言した。
「覚悟しなさいよ、梓。それ、リーチッ!」
 カチーン! 牌を横に置く景気のいい音。楓ちゃんと初音ちゃんが、ビクッと体を震わせる。しかし……
「悪いねぇ、千鶴姉。リーチ棒はいらないよ」
 と言いつつ自分の手牌を倒す梓。
「え……」
「その『四筒』当たりだよ。ホンイツだけ、2000点。はい、ご苦労様でしたー」
「う……」
 張り切ってリーチ棒を卓の上に置こうとした千鶴さんは、そのままの姿勢で硬直する。
「どれどれ、どんなリーチだったのかなー?」
「あっ、だ、だめよ、梓っ!」
 手牌をのぞこうとする梓に対して、荒てて硬直から立ち直る千鶴さん。しかし、梓は素早くその手牌を倒してしまった。そしてあらわになった親の待ち牌は……カンチャンの『七筒』であった。『四筒』を切って『七筒』待ち――俗に言うスジ引っかけリーチってやつだ。
 このスジ引っかけリーチ、というやつ。決して誉められた待ちではなく、むしろ素人をだます類の「こずるい待ち」と言われている。とはいえ、別にルール違反でもなく、親番でもあり、先に梓が仕掛けているといった状況を考えると、ある程度はやむを得ないともいえる。しかし、やはり恥ずかしい待ちであることには変わりはない。
「あーっ! ひっでぇ、即引っかけかよ! でも、誰もださないよ、そんなカンチャンの『七筒』なんて」
「そ、そうかしら? でもスジだし、誰かが降りて捨ててくれれば……なんて。ねぇ、耕一さん?」
 い、いや、俺に振られても困るんですけど。しかし、返答に窮している俺の代わりに楓ちゃんが代弁してくれた。
「……千鶴姉さん、『七筒』はでないと思う。梓姉さんの染めている色だし、それに何よりドラだから」
「で、でも楓、まだツモるかもしれないじゃない。そうよ、そ、そんな予感がしたのよ」
「え? ドラ? 『七筒』だよね。それなら私のところに全部あるよ。次にカンするつもりだったから……」
 あがく千鶴さんを、何も知らずに奈落の底にたたき落とす初音ちゃん。そしてさらに楓ちゃんの追加ダメージが加わる。
「それに、ツモるつもりなら、リーチをかける必要はないと思う……」
「……」
 かわいそうに。千鶴さんはついに沈黙し、顔を赤くしてうつむいてしまった。しかし、俺も自分の命が大事だ。とりあえず、親が流れて良かったとしよう。
 でも、なぜ料理なんですか? そうじゃなければ純粋に応援できるのに……。



 次は東2局、梓の親である。千鶴さんの親が流れたのは歓迎すべき事だが、点数的にはほとんど差は無い。まだまだ予断を許さないといったところだろう。俺は今度は初音ちゃんの後から戦況を見守ることにした。
「リーチ!!」
 梓の元気な声が卓上に響く。横向きに置かれた捨て牌は手出しの『四筒』、ちなみに7巡目である。尚、手出しというのは、ツモってきた牌とは違う牌を捨てることを指す。
 ほう、先制の親リーチか、調子良さそうだな。捨て牌から察するに筒子の混一色くずれってとこか? 一気通貫(イッツー)まで伸びているかどうかだが、どちらにしろ筒子が本命だろう。他の色の待ちも考えられるが、その場合は聴牌をとらずに強引に筒子に染めてしまうに違いないからな。梓の場合は。
「……」
 楓ちゃんは親の捨て牌に視線を落とし、少し考えての手出しの『二筒』!
 こ、これは強いぞ!? 少なくとも、親のリーチの一発に切る牌じゃないはず。それで、どうだ? どうなんだ?
 沈黙の数秒間が過ぎ去る。ふむ、どうやら通ったようだ。
「チッ」
 梓は楓ちゃんを軽く睨む。しかし、相変わらずの無表状で卓に視線を落としたままの楓ちゃん。南家の彼女の捨て牌はタンピン系だが、ドラがあるかどうかは不明である。もちろん聴牌している可能性は非常に高く、しかも梓のリーチの現物で待っていることまで考えられる。
 さて、次の初音ちゃんが引いた牌は――ドラの『八萬』。後で見ていると良くわかる、なぜこんなにドラが来るんだろう。これにテクニックが加われば恐しい存在になるのだがな。
 そして、初音ちゃんは小首をかしげながら、梓の現物の『九萬』に指をかける。勝負に出ている楓ちゃんに対しては無スジで安全牌ではないが、初音ちゃんにそこまで察せよというのは酷というものだ。
「現物だよ」
 梓を見ながら牌をそっと置く。……うむ、楓ちゃんにもセーフなようだ。
 俺の位置からは千鶴さんの手牌も見える。ふーむ、やはり梓の現物を切るようだ。
「仕方ないわねぇ……」
 そう呟きながら、打『北』。まあ、楓ちゃんにも通りそうだな。
「ようし、一発でツモってやるよっ!」
 梓が袖をまくる動作をして、指に力を込めてツモ牌を引き寄せる。その瞬間、場が張りつめて全員の神経が集中する。
 が、しかし――
「チェッ、駄目か」
 そして放り出すように『一筒』を捨てる。場の空気が元通りにやわらぐ中、その捨て牌を見ていた楓ちゃんの動きが僅かに乱れた。ピクッと一瞬だけ反応したようなそんな感じだ。誰も気が付いていない様だが、少し気になるな。楓ちゃん、その近辺の待ちなのか? それともひょっとして、当たり牌の見逃しとか? ――いや、まさかね。
「……」
 楓ちゃんは静かに『中』をツモ切る。生牌(ションパイ)だ。混一色気味の梓のリーチには、当然ながら危険牌。
 間違いない、楓ちゃんも聴牌している。しかもリーチをかけないところをみると、梓の現物……特に『四筒』のスジ、もしくはその辺りが大本命ってところか。
「ふうん、そうくる訳ね」
 『中』を眺めた梓は楓ちゃんを再び睨む。しかし、それを重ねて無視する楓ちゃん。うむむ、なんだか緊迫した雰囲気になってきたぞ。
 そして初音ちゃんのツモ、『八萬』。すごい、ドラが3つになったぞ。そして捨てるのは再度『九萬』。対子(トイツ)落としってやつだ。
「梓お姉ちゃん、どうしたの? 怖い顔をして」
 状況を理解できるはずもない初音ちゃんだが、妙な雰囲気は感じ取ったようだ。少し遠慮ぎみな笑顔を梓に向ける。
「……」
「放っておきなさい、初音。どうせ変なリーチでもかけて後悔してるのよ」
 梓の沈黙を見て、千鶴さんが初音ちゃんにさとすように言う。
「な、なにいっ。さっきの千鶴姉のド引っかけリーチに比べれば100倍ましだね!」
 さすがにこれには声を大にして反論する梓。まぁ、気持ちはわからないでもない。
「――さっきよりひどいリーチは、なかなか無いと思う」
 コクリと肯きながら会話に参加してくる楓ちゃん。反目し合っていた2人だが、こと千鶴さん相手となると速攻で同盟関係が成立するらしい。
「な、なによっ、あなた達……。べ、別にルール違反じゃないからいいじゃない!」
「まーね、悪くはないよ、悪くはね。それよりも早く捨てなって、それで当たってあげるからさ」
「い、言ったわね。それじゃ当たってみなさいよ、これで当たれるものならね!」
 と言って叩きつける音とともに千鶴さんが強打したのは、なんと『四筒』!
「なんだ、現物じゃないか。期待して損したよ」
「ふんっ、悔しかったらそれであがってみなさいよ」
 確かに梓のリーチには現物。だが――
「ロン……」
「えっ?」
 小さいが、威圧感を伴って響く楓ちゃんの和了の声。千鶴さんは完全に意表をつかれたようだ。
「タンピンサンショク」
「う」
「満貫で8000点……」
 そしてダメ押しの点数申告、ちょっと千鶴さんが可哀想かな? ちなみに正確には7700点なのだが、ここ柏木家のルールでは8000点扱いだ。
「楓のヤツ、やっぱり張ってやがったな。それにしても、あたしの『一筒』は見逃しかい? 甘く見られたもんだね」
「……それだとピンフのみの1000点だから」
「へいへい」
 なるほど、タンヤオと三色が消えるから安めは見逃しね。普通に考えれば、これは甘い打ち方だとは思う。親のリーチに対して勝負をするにはリスクが高すぎるからな。
 しかし、千鶴さんにトップを取らせないことが第一条件である今回の状況。もしも梓に振り込んでしまっても、それはそれで構わないといった考え方だって成立してしまう。楓ちゃんがそこまで考えていたかどうかはわからないが、いつもの打ち筋でないのは確かだな。本来、守備を重視する打ち手のはずだから。



 とりあえず、点棒の大きな移動があった。千鶴さんから楓ちゃんへ8000点の放出だ。これは大きい。
 そして東3局、自らあがって親番を引き寄せた楓ちゃん。通常ならば調子が良くなるところだが――ほう、なかなかの配牌だな。軽いけれども早そうな手だ。
 しかし、俺が後に座ると、楓ちゃんはかなり気になるようだ。明らかに落ち着きが無くなり、こちらをチラチラと見るようになる。頬に赤みがさしているようにも見えるのは気のせいか?
「リ、リーチ……」
 4巡目に楓ちゃんはリーチをかけた。うむ、ドラは無いが5面待ち。安目だとリーチのみであるが、待ちの広さと裏ドラを期待して、これは当然の選択と言える。リーチ・ツモ・裏ドラ1つで6000点、高めだとピンフもつく。ちなみに待ちは、『一・四・七・二・五萬』だ。
 ただ、問題は梓である。現在のところは一向聴(イーシャンテン)であるが、門前混一色(メンホン)なので破壊力がある。ドラはこの2人には1枚も無いので、どうせ初音ちゃんとこに固まってあるに違いない。
「親のリーチだよね……」
 困ったような顔をする初音ちゃん。そして選んだ捨て牌は『八萬』。
「……!」
 少し驚いたような感じで、初音ちゃんの顔をみる楓ちゃん。
「へぇー、珍しくキツいところを通すな」
 梓も意外そうだ。確かに初音ちゃんのイメージとしては、遠慮がちのおとなしい麻雀を打ちそうな感じはする。
「え? そ、そんな事ないよ」
 やや照れつつも謙遜する初音ちゃん。もしかして、勝負手なのかな?
「親の一発は遠慮しようかしら」
 千鶴さんはそう言って、『八萬』を初音ちゃんに合わせ打つ。
 そして次は梓のツモ。
「おっ!? 来た来た。こいつを待っていたんだよ!」
 梓の歓喜の叫びがあがる。何ぃ? あの手を聴牌したのか?
「通らば……追っかけリ―チだ!」
 梓の剛腕によって卓上に叩きつけられた牌は『西』。そしてそれは通った!
 俺はもう一度、後から梓の手牌を覗き見る。リーチ・門前混一色・北の満貫確定、待ちは『七・八索』の変則待ちだ。ツモったり裏ドラがのれば容易く跳満(ハネマン)までいってしまう。待ちの広さでは楓ちゃんに及ばないものの、破壊カはケタ違い。さすがは梓、楓ちゃん大ピンチか!?
「……」
 相変わらず無ロではあるが、僅かに焦りの色が伺える楓ちゃん。梓のリーチは見るからに索子の混一色であり、それは楓ちゃんほどの力量ならば理解しているはず。そして、祈るようにツモってきた牌は『二索』、梓のリーチのド危険牌であった。まぁ、後で見ている俺には安全牌だとわかってはいるのだが。
 楓ちゃんは、その牌をしばしの間唖然と見つめていたが、やがて観念したようにツモ切った。リーチをかけているのでそうするしかない。震える手で捨てたその牌は、もちろん通った。
 小さく安堵の溜め息をつく楓ちゃん、だが、すぐに別の場所より新たな火の手が上がる。
「えっと、リーチぃ」
 初音ちゃんの追っかけである。そして打牌は『八萬』。
 ……卓上を見えない動揺が駆け抜ける。そう、みんな知っているのだ、この子にはドラが必ずある事を。しかも、今回はさらにもう一言があった。
「耕一お兄ちゃん、ちょっと教えて欲しいの。待ち牌が多くて良くわからないの……」
 他の3人はそれぞれ互いに視線を交わし合う。
「ち、千鶴姉、初音が何か物騒な事を言ってるよっ」
「そうね、今度は幾つあるのかしら……ドラ」
「最低3つはあると思う。それより少なかった事、今までに無いから……」
 そんな尋常でない会話を聞きながら、俺は初音ちゃんの背後へと移動する。
「ごめんね、耕一お兄ちゃん。これとこれとこれが当たりなのはわかるんだけど、まだ、あるのかな」
 ふむ、変則4面待ちか。しかも、しっかりドラは4つあるし……。
「いや、もう一つあるだろ。ほら、こいつも当たれるぞ」
「え? あ、ほんとだ。すごい! お兄ちゃん!」
 初音ちゃんの喜びとは裏腹に、他のメンツには重苦しい雰囲気が立ちこめているようだ。
「4面待ち……」
「そのようだな、でもこっちだって後には引けねぇぜ」
 そりゃそうだろ、楓ちゃんと梓は既にリーチしているからな。めくり合って勝負するしかない。
 ちなみに初音ちゃんの待ちは『三・四・五・六筒』。実は4面待ちとはいえ、自分で7枚も使っているので待ちとしては普通なのだ。役は今のところリーチドラ4で、高めだと三暗刻(サンアンコ)もつく。さてさて、どうなることやら。
 3人リーチに押されている千鶴さん、みんなに通る安全牌なんてそうそうあるものではない。他のメンツをそれぞれ疑うようなまなざしで睨み付け、静かに牌を捨てる。『西』だ。
「だー! これじゃねー!」
 ダンッ! 梓の、捨て牌を叩きつける音が響く。
「通して……」
 スタン。牌に祈るような感じの楓ちゃん。
「こ、この牌こわいな」
 タン。みんなの顔を伺いながら、怯えたように打牌する初音ちゃん。
「ちょ、ちょっと、あんた達、さっさと振り込み合いなさいよ……」
 パシッ。千鶴さんは安全牌を必要以上に強く卓に打ちつける。……どうやらベタ降りのようだ。
 四者四様、見ていてなかなかに面白い。千鶴さんが降りている以上、俺としては誰があがってもあまり関係はないのだ。しかし、冷静に見るならば、やはり楓ちゃんかな。5面待ちなだけにかなり有利なはず。
「よっしゃー!!」
 ガゴンッ!
 しかし、牌を手元に叩きつけて勝利を収めたのは、なんと梓であった。
「みんな悪いな、裏ドラは無いけど跳満だ。6000、3000持って集合だね!」
 うーむ、さすがは剛腕・梓。トップ目が親の時に跳満をツモりきるとは侮れない。これで2位の楓ちゃんに1万点以上の差をつけてトップ逆転か……しかし、何だか場が荒れてきたな。



 そして迎えるは東4局、東ラスだ。親は、なぜかドラが集まってくる初音ちゃん。その小さな手で転がした2つのサイコロの合計は「7」、梓の山からだ。トップを目指すならばぜひともここで大きなあがりが欲しいところだな。
「うーんと、これ、カンだよ」
 配牌を並べ終わった直後、それが親の第一声だった。開始したばかりのいきなりのカンで、しかもその牌は『七萬』。は、初音ちゃん? そのカンはちょっとセンスが悪いかもしれないよ……。
「いきなりかよ。あれ? そういえばドラをまだめくっていなかったな……」
 そういいつつ、ドラ表示牌を裏返し忘れていた梓がその牌に指をかける。――が、その動きが突如、凍り付いたように静止した。
「まさか、ね……」
 その視線は初音ちゃんがカンしたばかりの『七萬』に釘付けだ。
「いえ、梓。それは十分にありえるわね、この子の場合……」
「うん、千鶴姉さんの言うとおりだと思う。私はもう諦めているけれど……」
 個人的には信じられないのだが、今までに長く卓を囲んできたメンツたちの言うことは、やはり一味ちがうようだ。梓も観念したようにドラ表示牌をめくる。
 予想通り、というべきだろうか? その表示牌は『六萬』だった。つまり、ドラは初音ちゃんがカンした『七萬』であったということになる。
「……はあ」
 口をそろえて小さくため息を付く3人。うーん、わかっているドラをカンされるより、明らかに精神的なダメージが大きいよな。
「あ、ドラだったんだ」
 一方、天使の微笑みを絶やさない初音ちゃん。王牌より一牌ツモって、どれを捨てようかを考えている。そして俺は一応、梓に催促する。カンドラを見せるのを忘れていると思ったからだ。
「梓、暗カンなんだからもう一枚ドラめくれよ」
「あ、そうか、カンドラか――って、ま、まさか!」
 梓の指がカンドラ表示牌にかかったまま、再び停止する。もちろん、俺にもピンときた、梓の言わんとするところを。いや、しかし、いくら初音ちゃんだからといって……さすがにそれはないだろう。
「まさか……いくらこの子だって……」
「うん。さすがに、そこまでは……」
「そうだよ梓、考えすぎだって」
 初音ちゃん以外のみんなで、その可能性を否定してみる。というか認めたくない、そんなこと。
「そ、そうだよな。それじゃめくるよ、そりゃっ!」
 カッチン……と音をたてて半回転したカンドラ表示牌は、その正体を公のもとにさらけだす。
 ――『六萬』。
「いやぁあぁぁ!」
 梓の絶叫が響く。残りのメンツも目を疑っている。そりゃそうだ、いきなり親のドラ8確定だもんな……。麻雀歴の長い俺も、こんなのはさすがに見たことがない。
「ま、まぁ落ち着きなさい、梓。たぶん大丈夫よ、初音はいつも聴牌は遅いから……」
「あの、リーチぃ……」
「……」
 みんなごめんね――というような苦笑いを浮かべ、捨て牌の『八萬』を横に向けてリーチを宣言する初音ちゃん。千鶴さんは言いかけたセリフをそのまま飲み込んでしまう。
 はぁ。聞きしにまさる初音ちゃんのドラ、もはや神懸かりと言ってもいいんじゃないだろうか。先ほどセンスが悪いなんて思った俺のほうが、どうやら未熟だったような気さえしてくる。
「げ、現物なんて無いわよ……。まぁ、ダブルリーチじゃないのがせめてもの救いね」
「千鶴姉、そういう問題じゃないって……」
 パシィ! 意を決したように『一筒』を叩ききる千鶴さん。初音ちゃんに振り込めば、もちろん点棒は無くなってしまってこの麻雀は終了となる。ある意味、俺としてはそれが良いのだが……。
「ラッキー! 『一筒』は通るのか、それじゃ、あたしも……」
 千鶴さんが切った牌に合わせ打つ梓。いま通ったばかりの『一筒』をそそくさと捨てる。
「……チー」
 まだ迷いがあるような素振りで、梓の『一筒』を鳴く楓ちゃん。ふむ、これは単なる一発消しだろうか? まめな楓ちゃんの性格を考えるに、十分にそれは考えられる。しかし、それが最善である保証など、もちろんあるはずもないのだが。
「あ、ツモっちゃった」
 みんなの顔をすまなさそうに見回しつつ、それでも喜びを隠しきれずに初音ちゃんが笑う。そう、楓ちゃんの鳴きは結果として裏目となってしまったのだ。
 リーチ・ツモ・ドラ8の倍萬(バイマン)、しかも親。これで一気に初音ちゃんがトップにおどり出たことになる。
「……これは仕方ないわね。8000オールでいいの?」
「まあ、裏ドラがのらなかっただけでも良しとするか」
 さすがに上の姉2人には、楓ちゃんを責める気は全くないようだ。俺も少しホッとする。
 しかし……そういえば今までの局、初音ちゃんのところに3枚以上かならずあったもんな、ドラが――。逆に言えば、他の3人には全くドラは無いという事か。これは、やってみると結構つまらない麻雀なのかもしれない。
「えへ、ありがとう。でも、ごめんね……」
 いや、この初音ちゃんの笑顔が拝めるのなら、十分にお釣りがきちゃうんだけどね。



 楓ちゃん、梓、初音ちゃんと立て続けに大きな手が炸裂し、一気に荒れ場の模様を呈してきたこの半荘。それらのダメージをことごとく被っている千鶴さんは、残りの点棒はあと4000点という酷い状態となっている。1本場である今、3900点を振り込んでも、あるいは親に満貫をツモられても、勝負はもう終わってしまうのだ。千鶴さんには申し訳ないのだが、それが俺としては歓迎すべき展開ではある。
 しかし、この嵐のような状況、恐らくこのまま平穏には終わらないのだろうな。そんな予感が頭の中をよぎるのだ。
 さあ、気を取り直して再び東4局の開始。初音ちゃんの連荘による1本場だ。
 今度は親は普通の捨て牌で、みんなにも特に変わった様子は見られない。先ほどとはうって変わって平穏な出だしである。ただ、ドラの『四索』はしっかり初音ちゃんが暗刻で持っていたりするのだが……。
 そして俺は、初音ちゃんと楓ちゃんの手牌が見える位置に陣取り、状況を見守っている。
 やがて7巡目に楓ちゃんが聴牌となった。断幺九(タンヤオ)、一盃口(イーペーコー)で2600点であり、待ちは『三・六萬』だ。しかしリーチには行かず、少し様子を見るようだ。尚、ドラ3の初音ちゃんはまだまだ聴牌まで遠く、今回はどうも上がれそうにない。
 数巡後、千鶴さんより『六萬』が捨てられる。しかし、楓ちゃんは微動だにしない。どうやら、千鶴さんからは初めから見逃す予定だったようだ。――やるな、点差を考えているな、楓ちゃん。
 つまりはこういうことだ。点棒の残りが4000点しかない千鶴さんより2600点を上がっても、あまりメリットはないのだ。千鶴さんの箱割れを早めるばかりであり、その割には自分の点棒が大きく増えるわけではない。トップの初音ちゃんとは26000点もの大差があり、そこからの直撃を狙うのが正しい。
 しかしながら、肝心の初音ちゃんからはなかなか当たり牌は出てこない。ドラはあるものの手は遅い初音ちゃん、字牌や端牌ならともかく『三・六萬』などのような真ん中の使いやすい牌はあまり捨てないのだ。
「ロン」
 そうこうしている間に、梓が千鶴さんより上がってしまう。
「え……」
「断幺九(タンヤオ)、七対子(チートイツ)。1本場だから3500点だ。大丈夫、まだ点棒あるはずだろ? 千鶴姉」
 楓ちゃんの思惑も空しく、情け容赦なくラス目より点棒を奪う梓。
 梓としては、これでトップの初音ちゃんとの点差は9500点。つまり、次の千鶴さんの親で満貫をツモれば逆転できるわけだ。そして千鶴さんも箱割れとなって終了し、一石二鳥などという構想を抱いているのだろう。
 そう、満貫をツモれば逆転。現実性のある最低限の条件だが、それを満たすための今の3500点な訳だ。梓にしては考えているといってもいい。



 ともかく、ようやく東場が終わりを告げ、いよいよ後半戦である南場への突入となる。現在の点棒状況は上から順に並べると次のようになる。

 1位、45000点:初音
 2位、35500点:梓
 3位、19000点:楓
 4位、  500点:千鶴

 初音ちゃんがドラ炸裂の親倍満の一撃でトップ。しかし、このまま後半戦までそれを維持できるかというと、かなり難しいだろう。すみやかに千鶴さんを箱割れに追い込むのが一番早い。もっとも、初音ちゃんにそれを狙えといっても無理なんだろうな。技術的にも、そして精神的にも。
 梓は、先程も説明したが、満貫ツモを目指すしかない。初音ちゃんからなら5200点直撃でも良いけど。どちらにしろ、千鶴さんがいつ箱割れになってもおかしくないので、早めに勝負をつけたいところだな。
 楓ちゃんはかなり苦しいと言える。点差は26000点。倍満直撃か、3倍満ツモ。それが出来なければ、千鶴さん以外の2人より直取りを狙って差を縮めていくしかない。これは、はっきり言って難しい。
 そして千鶴さん……ごめんなさい、どうかすみやかに箱割れして下さい。俺としては、千鶴さん以外の誰がトップでも構わないですから。間違っても、奇跡の復活なんてことだけはしないで下さいね……。

 そう、ただ一つの心配事は、今やみんながそれぞれトップを目指している点なのだ。千鶴さんが勝つ見込みがほとんど無くなったからと言って、最初の目的意識を失っているのが怖い。
 特に梓、そして楓ちゃん。トップを狙うのはいいけれど、チャンスがあれば千鶴さんを箱割れに追い込んで勝負を終わらせて欲しい。
 いや、何となくとっても悪い予感がするから……。





<後編:南場の章へとつづく>