wedding a bell

 

 吹き抜けるような青い空の下、りんごんりんごん鐘が鳴る。鐘の音はとても大きく、近くで聞けばあまりの大音量に耳を塞いでしまうものかもしれない。それでもその鐘の音を聞いているとき、水瀬名雪は幸せに満ちていた。何せ今日は……とても記念すべき日なのだから。とても、とても。

 

 彼女は真っ白い、まるでこの初夏の時にさえ雪を連想させるようなドレスを着ている。そう、彼女が身に付けているのはウェディングドレスだ。頭にはこれもまた真っ白なヴェールを被り、白手袋をはめている。今の彼女はまさに白そのものであり、白以外のものは彼女の蒼穹の髪ぐらいのものだった。片手には花道の最後に投げるべきブーケを手にしている。

 

 隣には、これも真っ白なタキシードに身を包んだ…彼が名雪の隣に立っていた。この良き日、これから名雪とともに歩んでいく、伴侶だ。二人は絆の強さを確かめるかのようにがちっと腕を組み合い、まさしく幸せと言うに相応しい者同士といった感じだった。

 

 既に指輪の交換は終了した。誓いのくちづけも五分前には終り、あとは外に出て花道を渡りきってから皆に振り返り、礼を述べてブーケを投げるだけだと言うのに、どうしてこんなにも心臓はどきどきしているのだろう。緊張して喉は異様に渇いているし、しきりに体中が震える。既に本番は終らせたようなものだったというのに、まるで今から始まるとでもいった感じだった。

 

 名雪は高まる胸の鼓動を抑えきれず、空いた片手で心臓の辺りを軽く押さえる。少し彼が心配そうに彼女を見やるが、すうっと彼女は深呼吸をすると、彼を見やる。その目に秘められた意志は一目瞭然…わたしは、大丈夫。

 

 何かのまじないの為か、互いの緊張をほぐすためか。ひょいと彼女は彼の頬に片手を添え、未だ教会内に二人の祝いにやってきた人が居るのも関わらず、彼にちょんと軽く(今日二度目の)キスをする。彼はまわりの目を気にして顔を赤くするが、彼女はそれも意に介さず再び彼の腕を取り教会の入り口に向き直る。

 

 心臓はまだ鼓動を早めていたが、彼女はもう大丈夫だった。心の準備は整った、あとは迎えるのみ。教会内を一陣の風が吹き抜け、柔く名雪の青い髪を波立たせる。入り口の係員に合図をすると、重々しい音を立てて、何やら古い時代を感じさせるような加工をされた木造のドアが開いた。

 

 彼と腕を絡ませ、心も身体も繋がりあわせながら、二人は外へと歩み出した。

 

 

 

 それはまるで映画のワンシーンのようだった。 

 

 嵐のような大音声で大量の拍手が巻き起こる。同時に大きい歓声が上がり、一番近くにいた人達が二人に大量の花びらを浴びせた。花びらは風に舞い上がり、空へと浮かび上がって虚空へと消える。だが参列者達の歓声や拍手は全く消えることはなかった。

 

 結婚式のラストを飾る事というので皆気持ちの高ぶりも最高潮だと思い、外の様子には二人ともそれなりの覚悟は出来ていた。しかし、まさかこれほどのものだったのだろうか? 拍手はまるで大津波のようであるし、鐘の音は尋常ではないほどに大きい。なんだか夢を見ているような気がして二人とも目をぱちくりとさせる。だがそれも一瞬の事、すぐに気を取り直すと花婿と花嫁は共に道を歩み始めた。

 

 二人を出迎えるのは大量の花びら、歓声、そして彼らの友であり家族でありまたそれぞれ違った絆で結ばれた人々の笑顔。参列者。人々はこの祝宴に相応しい格好で二人を出迎え、教会の周りでは数百年間この地に根を生やしてきた樹木たちがざわざわと、まるで今このときの二人を祝福するかのように葉が音も無く揺れた。

 

 実際にはほんの僅かな道のりだというのに、何百メートルとも何キロとも感じ取れるような石畳の道を歩きながら、花婿と花嫁は人々に向かって手を振る。彼と組んでいる方の腕、花嫁の左手の薬指にはまっている、小ぶりながらも相当の輝きを有したダイヤモンドの指輪が五月の太陽の光を受け、きらきらと光り輝いた。ゆっくりとだがブーケを持っている手を振っている為、少しばかり花びらが地面へと落ちていく。花婿も右側をゆっくりと歩きながら、隣の彼女のあまりにも幸せそうな顔に対するほんの少しの苦笑いと、それ以上の幸せをこめた顔を知らぬ間に無意識のうちに形作り人々に手を振る。

 

 そして花嫁は、花婿は見る。それぞれの意志によって形作られた人々の顔を。二人の門出を祝いにやってきた人々の顔を。

 

 自らの運命に押しつぶされかけながらも、同じ境遇に立たされていたといっても過言ではない血を分け合った姉と心を合わせ、悲惨たる運命そのものを跳ね除けた少女が居た。その少女の名は、美坂栞。そしてその後ろで笑いながら二人に向かって手を振っているのが美坂香織。栞の方は姉にからかわれてむくれた様子を見せているが、それでも二人を見る眼は羨ましがっているように見える。栞の笑顔の中に、かつて彼女の中に巣くっていたものは影も形も無かった。

 

 彼女らは二人に惜しみない拍手を贈り、妹のほうは短く切り詰めた髪が揺れるのも意に介さないように手をぶんぶんと振る。名雪という名の花嫁はそれに応えてまた手を振る。姉妹の後ろでは彼女らの両親らも控え、花嫁と花婿に同じく惜しみなど一切無い拍手を贈る。

 

 栞が口元に手を当てまるでメガホンのような形にし……周囲の喧騒に負けず、叫んだ。その言葉を聞いて花嫁は思わず顔がほころぶのを自分でも感じた。

 

 彼女が叫んだ言葉とは…『ぜったい、しあわせになってくださいねっ!』

 

 自らの能力によって自らを狩る者という名の檻に幽閉し、自己そのものをも心の奥底に封印していた少女。その隣には弟を病死に追い込んだ責は自分にあると思い、とある戒めを科すことで償いを為そうとしていた少女が居た。二人の名は川澄舞、倉田佐祐理。両者は一方が端を持ちもう一方が端を持ちながら、非常に大きい横断幕を持っている。そこには『お二方 結婚おめでとうございます』との文字が書かれている。この日のために毎晩遅くまで作業をし、創りあげたものだった。

 

 佐祐理は花嫁花婿の嬉しさが自分にも伝わってきたのか、見ている人間が幸せになりそうな笑顔を振り撒きながら、ぴょんぴょん飛び跳ねる。その笑顔に偽りは一切無く、心の底からのもの。舞の方は佐祐理とは対照的に静かに佇み、まるでこの場に存在していないような感じだが…彼女の目の中を覗き込むことが出きれば、二人の幸せを心から祝福しているのは一目瞭然と言える。ただ、彼女が花嫁を見る目つきには些かの嫉妬が混じっているようにも見受けられる。ただそれは彼女の中の少し暗い部分での事。あくまでも彼女は花嫁の幸せを願い、そして花婿の幸せを願っている。かつて剣を持ち、花婿と共に過ごした夜の帳が下りた校舎での出来事を思い返しながら。たとえ舞の中に暗さがあったとしても、それは誰しもが持ち合わせているもの。彼女もその暗い物の手綱は、しっかりと握っていた。

 

 最早彼女達は檻の中に幽閉されてはいないし、戒めを受けることも無い。魔物は消え去り、一弥という名の呪縛からは解き放たれた。道のりは辛く、厳しい物であったが、それでも彼女達は乗り切ったのだ。今この時…二人は、花嫁を、花婿を、祝福した。

 

 栞と香織より後には己の命を削り、死に至らせる奇蹟を起こし人へと転生したものみの丘に居たもの、沢渡真琴。真琴の頭を撫でながらぎこちないが、それでも真意は十分に読み取れる優しい笑みを浮かべているのがかつてものみの丘に関する過去で心に傷を負った者…天野美汐。真琴の方は、何故か両手にはデフォルメされたキツネの旗を持ち、それをひらひらと振っている。天野も笑いながら真琴が持っているのと同じ旗を持ち、振る。二人は慈しみとほんの僅かの羨望(羨望は美汐のみだが)とが入り混じった目で、名雪とその隣の男性を見つめている。美汐は彼女には珍しいといえるようなブルーの水玉模様が入ったドレスを着、真琴はオレンジと黄色の入り混じったキツネ色のドレスを着ていた。

 

 真琴以外の誰にも、親にさえ打ち明けては無いが…美汐と花婿は共にものみの丘の出来事について共有しあった仲だった。少し昔にものみの丘で起こった出来事のあと、花婿の下に真琴は還ってきた、だが美汐のもとに還ってくることはなかった。それでも彼女は自身の傷に満ちた思い出を乗り越え、今目の前で花道を歩いている男をほのかに想いながら過ごしてきた。かつての人はものみの丘のふんわりとした草の匂いと、開けた陽光の中に消えたまま戻っては来ないが、美汐の想い出のなかでは彼は少しはにかみながら、今の美汐のようにぎこちなくではあるが笑っているのだ。決して美汐は花婿に彼の面影を追ったとは思っていないが、しかし花婿の中に彼の幻影を見たことは一度や二度ではなかった。

 

 想いが成就する事は無かったものの、彼女の中に後悔の念は寸分も見られなかった。心の底にはまだ微かに想いの残滓と彼の幻影が残っていたが、それでも彼女はいつか乗り越えるだろう。彼女自身が掴む幸せとともに。

 

 彼らの為にやってきた多数の人の中に紛れ込みながらでも花婿と花嫁の二人にはすぐに分かった。人ごみの中には花嫁の母が、いつもと何ら変わる事ない笑顔で立っていた。花嫁と花婿が結ばれた直後に不運な事故に遭い、生命の境を彷徨ったことがあったが、今は後遺症も無く回復し、彼女の言によれば”元気一杯”だ。花嫁は母親の顔を見て、不思議と懐旧の想いを感じる。

 

 小さい頃は母親といつも一緒だった。買い物の時も、お風呂に入ったときも、寝るときも、いつもいつも。父親の記憶が無かった名雪にとって、母親は母親以上のものだった。いつも要領が悪くわたわたしていた自分を、暖かい笑顔で見守っていた人だった。それは小学生を経て、中高生になっても、今でも変わらないものだった。そしてこれまでも変わっていくことは無いだろう。

 

 それなのに。

 

 この胸の中のものはなんなのか。どうしてこんなにも涙がぼろぼろ落ちるんだろうか。

 

 既に本式で流したはずだというのに、今再び涙が何滴も、両目からぽろぽろと零れ落ちた。母親も涙を拭う彼女を見つめて、おそらく本人は気づいていないか意図して気づこうとしないように思われるが、彼女もまた涙を流した。隣にいた女性がそんな母親の肩を優しく抱き、慰めるように背中を叩く。母親はただ頷き、涙を拭ってもう一度顔をあげ、己の娘の顔を再び見る。

 

 涙を流した花嫁を優しく抱きながら、どうにも花婿が居たたまれない表情をする。娘は涙声で彼に礼をいい、身体を離すといまや参列者たちによって前面に出された母親を見つめる。母親の方も彼女を見つめ返すものの、どうにも瞳の中の涙を抑えることができない。

 

 そんな母親にゆっくりと近づき、名雪は一言、

 

 「いってきます」

 

 そう言うと、彼女は母親をぎゅっと抱きしめた。母親も力を込めて、花嫁を抱きしめ返す。参列者達の中から、もらい泣きの声があがった。栞や真琴達に佐祐理達も、どうにも居たたまれない表情だった。

 

 二人は抱きしめあったまま、数十秒ほどそのままでいた。やがて母親の方から身体を離し、目じりの涙を拭った。そして、自身の心の中の力を振り絞って、凜とした声で、

 

 「いってらっしゃい」

 

 そう言った。

 

 娘を送り出さなければいけないことは、身を千切られんばかりに辛い事だった。例え貰っていく人物がが旧知で完全に信用できるものだとしても、どこの世界に己の娘を簡単に差し出せる母親がいるだろうか? だが、娘の為を思えばこそのことでもあるのだ。どんなに大切に育ててきた娘だとしても、いつかは必ず送り出さなければいけないものだ。冷厳なその事実は受け止めなければならなかった。

 

 だから彼女は決断した。自分の心の中のものを全て振り絞って、娘に告げたのだ。ただ幸せを願って。娘の行く末を、花婿と花嫁の結末が幸福である事を願って。

 

 (どうか、どうか名雪を幸せにしてください)彼女は花道を進んでいく二人のうちの花婿をみやりながら、そう思った。

 

 右側、左側、花婿の旧友や花嫁の友人知人が揃い、皆が二人に向かって拍手と花びらと共に、祝福を浴びせる。その顔ぶれの中には、高校生の時に知り合った人物達も大勢いた。

 

 二人がある事故から七年後に再開を果たした当時のクラスの担任、石橋。

 

 花婿と花嫁が再会した高校生の頃、二人と美坂香織の側で笑い、陽気さと活発さで評を博した北川という男。現在は気の合う仲間とバンドを組み、昼夜問わず多数のテレビに出演している。古風な言い方をすれば”売れっ子”と呼ばれているといっても良いかも知れない。ちなみに先程の美坂香織は他の者達に秘密で彼と交際している。最も、彼らが連れ立って出かけた時は大半が彼女が彼を殴り飛ばして終るような関係なのだが。

 

 斎藤という、花嫁への恋にかつては身を躍らせた男。

 

 秋子の知り合いであり以前に水瀬家で大騒ぎを引き起こした夕実という赤ん坊と、その母親。

 

 真琴の職場の先輩である長森という女性に、その友人なのか想い人なのかあやふやな位置に存在する男、折原。

 

 川澄舞と倉田佐祐理、花婿と以前に立場上の問題から(本人の潔癖性も多分に関与しているかもしれないが)敵対していた、久瀬という名の元生徒会長。彼はどことなく納得していなさそうな顔をしながらも、仕方なくといった感じで彼らに申し訳程度の拍手を送っていた。このほかにも、本当に本当に、たくさんの人たちがいた。

 

 ああ、こんなにも。花嫁は思った。

 

 こんなにも色んな人々が、一つの目的のために、二人の幸せを祝うというただそれだけの目的の為に、こんな辺鄙な教会にまで足を運んでくれたのだ。

 

 本当に、本当にありがたかった。全ての点で、来てくれた人に今更ながら感謝した。

 

 結婚式のみならず様々な社交場に特有の、色んなものが交じり合った香りのなかを進み、花道の終わり目指して歩いていく。その中で、花嫁は周囲の人間の事に思いを寄せ、花婿の方は土壇場で行う花嫁が思いもよらないだろう事をすることを決心した。

 

 とうとう迫ってくる、花道の終わりが。途切れた先には砂利道を舗装した道路があり、道路を真っ直ぐに突っ切ればなんと湖がある。長いようで非常に短い旅も、これで終り。

 

 花婿がよくゴール地点を見極めようと花道が途切れた先に目を遣り―――――――――

 

 人垣の中から誰かが出てきて、花道の真ん中で足を止めた。丁度二人の正面に位置することとなる。その闖入者に驚き、思わず花婿は足を止めた。腕を組んでいた同じく花嫁も止まる。

 

 その出てきた人には見覚えがあった。花婿も、花嫁も、よく知っている人物だった。

 

 月宮あゆ。

 

 かつて彼らが高校生だった頃に二人の前に現れ、現れたその何週間後に姿を消した少女であった。だがその後一ヶ月の月日が流れ、彼女は今までの月宮あゆとはまるきり―――――雰囲気も、服装も、全て―――――違った姿で、二人の目の前にひょっこりと姿を見せた。この時のことを花婿は花嫁にあまり話したがらない。花嫁に分かっていることは少女が姿を消した時、花婿が花嫁からある少女の話を聞き、それからとある病院へと根気強く通い詰めていたことだけだ。そして月宮あゆは二人の前に、再び笑顔で姿を表わした。ただそれだけのこと。花婿は話そうとしないが、花嫁もその事についてあまり深く聞く気は無かった。終りよければ全て良しというではないか。それに、彼が話す事を決心するまで花嫁は待とうと心に決めていた。

 

 花婿の方があゆに向かい、口から言葉を発するかわりに目で伝えた。………いったい、どうしたんだ?

 

 あゆは花婿の目の中の意志が予想通りだというようにかすかに頷いて、隣の花嫁の方に視線を向ける。微かに大きくなる周囲のざわめきを全く気にしたようすもなさそうに、あゆは花婿に目を向ける。花嫁もまるで張り合うかのように、目の前の自分と同じ純白のドレスを着て、天使のように一種の神々しさすら兼ね備えた少女を見つめる。

 

 少女達の視線が絡み合ったこの時。

 

 時間は二人の中で大きく引き伸ばされ、無限ほどにもなった。口から発せられる言葉は無く、ただ想うだけで互いの言いたい言葉は伝わった。何なら、テレパシーと言い換えても良い。今この時、二人はとても深いところで繋がりあっていた。向かい合っている時には気がつかなかったが、その後名雪はあゆの背中に大きく、天使のように純白な羽のようなものが見えた事をかすかな驚きと妙に納得できる心持ちと共に思い出すこととなる。

 

 名雪さん、彼の事宜しくお願いします

 

 うん、もちろんだよ、あゆちゃん

 

 ―――――あ、彼結構ずぼらなところあるから一緒に暮らすと苦労するかもしれないよ。これボクからの忠告

 

 ふうん……それって、昔の彼女からのヒニクかな?

 

 そ、そんなことないよっ。ただ、前に一緒に遊んでいた頃はそんな感じがしただけで……

 

 あらら、今度はおのろけ? うらやましいなあ、そんなこと知ってて

 

 う、うぐぅ…

 

 ふふ

 

 ね、名雪さん

 

 なあに?

 

 彼の事、絶対幸せにしてね。ボクから奪っちゃうくらいだもん、そうしなきゃ承知しないよっ

 

 うん、絶対するよ。―――――でも、普通はわたし幸せにされるほうじゃないのかな?

 

 あ……

 

 あはは、でも、大丈夫。必ず、わたしに祐一、どっちも幸せになるから

 

 …うん。それだけ分かればもう大丈夫。それじゃね、名雪さん

 

 あゆは花嫁と絡み合っていた視線を逸らし、花婿の方に向けた。その時には引き伸ばされていた時間は収縮して在るべき状態に戻り、周りのありありと不安さが聞き取れる喧騒が聞こえてきた。唐突に視線を向けられた物だから少しばかり花婿は鼻白むが、すぐに気を取り直す。あゆが花婿ににこ、と笑いかけると、花婿の反応も待たず彼女は参列者の列に戻った。少しばかり花婿はいぶかしんだものの、含んだ笑みを浮かべた花嫁に腕を引っ張られて、再び歩き出す。周りの喧騒も止んだ。花婿が後ろを振り返ってみると、あゆは他の人に注意を受けていて少しばかりしょんぼりした顔つきをしていた。

 

 いよいよ花道が途切れる地点へと、この結婚式のフィナーレへと近づく。

 

 花道が終る地点が何かとても重要なポイントのように思え、二人はなぜか教会を出る直前ほどに緊張し、ゆっくりと、再び何者かに邪魔されるのではないかという思いすら巡らせながら歩んでいく。参列者たちのざわめきも遠くなり、ただとてもなだらかな、そこを歩むものにとっては異様なまでに長い道のりに思える道を進む事に、意識を集中する。

 

 燦々と太陽の光が二人の真上に降り注ぎ、参列者の上にも平等に降りそそぐ。この良き日を自然のもの全てが祝福するかのように、再び木々がざわめき緩やかで心地いい風が吹く。風に煽られたか、再び小鳥たちの集団が参列者たちの頭上を舞った。

 

 そして、二人は、花道の終わりに達した。到達すると同時に、花婿は己の計画を実行に移す心の準備をした。

 

 二人は同時にくるりと後ろを振り返り、参列者達の方を向く。花嫁は集まった人達をぐるりと見て再び前に向き直り、片手に持っていたブーケを投げる用意をした。間の悪いタイミングというかなんというべきか、そこで花婿はいきなりしゃがみこみ、片腕を花婿の足にあてがうと一気に力を入れ、花嫁を持ち上げた。俗に言う、お姫様抱っこという奴である。

 

 花婿の土壇場での急なアドリブパフォーマンスが功を奏したらしく、参列者達はますます盛大な拍手を二人に贈り、花嫁は顔を真っ赤にして恥ずかしげに花婿をみあげた。その花婿の方もも非常に恥ずかしかったらしく、顔面を紅潮させている。―――――やっぱり女の子だし、軽いんだな。耳まで真っ赤になっているのを感じながら、彼はそう思った。

 

 この時花婿に誤算があったとすれば、持ち上げられた花嫁のほうも、またある覚悟を決めたということだった。

 

 花嫁は持ち上げられた状態のまま両腕を花婿の首に回し、顔面をますます紅潮させ、彼の顔を花嫁の方へと向けさせる。ますますざわめきは大きくなる。舞と佐祐理と栞と美汐は、これから起こる事を見るまいとし、視線を思い思いの方向に逸らした。

 

 「いくよ」と花嫁が囁き、花婿は心の奥底ではどんなことがあるのか薄々分かっていながら、表面的には理解していないときに浮かべる曖昧な表情をそのまま浮かべた。

 

 ぎゅっと花婿の首に両腕を巻きつけ、花嫁は彼にキスをした。まさしく映画みたいな感じだった、と花婿は後日花嫁に語った。

 

 結婚式の参列者達から一際大きな歓声があがり、二人を包み込んだ。まばらな拍手も起こり、一部の人間(勿論あのシンガー、北川も加わっている)が指笛を、鋭い高音で吹いた。

 

 ちょっと間を置いて、二人が顔を離す。互いに笑いあい彼が花嫁を優しく地面に降ろすと、改めて今さっき出てきた教会に、参列者達に向き直る。

 

 彼らの眼前に広がっていた教会は、とても綺麗だった。いや教会だけでなく、澄み渡った空も、時折宙を横切っていく鳥の姿も、周りの木々も、参列者の一人一人でさえも、何もかもが秀麗で、冴え渡っていた。

 

 例え世界の本質が不条理と矛盾のようなものだったとしても、今この場にそんなものは一欠けらも存在していなかった。全てが正常であり、全てが笑いたくなるほど綺麗で、全てが素晴らしかった。

 

 木々が醸し出す芳香を吸い込み、二人はまた顔を見交わしあう。

 

 そして、これぞ締めくくりといわんばかりに、最高の笑顔で笑いあう

 

 花嫁は花道の向こう側の湖の方を向き、ブーケを投げる用意をした。参列者達がざわめく。

 

 「1、2の、3!」掛け声とともに名雪はブーケを空高く、参列者たちの方へと向かって放り投げた。ブーケはどんどん距離を伸ばし、人々を乗り越え―――――

  

 ―――――やがて、ある少女の手にそのブーケは、まるで最初からその手の内に納まっていたかのように、ぴったりと納まった。周囲の人たちが声をあげ、少女は戸惑いと喜びを隠せずにブーケと花嫁を何回も見比べた。その、少女の名は―――――

 

 一足早いジューンブライド、この大きく晴れ渡った五月二十九日。全てが素晴らしいものであり、花婿と花嫁が結ばれた日。

 

 その日は、この教会の鐘の音が、とても素晴らしく鳴り響いた。 

 

                                  <終>