*** 注意 *** 
本作品は社会的に問題ある表現・思想が含まれているダークSSです。
フィクションの一つとしてそれらを許容できる方のみ、お読み頂く事をお勧め致します。
それと、瑞佳・みさき・名雪・観鈴などに思い入れの深い方はご覧にならない方が良いかも知れません…。





















“えいえん”研究会


        
by.Atsu





「あの泥棒猫、絶対殺してやるんだから…」

搾り出した声の代わりに、私はグラスに残っていた液体を喉に流し込んだ。
液体の名前は覚えていない。ファームとか何とかいうこのバーの名と同じに忘れてしまった。
店に来てから覚えてるのは…私を店に連れてきたあの薄情者、七瀬留美が帰ってしまったことだけだ。
『元気出すのよ、瑞佳』
彼女が残した言葉はたったそれだけ。
理由は言わなかったけど、明日が土曜で日頃乙女を(未だに)標榜している彼女のことだ。恋人に寝不足の顔を見せられない、とでも思ったか。
こんなに落ち込んでいる私よりも男を選ぶ。女の友情とはこんなにも脆いものらしい。

(だから、友達でもなかったあの女がああしたのは当然だって言うの…!?)

アルコールの回った身体から再び、あのおぞましい“泥棒猫”への憎悪が噴き出してくる。
いや違う、あの女を猫に例えるなんて猫に失礼だ。
あの胸、あのお尻、あの食欲。年中発情期の豚女こそ相応しい呼び名だ。
私の浩平を奪ったあの女―川名みさきには。


「ちょっと、いいかな?」

…突然声をかけられたのはその時だった。
ふと気づくと、薄暗い店内の人気はほとんどなくなっていた。残っているのは私と、今声をかけてきた店のマスターだけだ。
「さっきから見てたけど…あまりいいお酒じゃないようだね」
「放っておいてくれませんか」
年の頃は私と同じくらいだろうか。落とした照明の中でもそれと分かる整った顔立ち、触り心地の良さそうな髪、少し病的に白い肌。浮かべた笑顔はとても温和だ。
「何か辛いことがあったんだね」
「関係ありません」
だけど、その笑顔が何の役に立つの?
「何だかこっちまで辛くなるんだ。そうして無理に強がってる君を見てると」
「だったら私を助けてくれるんですか?縁もゆかりもない貴方が?何で悩んでるかも知らないのに?」
きっ、と私は男を睨む。
下手な同情がこれほどおぞましいとは思わなかった。あるいはナンパでもする気なの?もしそうだとしたら、私…!


「殺したい人が、いるんだろう?」
…私の思考は、そこで止まった。


「さっき君が言ってたの、聞いてしまったんだ。盗み聞きする気はなかったんだけどね」
「………」
「ああ、詳しい事情は聞くつもりはないよ。ただ、これが役に立つかも知れないと思っただけだから」
「……(名刺?)」
「僕も実は、そこで悩みを解決してもらったことがあるんだ」
「………」
「大した効果だよ。宗教みたいな、信じる人も救えないようなものとは違う。多少のお金と引き換えに、間違いなく君の悩みを解決してくれるはずだ」
「………」
「そして、君を新しい世界に導いてくれる」
「………」
「まあ、今は何も考えなくていいよ。明日になって、アルコールの抜けた頭でもう一度考えてくれればいい。そして昨夜のは気の迷いだったと思うのなら、これは破ってくれて構わない。僕も二度と勧めはしない。ただの夢だったと思って忘れて欲しい」
「………」
「でも、もし、気持ちが変わらなかったら…」


何故そうしたのかは分からない。
私は結局、“それ”を手にしたまま店を出た。








翌日の目覚めは最悪だった。
ねとつくガーゼで覆われたような頭、不快な衝撃を絶え間なく突き上げる胃。
飲み慣れないお酒の代償は予想外に私を苦しめ、洗面所に何度も足を運ぶ羽目になる。
そのせいで、見まい見まいとしていたお揃いの歯ブラシをついに視界に入れてしまった。
そして余計に辛くなるだけだと頭の片隅で理解しつつ、私はそれを手に取ってしまう。
もう二度と使われることのない、あの人―折原浩平の名残を。


浩平は本当に私を愛してくれた。
いつも素直じゃなかった彼だけど、お互い一人暮らしを始めて二人きりの時間が増えてからは驚くほど素直になってくれた。それこそ私が恥ずかしくなるほどに、熱い言葉を贈ってくれたものだ。
もちろん私も負けはしなかった。出会った時から彼を見続け、世界中の誰もが彼を忘れても私だけは忘れなかったのだ。時には静かに散歩しながら、時には幼い頃のようにじゃれあいながら、そして時には激しくお互いを求めながら、永遠で一瞬で、私にとっての全てである感情を彼に注いだ。
私以上に浩平を愛せる人間などいないと、本気でそう考えていた。

ああそうだ。だからこそ私は寛容になれたのだ。私達の絆、私達の仲は切れることはないと信じていたから。
“恋人と性欲の対象は別”という男の勝手な理論も、納得はできなかったが許容はしてあげた。
彼の部屋でビデオや本を見つけてしまっても、浩平が焦るくらい冷静に対処できた。
『週イチでさせてるのに何が不満なの!?』と愚痴る佐織に、それだけじゃ男の子は満足できないんだよ、ビデオくらい我慢してあげなよと分かった風な口をきくこともできた。
浩平が他の女の子…澪ちゃんやあの女と会っていることも黙認できた。
偏狭な女と思われたくなかったせいもある。またその時は私も彼女達を気に入っていたし、浩平を真ん中にした三人は本当にきょうだいのようで本当に微笑ましかったのだ。
特に、弟のようにあの女に可愛がられる浩平は私を和ませたものだ。


「弟のように?たった一歳違いの、男と女だったのに?」
…迂闊な私は知らなかったのだ。絆は切れなくても、男女の仲は切れるものだと。





『別れてくれ』
浩平の態度がおかしくなってから2ヶ月と少し、泣き付いてでも聞き出すべきかと思い始めた矢先、彼は突然私に告げた。
『何を言ってもいい。殴ってもいい。殺してくれてもいい。でも俺は責任を取らなくちゃいけないんだ。みさき先輩を妊娠させた、その責任を』
はじめの一言で真っ白になり、浩平がいつ帰ったかも気付かなかった。それが昨日の昼。
あれは夢だ。浩平を心配し過ぎたせいで見た白昼夢だ。全ては私の妄想だ。
放心状態をそんな現実逃避で抜け出し、もう一度確かな事実を得ようと彼の部屋を訪れて……………


“それ”さえ見なければこんな気持ちにはならなかっただろう。
人の気持ちは残酷なくらい儚いのだと、私に浩平を繋ぎ止めるだけの魅力がなかったんだと、迂闊な私の責任だと、浩平が幸せになればそれでいいと。
この残酷な事実を受け止め、時間はかかってもいつしか穏やかな日常に戻れたはずだった。



だが、あの光景。
泣き出しそうな顔の浩平を胸に埋め、恍惚の表情を浮かべるあの女の顔。
喘ぎ、よがり、己が欲望のままに盛り続けるあの女の姿態。
そして衝撃に声も出ない私へ向けられた、光も感情もないあの女の眼。



…発作的に飛び出した私を、浩平は追ってきてはくれなかった。
あの女が縋り付いて止めたのだろう。優しい浩平が無視できないのを知っていて。
そしてまた、私の浩平を。

どんな手を使った?あの胸とお尻で誘惑したのか?年齢不相応な、無邪気な言動で騙したのか?
自分のハンデを逆手に取り、悲劇のヒロインを気取って『私のヒーローになって』とでも囁いたのか?私の存在を知っていながら?
たかが1回か2回の交合で孕んだのも、全て計算づくだったのか?

沸騰する邪念を抱えて街をさ迷い、偶然出合った七瀬さんに“落ち着ける店”とやらに連れ込まれたのが昨日の夜。そして。
「名刺、貰ったんだよね…」
私は歯ブラシを元に戻した。





ソファに身を沈め、私は机の上に放り出されていた名刺を手に取った。
一度握り潰したらしいそれを丁寧に押し広げ、書かれた文字を眺めてみる。

――哲学する場所、提供します。“えいえん”研究会。

表にはそれだけの僅かな語句。裏にはその研究会とやらの住所。電話番号もメルアドも記されてはいない。
本来なら笑ってゴミ箱に送るべき、怪しさの極みとも言うべき代物。
だけど今の私は違った。

『殺したい人が、いるんだろう?』
これをくれたマスターの言葉。
『もし、気持ちが変わらなかったら…』
気持ちは変わっていない。浩平を愛してるのと同じくらいにあの女を殺したい。そうすればきっと、浩平は私の腕の中に戻ってきてくれる。
『間違いなく君の悩みを解決してくれるはずだ』
信じちゃいけない理由は、ない。

奇妙な直感が、マスターとこの名刺を信じろと私に囁く。
このままでいても状況は変わらない、他に取るべき道はないのだろうと理性も私に告げる。
そして今でも眼に浮かぶ、あの忌まわしい光景。

…愚にもつかない人格改造セミナーだったりしたら、その時はさっさと帰ればいい。
それに、今の私に浩平以上に失うものなんてない。恐れることなど何もないのだ。


「行こう、か」
頭も胃もようやく落ち着いた二時間後、私は静かに外に出た。








“えいえん”研究会は繁華街の中にあった。
1Fには弁護士事務所とギャラリー、2Fにはコンタクトレンズ販売店と眼科。ごく普通のテナントが並ぶエレベーター横案内板に、恥ずかしげもなくその名が刻まれている。
うらぶれた街角の小汚い店を予想していた私には正直な所驚きだった。
それと同時に、もしかしたら本当に何かのセミナー会場なのかも知れないとも思えてくる。
「でも、行ってみないと始まらないよね」
自分を励まし、私はエレベーターに乗って5F(最上階)のボタンを押した。

エレベーターを出ると真っ直ぐな廊下が私を迎える。
何とかコーポレーション、何とか商会、何とか事務所。1つ1つドアの表示を確かめながら奥へと歩き、一番最後にお目当ての文字を見つけた。
人気のないフロアの奥の、すりガラスのはまった普通のドア。
他のフロアと変わらないはずなのに、何故か不気味なものを感じるのは私の心境のせいだろうか。
ただ、その不気味さが私の期待を満足させるのもまた事実だ。
…唾を飲み込み一呼吸して、周囲に人がいないことを確かめた後、私はドアの中に滑り込んだ。


入ってすぐL字型の衝立に突き当たる。
道なりに右に進むと視界が開け、接客用のソファとテーブルが現れる。
更に進むとファイルの詰まった棚とブラインドを下ろした窓、その下に置かれた事務机。そして。
「いっちご、いちご、いっちーご〜。まっかなかわいいいっちーご〜♪」
…パソコンに向かってオリジナルの(流行の音楽には疎い身だが、そうであると信じたい)いちご賛歌を口ずさむ女性が目に入った。
何やら嬉しそうにキーボードを叩いており、こちらには気付いてないようだ。
「あの、済みません」
「え?」
きょとんとした彼女に向かい、私は軽く一礼する。
「わ。私としたことが気付かなかったよ〜」
一応驚いているようなセリフと共に立ち上がり、彼女はソファに向けて手を振った。
「とりあえず座って。今飲み物入れるから」
「あ、どうぞお構いなく」
のんびりとした口調とおっとりした外見、艶やかな髪。同性の私から見ても可愛いと思える女性だ。
しかし肌の感じからして、実年齢は30半ばか…あるいは40に近いのかも知れない。

「ところで、今日はどうしてここに?」
「え?」
「迷い込んできたって訳じゃないよね?…あ、ジャムティーどうぞ」
いきなり核心を突く質問にドギマギする私。
「誰かに紹介されたとか?」
「あ、はい、でも名前は…」
「名刺か何か、貰わなかった?」
「…頂きました」
「見せて」
テキパキ質問してくる彼女。口元は変わらず微笑んでいるが、細く開けた目は笑ってはいない。
奇妙に威圧感溢れる姿だ。それまでの印象が印象だっただけに。
「こ、これです」
「ありがと」
自分用のジャムティーを口に運びつつ、彼女は私の鞄から出てきた皺付き名刺をしげしげと眺める。
「ふーん、なるほどね」
「……」
私もジャムティーを口に運び、いつの間にか乾いていた喉を潤す。
「じゃあ、貴女の決意を聞かせて貰おうかな」
「!?」
危うく吹き出すところだった。
まだ何も言ってないのに、何故私の“決意”を知っているのだろう?
「け、決意?何のことですか?」
「ごまかす必要はないよ。ここに来る人の願いはね、たった一つしかないんだよ」
「たった…一つ?」
「そ。社会的には決して許されることのない、禁断の願い」

あっという間にジャムティーを飲み干した彼女は立ち上がり、さっき私が入ってきたドアをロックした。
更に室内を歩き回り、ハンディカムと数枚の紙を持って戻ってくる。
「ここにいるのは私達だけ。誰かが入ってくることもないし、横は空きテナントの上に防音もバッチリ。心配しないで、貴女の望みを伝えてちょうだい」
「………」
「大丈夫。この名刺をくれた人に聞かせたこと、もう一回言うだけでいいんだよ」
「………」
「さあ」
カチッという音と共にハンディカムが動作を始める。
それに釣られ、私の口は自然に言葉を紡いでいった。
「わ、私は彼女を…私の浩平を奪った、あの女を殺したい」
「あの女じゃダメ。名前も言って」

「…私は、川名みさきを殺したい」

「OK」
映画監督のように言うと、彼女は満面の笑みを浮かべて録画を止める。
私も演技を終えた役者のようにふうっと息を吐いた。
「あとでもう一回言ってもらうけど、でもとりあえずOKだよ。じゃあ次は登録だね」
彼女はまた不思議なことを口にする。
「登録…ですか?」
「そう。この紙を全部埋めてもらえるかな」
さっき彼女が持ってきた紙が私の前に広げられる。
生年月日、通っていた学校及びクラス、住んでいた場所といった履歴書状のもの、そして心理テストのような文章が並んだ問題用紙と、Yes/No形式で答えるタイプの解答用紙、etc.。
「あの…」
「なに?」
「ごめんなさい。その、まだこの場所が良く分かってないんですけど…。ここって、何なんですか?」
彼女は軽く髪を撫で上げた。
「たった一つの願いを持った人が来る所…。もしかして、殺し屋の紹介所みたいなところなんですか?願った相手を消してくれるっていう」
「そっか。まだここのこと、全然聞いてなかったんだね」
ごめんね、ちゃんと説明するから、と言いつつ彼女はジャムティーのお代わりを入れた。
半分も減っていなかった私の分も注ぎ、更にお菓子―イチゴ大福だ―の入った箱を机に載せる。
「システムはとても単純なんだ。“願い”を持った人がここにやってくる。この紙を埋めて、登録料30万円を払って、この“えいえん”研究会に登録する」
30万、という金額にちょっと驚く私。
「それから遅くても半年のうちに、ある日付を知らせる連絡が行く。その人はその日付に、24時間誰かに見られ続けるような用事を入れる。できれば邪魔な相手とは離れた場所で、ね」
「アリバイを用意する、ということですか?」
「その通り。そしたらその日、“邪魔な相手”は事故か強盗に遭う。多分永遠にこの世とはさよなら。無事に“願い”は叶う。…不思議な話だね」
くすくす笑いを漏らす彼女。
「では、やっぱりここって殺し屋を…」
「半分は当たり、かな」
「半分?」
「プロの殺し屋なんて、日本では映画やマンガの中にしかいないんだよ。…プロの人は、ね」
「どういうことですか?」
「それはね…」

彼女は説明を続ける。
それを聞いていくうち、私の瞳は興奮の光を放ち始めていた。









「アルフレッド・ヒッチコックの“見知らぬ乗客”って映画、観たことあるかな?」
「前に一度、あります」
「電車の中で男たちが出会う。主人公の方は浮気者のくせに夫の金目当てで離婚しない奥さんが疎ましい。もう一人の方は何かと五月蝿い自分の父親が邪魔。だから“相手”を取り替えよう、そうすればお互い疑われずに望みを果たせるじゃないか。もう一人の方がそう話を持ちかけて、本当に行動を始めてしまう…。ヒッチコックの名作の一つだよね」
「はあ」
「映画では相手が本気だとは思わなくて、主人公が色々と危険な眼に遭うんだけど。でも事前に分かっててアリバイも用意していたら、もっと上手く行っていたはず」
「……」
「だけど現実にはこんな話あり得ないよね。疑いから逃れようと思うなら二人は無関係でなきゃいけない。幾ら調べられても何の接点も出てこないような、本当に行きずりの関係でなきゃいけない。それなのに自分は殺したい人がいるんだって秘密を打ち明けて、相手を信用して行動しないといけない」
「矛盾してますよね」
「だから交換殺人なんて普通は起きない。起きる訳がない。…でもね」
「?」
「もし、ちゃんとした環境を整えてあげて、強くて固い思いを持った人間を引き合わせることができたら?恋したい人が集まる出会い系サイトみたいに…ううん。あんなものよりずっと管理の厳しい、信頼できる何かが間にあったら?激しい憎悪は持っていても、自分が捕まりたくはない。そんな殺人希望者たちのお見合いシステムが、もし現実に存在したなら?」
「!」
「“えいえん”研究会。こんな変な名前の怪しい集まり、普通は近付こうとは思わないよね。近付くとすれば好奇心の塊みたいな人か…貴女みたいな、“願い”を持つ人だけ」
「じゃ、じゃあ、つまり…」
「分かったみたいだね。そう、殺し屋というのはここに来た人自身。自分たちが依頼者であり実行者。決して顔を合わせることのない誰かに人を殺してもらい、代償として顔も知らない誰かのために人を殺す。これ以上ないくらい平等なシステムの提供場所、それがここ」
「……!」
「だけどね、ここの利点はそれだけじゃないんだよ」
「え…?」
「今私が説明したシステムで、一番気を付けなきゃいけないことって分かる?」
「い、いえ」
「“偶然”の要素」
「ぐうぜん…?」
「世界って案外狭いものなんだ。結婚して姓が変わった昔の友人だったとか、途中で転校していったいじめっ子だったとか、自分の担当になった人が関係者だった…という可能性は充分あるよね。それでもし、そのまま“代償”を払ってしまったら?」
「あ…」
「もちろん、偶然を完全に無くせるとは思わないで欲しいんだ。そこまで人間は偉くはないからね。でも、そこにある履歴書をキッチリ埋めてもらって、相手の情報も可能な限り書いてもらえれば、偶然の要素を限りなく少なくできる」
「……」
「二人では無理でも三人、四人にすればいい時もある。とにかく情報さえあれば最も接点のない人同士、疑われない人同士をコンピューターが選んでくれるの。今までの最高は六人だったかな? いずれにせよ、きちっとしたシステムがあってこその話だよね」
「ま、待って下さい」
「なに?」
「今思い出したんですけど…。さっきの映画では結局、実行したのは相手の男の人だけでした。それと同じで、もし一方が義務を果たしても、その人とペアになった人が何もしなかったら?その時はどうなるんですか?」
「…私は思うんだ。人と人とが暮らすこの世界で、一番大事なのは“信頼”だって。信頼があるからお互い安らかに、支え合って生きていける。そうでしょう?」
「は、はい」
「だから、この世界で一番罪深いのは“信頼への侮辱”なんだよ。それは他の何にも替え難いほどいけないこと。相応のペナルティを受けなきゃいけない、最悪の罪」
「……」
「貴女もそうでしょ?相手が貴女の“信頼”を“侮辱”した。だからここに来て、相手に永遠にこの世から消えて欲しいと望んでいる。違うかな?」
「いえ、合っています」
「なら分かるよね。義務を果たさなかった、つまりそれは“信頼”を“侮辱”したということ。ペナルティは当然だよね」
「はい」
「信頼には信頼を、侮辱にはペナルティを。これが“えいえん”研究会の最低限のルール。さっきの録画もそのルールのためなの。…これで答えになったかな?」
「充分です」
「良かった。他に聞きたいこととか、ある?」
「いいえ。…よく、分かりました」
「OK。じゃあ分かったところで、もう一度録画させてくれないかな。貴女の願いを、私に伝えて」



















「私、神尾観鈴は、遠野美凪を殺したい」








あどけない顔を奇妙な興奮に輝かせ、彼女…神尾観鈴は登録作業を開始した。
まるで昔の私を見ているようだ。

あの時の私も当時の会長だった相沢名雪の説明に納得し、登録作業を行い、お金を振り込んで、願いを叶えることを決意した。
それから思ったより早くスケジュールが届き、私はそれに合わせて温泉旅行を計画。私の心境を知っていた友人たちは何一つ疑わず旅行に参加してくれ、アリバイ確保は完全な成功を収めた。
結果、私の浩平を奪ったあの女―みずき?みさき?ちさき?もう思い出せもしない―は通り魔に遭遇。永遠にこの世から去って行った。
旅行後警察の取調べを受けはしたが、完璧なアリバイは私への嫌疑を見事に跳ね除けてくれた。
もちろん、完璧すぎるアリバイは怪しいとのたまう“名探偵”など現れはしない。

それからしばらくして“義務”を果たすべき相手の名前と住所と、親切にも一週間のスケジュールと方法のアドバイスが届いた。
相手が高槻とかいう中年男であり、何より私に人の命が奪えるのかという疑念もあって、決行の日は寝つきが悪かったのを今でも覚えている。
だが結局は杞憂だった。泥酔していた相手の抵抗は殆どなく、また私自身もその場に臨むと躊躇いは消えていた。私は“義務”を果たしたのだ。

後で聞いたところによると、“研究会”に登録した人でペナルティを受けた人は今まで存在しないらしい。それと私自身の経験を合わせ、世の中には二種類の人間がいることを知った。
すなわち、自分のために人を殺せる人と殺せない人。そして更に、その二種類を嗅ぎ分けられる人、分けられない人。

私は共に、前者だった。

それに気付いたのはだいぶ後だった。
コトがあってからしばらくは正視できないほどに落ち込む浩平の世話に忙殺されて気付く暇はなかった。
また消えてしまうのではないか、との思いから私も必死だったのだ。半ば同棲する形で、四六時中付きっ切りで世話をした。夜は必ず一つ布団で、子供のように泣き暮れる彼を胸に埋め、彼が眠りに落ちるまであやしてあげた。他のことなど思う時間はなかったのだ。
そして浩平が落ち着き、私に心を開いてくれるようになってからは幸せに舞い上がり、やはりそんなことに気付く余裕はなかった。
永遠に失ったはずの宝物を取り戻した喜びの中で、どうして別のことを思えようか?
…でも、もう浩平は私なしには生きられないと悟り、また私も浩平を取り戻した喜びを制御できるようになって、私は街を彷徨う“願い人”に気付くようになった。
年齢も性別も様々の、しかし驚くほどたくさんの、共通の“願い”を持つ人々。

『もし貴女と同じ悩みを持つ人を見つけたら、ここを紹介してあげて』

名雪さんに言われた通り、その中の何人かに私は“えいえん”研究会の名刺を渡した。
その“何人か”はほぼ外れなく研究会に行き、彼ら彼女らの“願い”を叶えたらしい。
更に、実は名刺は色によって紹介者が分かる仕組みになっていたらしい。
私はその紹介率の高さにより名雪さんに見込まれ、引き立てられることになった。
そのことへの戸惑いは感じなかった。
私はいつしかそんな仕事に、人々の望むものを提供する魔女の役目に満足していたのだ。あるいは私の得た幸福を分けてあげたい、という思いもあったかも知れない。


やがて私は“えいえん”研究会の新支部長就任を打診されることになった。
別の街で“願い人”を集め、この街の“願い人”と交換させる。彼らの接点を更に薄めるには絶好のアイディアといえよう。
認められることへの嬉しさ、一見普通のお店・裏で秘密のお仕事という支部の形態への満足感もあり、私は何の迷いもなく同意した。

『瑞佳ちゃんなら安心だよ。私なんかより、ずっと安心』
そういって笑った名雪さんの顔は今でも忘れられない。
私の昇格を祝福していて、でも我慢できないくらい寂しそうで、しかもそれを全て受け入れている。何とも形容し難い笑顔だった。
ともかく私は何も知らない浩平と共に支部に向かった。
引っ越しについては浩平の抵抗はなかった。向こうで喫茶店を開こうという私の提案にも、いつの間にか準備されていた妙に豊富な資金にも、浩平は何も言わなかった。
その夜ずっと私を抱いてくれた以外には何も反応らしいものを示さなかった。


そして表向き喫茶店“CLANNAD”の共同経営者兼ウェイトレスとして、裏では“えいえん”研究会支部長として、私は人々が持つ“願い”を叶えていった。


…他にも支部はあったのか?会の幹部のような人はどれほど存在したのか?
例えば私に名刺をくれたあの男、後に病死したというバー“FARGO”のマスターのような人は?
その疑問については未だに分からない。名雪さんはデータを全てはくれなかったからだ。
ただ、私も少しずつ名雪さんに与えないデータを増やしていった以上おあいこと言えよう。
そう、私は“CLANNAD”に集った“願い人”の何人かを、名雪さんには知らせずに登録したのである。

何故そんなことをしたのか?
“願い”を持つ人々のお手伝いをする、魔女の役割に満足していた。お金にも権力にも興味はない。浩平さえいてくれれば何もいらない。その気持ちにウソはないはずだった。
…あるいは、研究会に入って生まれ支部長となってから膨らんだある感情のせいかも知れない。
他者の生命を掌に置き、自由に左右できる立場が産んだ、本来人には許されない感情―全能感への欲求。
少なくともその時の私はそう考えた。



いずれにせよ私は、名雪さんを暗殺した。



支部だけの顧客の一人に彼女を狙わせる、それだけで事は済んだ。
さて、私はもう危ない橋を渡る気はない。では、その“一人”が願っている相手は誰が担当するのか?
答えは簡単。常に“願い人”が訪れてくる以上、新しい顧客にずらしていけば良い。名雪さんを狙ったAの相手はBが、そのBの相手はCが、Cの相手はDがというように。“事故”が一つ余分に起きたことなど、全てを統括している私以外には分かりようもないのだ。
もちろん、後に誰もいないZは“義務”だけ果たして“願い”は叶えられないという貧乏くじを引くことになるが、それが私を悩ませることは最早なかった。
そして、祐一とか言う名雪さんの夫が巻き添えになったことも気にはならなかった。名雪さんの持っている研究会の全てを抑える、そのことで頭が一杯だったから。

…それは意外なほど滞りなく終わった。“事故死”した名雪さん夫妻と研究会が結び付くことはついになかったようだ。
データ、研究会の驚くほどの資金、何もかもが私の手に入った。
私は新しい“えいえん”研究会の長となったのだ。






「あの、何か…?」
「え?ああ、ごめんね。何でもないの。ちょっと思い出したことがあっただけ」
「……」
いつのまにか笑顔を浮かべていた私に訝しげな顔を向けた後、また彼女は登録用紙に取り組み始めた。
こんなところまで昔の私にそっくりだ。

数々のデータが手に入った今、分かったことがある。
相沢名雪、水瀬秋子、天沢郁未…。歴代会長たちが皆、ほぼ同い年に事故死・不審死を遂げている事実。後を襲った人物が皆女性で、しかも先代会長に厚く信頼されていた人物である事実。
つまりはそういうことだ。“えいえん”研究会はこうやって代々受け継がれてきたのだ。
母から子へ絶え間なく語り継がれてきた物語のように、変わることのない裏切りと償いの因果応報を繰り返しながら、この組織は淀みなく維持されてきたのだ。そしてこれからも“えいえん”に。
つまり私も、いずれは。

「ホットミルク、お代わりする?」
「にはは…。お願いします」
神尾観鈴はカップを差し出してきた。
カップを満たしながら、私はある想像を始める。

住所不明というのが多少気になるが、やがて彼女は“わたしの往人さんを奪って駆け落ちした”憎い相手の死を知るだろう。
そして自分の持つ能力に気付き、街に溢れる“願い”を叶えるために働き出すだろう。
それから私に引き立てられ、支部を任され……。
この椅子に座るため、私に刃を向けるだろう。


「それでもいいかも、ね」


私はまた微笑みを浮かべる。
その時は浩平も連れて行ってあげよう。私に依存しきっている今の彼に、私を無くす衝撃は耐えられないだろう。
そして私も彼と離れるつもりはない。もう彼を別の誰かに渡すような真似はしない。
だから一緒に、私の“えいえん”へ。
…ね、いいよね。浩平。


私はソファに身を沈め、再び楽しい想像を始めるのだった。








私達に始まりを。最後には幸せな記憶を。
優しい思い出が、いつまでも共にありますように。





End.