Kanon     〜片耳白猫と俺と真琴と〜

 

 

 

 人間って奴はなんて残酷な生き物だろう。

 そう思うことがある。

 前に、真琴といっしょに散歩していたときのことだった。

 歩き疲れた俺と真琴は、公園のベンチに座り、肉まんを食べていた。

 

「やっぱり肉まんはおいしいっ」

「そうだな」

 

 そのとき、ベンチの後ろの茂みから、一匹の猫が飛び出してきた。肉まんの匂いにでも誘われたのだろうか。

 

「あぅー、猫だぁ。ぴろとは色が違う」

「白猫だな」

 

 言った次の瞬間、俺は顔をしかめた。

 白猫には右の耳がなかった。

 その傷は滑らかで、まるで……鋭利な刃物で切り取られたかのようだった。

 

「……この猫、片っぽの耳がないね」

「……」

 

 白猫はとても痩せていた。腹をすかせているのだろう、俺たちの持っている肉まんをじっと眺めている。

 だが、俺たちが少しでも近寄ろうとすると、白猫は怯えた様子で離れていってしまう。

 明らかに人を怖がっていた。

 おそらく、人間にひどい目にあわされたことがあるのだろう。

 耳の傷も、たぶん……

 

「……人間って奴は、どうしようもねえ生き物だな……」

 

 俺は思わず呟いていた。

 自分が人間であることを恥ずかしく思った。

 

「――そんなことないよ」

 

 真琴が、言った。

 

「人間にだって、いいひとはいっぱいいるよ」

 

 真琴はしゃがみ、肉まんを地面に置くと、白猫に「おいで、おいで」と手招きした。

 初めは警戒していた白猫も、食欲が我慢できなくなったのか、真琴の雰囲気に誘われたのか、とことこ近寄ってきた。そして、肉まんをがつがつ食べ始める。

 真琴は優しげな瞳で、白猫を見つめていた。

 ――人間を嫌いにならないでね――

 ――人間にだって、いいひとはいっぱいいるんだよ――

 そんな真琴の声が聞こえるような気がした。

 ……真琴……

 俺を憎んでいた真琴。

 俺以外の人間とは深くかかわろうとしなかった真琴。

 人間と出会って、ぬくもりを……寂しさを、苦しみを、知った真琴。

 でも今は……今は、そんなふうに思ってくれてるんだな。

 

「にゃー」

 

 肉まんを食べ終えた白猫は、顔を上げ、真琴に向かって一声鳴くと、

 

「あっ」

 

 タタッ、とどこかへ走り去ってしまった。

 俺たちはしばらく、白猫の消えたほうを見ていたが。

 

「帰ろっか、真琴」

 

 ぽむっ、と真琴の頭に手を置いた。

 

「うんっ」

 

 真琴が笑顔でうなずいた。

 

 

 

 

 そして、ある日のこと。

 

「あっ、あの猫だよ」

 

 真琴が指差した先に、あの白猫がいた。

 

「ほんとだ」

 

 白猫が近付いてくる。前よりも元気そうだ。

 

「あっ、祐一、見て」

「ん?」

 

 よく見ると、白猫には首輪がしてあった。

 

「だれかが拾ってくれたんだな……」

「うん……」

 

 白猫は、俺たちの目の前までくると、

 

「にゃー」

 

 と、心なしか前よりも明るい声で鳴いた。

 

「チコちゃん、チコちゃん」

 

 かわいらしい声。

 見ると、小学生くらいの女の子がこちらに歩いてくる。

 

「にゃー」

 

 白猫は嬉しそうに鳴くと、その女の子のほうに駆けていった。どうやら飼い主らしい。

 ピョン、と女の子の胸に飛び込む白猫。愛しそうに片耳の白猫を抱く女の子。

 俺たちは顔を見合わせて笑った。

 

「ねっ、言ったでしょ」

 

 笑顔のまま、真琴は言った。

 

「人間にだって、いいひとはいっぱいいるって」

「ああ、そうだな……そうだよな」

 

 春の陽射しがいつもより暖かく感じる。

 そんな一日だった。

 

 

 

〜fin〜