カノン 欲張りな願い事
飾りっけのない空だった。
星は見えない。月も見えない。UFOなんてなおさら見えない。
ただひたすら真っ暗で、面白みのない空。
『――は雨のち曇り。降水確率は五十パーセントでしょう』
テレビでは天気予報をやっていた。雨のマークがやたらと多い。明日はどうやら全国的に雨模様のようだ。
「やっぱ雨か、明日は」
俺はカーテンを閉め、部屋の窓から離れると、テレビの電源を消した。ちなみにこのテレビは最近バイトして買ったものである。
枕もとの時計に目をやる。深夜一時。名雪にとっては神の領域だろう。
「俺もそろそろ寝るか」
部屋の明かりを消すと、俺はベッドにもぐりこんだ。
「雨だったら中止だな。ま、俺はそれでもべつにいいんだけどな……」
ベッドの中で呟く。
「……」
しばらくして、部屋の明かりをつける。
再び窓に近付く俺。カーテンを少し開けると、もう一度空を見上げた。
やはり空は黒かった。
今のところ小康状態を保っているが、いつ雨が振り出してもおかしくないといった様子だ。
「ふむ……」
俺は顎に手を当て、しばし思案した。
数秒後、頭の上に電球が浮かんだ。
「……ま、俺は雨でもいっこうにかまわないんだけど……」
思い出したように俺は呟く。
そして今宵もふけていくのだった……
ドルルルルルルルルルルルルルルルルル!
「な、なんだ!?」
突然響いた世にも凶悪な破壊音で、俺は眠りの世界から引き上げられた。
ルルルルルルルルルルルルルルルルルルル……
「どっかで工事でもやってんのか?……ったく、勘弁してくれよ」
顔をしかめながら枕もとの時計に手を伸ばす。朝の六時半。あまりにも早過ぎる。
ルルルルルルルルルルルルルルルルルルル……
「くそっ。これじゃあ寝られねえよ」
ルルル……
「……あれ?」
止まった。
しばらく待っても聞こえてこない。耳をすませても聞こえない。
「……とにかくたすかったな」
俺はこの静寂が一秒でも長く続くことを祈りながら、もう一度深い眠りについた。
『朝〜、朝だよ〜』
グー、グー。
『朝ご飯食べて学校行くよ〜』
グガー。スピー。
『朝〜、朝だよ〜』
……うるさい。今日は休みだ。
『朝ご飯食べて学――』
ほとんど無意識に伸びた手が時計の頭を叩く。
「俺は眠いんだよ……」
ごろんと寝返りを打ち、頭から布団をかぶる。そして寝る。
グー、スピー……
「ん……」
カーテンの隙間からのびる日差しに瞼をくすぐられ、俺は目を覚ました。
「ふぁあ〜、よく寝た……なんだ、おまえ、また俺の布団にもぐりこんでたのか?」
俺の隣では、猫のぴろが気持ちよさそうに眠っていた。
ぴろを起こさないように注意しながら立ち上がる。カーテンを開くと、窓いっぱいに溢れた光が俺を包む込んだ。
空は快晴。天気予報にケンカを売ってるかのごとく、見事な青。
気持ちのいい朝だ。すこぶる気分がいい。今日はだれにでも優しくなれそうな俺だった。
俺は健やかな表情で枕もとの時計に目をやり、
「がはっ!」
血を吐いた。
十時十五分。
すでに約束の時は過ぎてしまっている。
永遠はここにはないらしい。関係ないが。
「やべえっ。マジやべえ」
俺はマリオの Bダッシュなみのスピードで服を着替えると、急いで部屋を出た。階段を音速で駆け下りる。そこで。
「あら、祐一さん。おはようございます」
秋子さんだ。
「あっ、おはようございます、秋子さん」
「祐一さん、真琴知りませんか?」
「真琴? あいつは確か天野と遊びに行くっていってたから、もう出かけたんじゃないですか」
「そう。朝ご飯も食べないで……」
「きっと寝坊したんでしょう」
人のことはいえない。
「祐一さん、朝ご飯は……」
「あ、ちょっと急いでるんで、俺も今日はいいです」
「そうですか……残念ですね。せっかく新しいジャムを作ったから祐一さんに味見してもらおうと思ってたんですか……」
頬に手を当て、おっとりと微笑む。どう見ても二十代にしか見えない。たぶん不老不死なのだろう。
「……残念ですけど」
俺は丁重に断った。今から猛ダッシュしなければならないというのに、産業廃棄物レベルのあの謎ジャム(たぶんパワーアップバージョン)を食うことは出来ない。動くと毒は早く体に回ると言うし。
「祐一さん、今とっても失礼なこと考えてませんか?」
あくまでおっとりと秋子さん。
「……き、気のせいですよ。ではいってまいりますっ」
俺は秋子さんに背を向け、家を出た。秋子さんはたまにものすごく鋭い。やはり不老不死の成せる技か。
季節は春。あれほど嫌がっていた寒い冬が懐かしく思えるほど、暖かい日だった。
「急がないと……」
家を出た俺は、衝撃波を放ちながら爆走した。商店街を駆け抜け、目的地へ――
ドンッ!
「ぐわあ!」
高速で角を曲がろうとした俺に、なにかがぶつかってくる。
「……うぐぅ」
赤くなった鼻をおさえ、道端にしりもちをついているのは、『うぐぅ星人』だった。
「うぐぅ……違うよぉ」
ちなみに『うぐぅ星人』は全長1〜3メートル、栗色の体毛を持ち、鯛焼きが好物という変わった宇宙生命体だ。
「うぐぅ……そんなわけないよぉ」
しかもそのかわいさはもはや犯罪レベルで、これまで数多のオタクたちの心を虜にしてきた。この世界の神(作者)もそのひとりだったりする。
「えへへ、ボクってそんなにかわいいかなぁ」
うん
(神の声)。「なにやってんのよ。話が進まないじゃない」
あゆの後ろから、香里が顔を出した。その隣には栞もいる。ちなみに栞という字は変換しても出てこなかったので探すのに苦労した……という神の声が聞こえる。
「こんにちは、祐一さん」
「おう。もう病気は治ったのか?」
「はい。このとおり、とっても元気です」
「そりゃあよかった。で、三人はなにやってんだ?」
「ボクたち、商店街に買い物にきたんだよ」
立ち上がったあゆが言う。
「へえ。でもおまえらってそんな仲良かったっけ?」
「実は、わたしとあゆさんの入院してた病院が同じだったんです」
栞の説明に、あゆが嬉しそうにうなずく。
「そうなの。病院で偶然再開して、とっても仲良くなったんだ。栞ちゃんのお見舞いに来てた香里さんとも」
「そういうことよ」
「へえ……」
あゆは七年前の事故が原因でずっと昏睡状態だった。それが最近、奇跡的に目を覚ましたのだ。栞も医者がさじを投げたほどの難病から驚異の回復を見せた。
「そっか。それにしても七年も寝れるなんてすげえな、あゆは。こ○亀の日暮さんもまっさおだ」
こんな軽口を叩けるのも、あゆが元気になったからでこそだ。
「うぐぅ……ひどいよ、祐一君。初恋の相手に向かって」
「えっ。祐一さんの初恋の人ってあゆさんだったんですかぁ」
「それは初耳ね」
「そうなんだよ〜。このカチューシャも祐一君に貰ったんだ」
「う、うるさいぞ、あゆ。昔の話じゃねえか」
うろたえる俺の目に、腕時計の針が写る。
「ひでぶっ!?」
そうだ。こんなところでぐずぐずしてる暇はなかったのだ。
「わ、わりい、俺急いでんだ」
「ははーん、相沢君、デートでしょ」
「デートだね」
「デートですね」
三人に言い当てられてしまった。
「……どうしてわかるんだ?」
聞くと、三人は楽しそうにくすくす笑い合っている。気にはなったが詮索している時間はない。
「というわけで、じゃあな、三人とも」
俺は軽く手を振ると、三人のもとを離れた。
「ばいばい、祐一君」
「さよならです」
「がんばりなさいよ〜」
三人の声を聞きながら、俺は再び風となった。
が。
「あべしっ!」
後頭部に激痛が走り、俺は動きを止めた。
かつーん、かつーん、と地面に小石がはねる。どうやらこれをぶつけられたらしい。
「いってーなぁ!」
怒鳴りながら、俺は振り向いた。
十メートルほど先、小石を投げ終えた格好そこにいたのは……
「舞!」
隣には佐祐理もいる。
「いてえじゃねえか!」
俺は舞に詰め寄った。
「あははー、おはよう、祐一さん」
佐祐理さんが世界ランキング一位の笑顔で言った。
「あっ、おはよう、佐祐理さん……じゃなくて!」
俺はあらためて舞に向き直った。
「なんで小石なんか投げるんだ? 危ないだろ?」
聞くと、舞は相変わらずの無表情で言った。
「祐一に気づいたから」
「なんで俺だと小石をぶつけるんだよ」
「大声出すのが面倒くさかった」
「……おまえってやつは」
「あははー、舞は祐一さんに会えて嬉しかったんだよ」
「そうは思えんが……まあいいや。悪いけど今は急いでんだ」
「祐一さん、デートでしょ」
佐祐理さんにも言い当てられてしまった。
「どうしてわかるんだろう……」
「顔が嬉しそう」
舞が言った。
「そ、そうなのか?」
俺は思わず顔に手を当てた。自分ではそんなつもりはないのだが、鈍感が服着て歩いているような舞にもわかるということは、よっぽどにやけ顔をしていたのだろう。
「いいなぁー、デート。でもわたしたちもこれからデートなんだよ。ねぇー、舞」
「動物園いく」
「そっか。舞は動物園が三度の飯より好きだもんな……あっ、マジやべえ。じゃあな、舞、佐祐理さん。今度ゆっくり話そう」
そう言い残し、俺は待ち合わせ場所に向かって走った。
「……」
「さよならー、祐一さん」
無言で手を振る舞と、天使のような笑顔の佐祐理さんに別れを告げ、俺は再びカールル・ル○スとなった。今年の盗塁王は俺のものだ。
「はあ、はあ、はあ」
目的地を肉眼で確認する。駅前のベンチ。そこに彼女はいた。
「わりい!渋滞に巻き込まれた!」
「……」
うっ。
非難がましい目で俺を見上げている。無言で。俺の言い訳は失敗に終わったようだ。
「いや……あのな、実は……出かけに北川が訪ねてきて、相談を持ちかけられた。『俺って存在感ないんだよねー』って。だから俺は……」
「……」
「俺はですね……その、言ってやったんだ。『男の価値はCGの多さじゃねえ!』って。だから……」
「……」
「ごめんなさい」
俺は深々と頭を下げた。
「はじめからそう言えばよかったんだよぉ〜」
名雪はベンチから立ち上がり、ハンカチを差し出した。
「汗びっしょりだよ」
「マッハ5は出たからな」
俺はそれを受け取り、額の汗をぬぐった。
「一時間も待ったんだからね」
「すまん」
「もういいよ。来てくれたんだし」
と、穏やかな笑顔を見せる名雪。
俺はそんな名雪をふいに抱きしめたくなった。が、なんとか思いとどまった。それをしてしまえば官能小説になりそうだったからだ。
「でも本当に理由があるんだ。朝早くにどっかで工事をやってて、その音で中途半端な時間に起こされちまったんだよ。そのせいで寝坊したんだ。俺は無実だ。弁護士を呼んでくれ」
「工事なんてどこもやってなかったよ」
「なに? そんなはずは……確かに六時半ごろドルルルルルっていう爆音が聞こえたんだ。間違いねえよ」
「あっ、それってもしかして、わたしの目覚し時計の音かもしれない」
「目覚まし……あの鬼のような破壊音が?」
「うん。今日は絶対寝坊しちゃいけないと思って、強力なのを買っておいたんだよ。キャッチフレーズは『死人も飛び起きる問答無用目覚し時計』」
「なんかすげえな。まあ、それはいいとして、なんでわざわざ駅前で待ち合わせなんかするんだ?同じ家に住んでるんだから一緒に出ればいいだろ」
「だって……」
花が咲いたような笑顔で、名雪は続けた。
「好きな人が待ち合わせ場所にきてくれるのを待っていたかったんだよ」
「ふぅん……でも、俺のほうが早く来てたかもしれないじゃないか」
「そのために目覚ましを買ったんだよ」
「そのせいで俺は大幅に遅刻したけどな。それにしても六時半は早過ぎるぞ」
「女の子は用意に時間がかかるの」
確かに今日の名雪は普段とは少し違っていた。いつもより三割増でおシャレだし、髪型がポニーテールになっている。
かわいい。
俺は素直に認めた。
「じゃあ、行くか」
「うんっ」
俺は駅のほうに体を向けた。
「でも、わざわざ遊園地まで行かなくてもよかったんじゃねえか? 遠いし、人もいっぱいいるし、いいことねえぞ」
「あれ? 祐一は楽しみじゃなかったの?」
「楽しみなわけないだろ。ガキじゃあるまいし……って、なんだよ、その顔は」
名雪は少し意地悪そうな、それでいてとても楽しそうな表情で俺の顔を見上げていた。
ぴたっと体を寄せ、俺の肩に顎を乗せるように顔を近づけると、言う。
「あのね、わたし家を出るときに見たんだ」
「……なにをだ」
「祐一の部屋のベランダに――」
くすっと名雪が笑う。
「テッシュペーパーで作ったテルテル坊主が吊るしてあるのを」
「……」
俺は名雪から顔をそむけ、ぽりぽりと頬を指で掻いた。
「あれはだな、その……」
「なぁに?」
「いや、だからな……」
「なぁに?」
「っていうか、つまりだな……」
俺はしどろもどろになりながら、名雪をぶら下げたまま駅に向かって早足で歩き出した。
見上げると、青い空に、フェルトペンで書いたテルテル坊主の誇らしげな顔が写っている……ような気がした。
~fin~
「ねえ、祐一」
「なんだ?」
「もしね、祐一の前に天使が現れて、願い事をひとつだけかなえてあげるって言ったらどうする」
「何度も願いをかなえてくれっていうかな」
「ダメだよ。それは反則だよ」
「いいんだよ。反則技は得意だからな。そんでもって、願い事を全部かなえるんだ」
「欲張りだよ、祐一」
「うるせえなぁ。じゃあ、あまった『願い』はみんなにやるよ。みんなの願い事がかなうように」
「みんなって?」
「あゆ、栞、それに舞や佐祐理さん。あとは真琴や秋子さんと……とにかく、みんなにやる。どうだ、太っ腹だろ?」
「わたしにも?」
「ああ。もちろんだ」
「そっか……それならいいや」
「じゃあさ、名雪の願い事はなんなんだ?」
「わたし? わたしの願い事は……」
BGM「風の辿り着く場所」by彩菜