すきすき! 久慈光樹先生!
−久慈光樹先生、誕生日する−
2002/05/31 匿名希望
シャーッ‥‥キュッ。
バサバサバサ‥‥
「ふぃー、良い湯だった」
「あっ、お兄ちゃん上がったの?」
夕食の準備に追われる実加が、笑顔を向ける。
「って、こらーっ! 年頃の女の子の前で、バスタオル一枚でふらふらしない! 何回言ったら分かるの!」
「ハテ、年頃の女の子とな?」
きょろきょろとリビングを見回す光樹に、実加の怒りゲージが溜っていく。ひくひくと浮き上がる血管が楽しい。
「きゅぴーんっ☆女の子はっけーん! しかし、年頃と言うにはちとお胸――いやなんでもありませんよ?」
「ムカムカムカーっ」
「わっはっは。まあ、そうやって弄られてるうちはガキだって事だ。気にするな」
ぽいぽいとものを投げつけられて、慌てて光樹は退散した。
午後七時。部屋に戻り、夜着を身に纏って見上げた時計に、少し感慨が深くなる。我ながら、信じられない時間に家にいるものだ。
それというのも‥‥。
『お兄ちゃん、今日は早く帰ってきてね。また深夜どころか朝方なんかに帰ってきたら、ぶっ殺すんだから♪』
なんてことを、実に爽やかな笑顔で言われたからである。
「まったく‥‥どこで育て方を間違えたのやら‥‥。だいたいあいつ、定時に帰ってこいなんて言って――なんにも無ぇじゃねえか」
壁の隅の日めくりのカレンダーを眺めながら、光樹は嘆息した。
5/29(水)
光樹の誕生日であった。
「ま、忘れられるような兄貴だったってことさ」
自嘲気味に呟いて、上着を羽織ると、ちょうどよく「ご飯だよー」と実加の声が届いた。
ほんの少しの期待を抱いて降りてきたキッチンは、まったくいつも通りだった。夕食も、いつも通り。煮付け、焼き魚にサラダ。白いご飯とわかめのみそ汁。実にシンプルな献立で、しかし旨く作るにはなかなかに熟練を要するものだ。
両親が海外出張している間、光樹と実加は交代で家事をするという取り決めになっている。もっとも、やたらと帰るのが遅い光樹の当番は、次第次第に実加が肩代わりする形になっていた。光樹も日々申し訳ないとは思っているのだが、仕事の性質上、なかなか家事までこなす時間もない。実加の料理の腕が上がるのも、当然といえるだろう。今では逆に、光樹に食事当番などさせない勢いである。以前光樹が作った焼き飯に「ナニコレ? チャーハンっていうより、チャハーンって感じ?」と、酷い評価を下して以来、実加は彼を厨房に入れようとはしない。
「ごちそうさま。旨かった」
「はい、お粗末様でした」
「しかし実加、作って貰ってこういうことを言うのはなんだが、今日の晩飯は少なくなかったか?」
「えへへー、だって、まだあるんだもん」
実に嬉しそうに笑う実加に、光樹の頬も緩む。
「ほほう‥‥」
「お兄ちゃんだって、ちょっとは期待してただろうしね。はいっ、お兄ちゃんの、お誕生日を祝って――わたしの部屋に来て下さいっ」
光樹はようやく得心がいった。
要は、リビングではなく、実加の部屋でパーティーのようなものを、という趣向だったのだ。
一度がっかりさせておいて、唐突にびっくりさせる。実に常套手段ではあるが、それでも自分が祝われる段になると嬉しいものだ。多分ね。
「さっ、どうぞー」
実加の後ろについて、階段を上り、彼女の部屋の前に。
「はいっ、お入り下さい。特別ゲストの女の子だって出席してるんだからっ」
「なんと!」
「あー、よだれよだれ‥‥」
カチャリ‥‥
ノブを回し、光樹はゆっくりと扉を開けた。
「おおっ! 凝ってんなー」
光樹が感嘆の声を上げたのも無理はない。壁には、色紙で作ったチェーンが張り巡らされ、窓際には千羽鶴――千羽鶴?
「ええと、千人針とかにしようかと思ったんだけど、わたしに女友達が千人もいなかったの」
「俺は出征兵士かっ!」
「もう、冗談なのに‥‥」
もちろん光樹が感嘆の声を上げたのは、それだけのためではない。テーブルの上には、二つのグラスとシャンパンにオレンジジュース(実加は未成年である)、そして、小さめではあったが、丁寧に飾り付けられた手製のデコレーションケーキ。マジパンには、『おめでとう、お兄ちゃん』とチョコクリームで描かれている。そして、憎ったらしいことに、ろうそくの数は正確だった。
そして‥‥彼女が居た。
(月夜おねえさま、掲載許可、ありがとうございましたっ☆)
「なーっ!」
「むふ、お兄ちゃんの彼女さん」
「お、お、お前、どっからこの絵取ってきたーっ?」
「“ごおぐる”っていうの? あそこで、『久慈光樹 体温計』って入れたら、一発だったよ? お兄ちゃんって、面白いほーむぺーじ作ってたんだねー」
「‥‥迂闊。なんて迂闊‥‥」
伝説の身内バレがこんなにも早くに来ようとは‥‥。
空を仰いでも、蛍光灯が眩しいだけだった。
「なんかお祭りしてたみたいだけど‥‥4がいっぱい並んでるのをお祝いされるなんて、お兄ちゃんがちょっと可哀相になっちゃった。あのね、お友達は選んだ方がいいと思うんだ」
「‥‥俺もそう思う」
筆者もそう思う。
ケーキは実に旨かった。甘いものなんて仕事中に飲む栄養ドリンクぐらいだった光樹は、これでもかという風にがつがつとスポンジを囓り、クリームをなめ、実加にたしなめられるほどであった。
「もう、お兄ちゃん、ほっぺにクリーム付いてる。がつがつしないの」
人差し指ですくい取り、口に運ぶ。
「んー、おいし。実加さんってば、天才ね」
「自分で言うヤツは、得てして天才じゃないと思うぞ」
「うっさいわね」
憎まれ口を叩きながらも、今日は実加も光樹も笑顔だ。シャンパンで乾杯し、クラッカーを鳴らし、夜遅くまで話は弾む。
弾む‥‥はずであった。
「実加さん、そこに直りなさい」
「は、はいっ」
「実加さん、お兄さんは実に失望しましたですよ。失望しましたですよ。二回言うなーっ!」
「二回言ってるのはお兄ちゃん‥‥」
「あんですとーっ!」
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
光樹は絡み酒であった。
「素直で宜しい。何の話だったか。そうだ、お兄さんはこの前実加さんの担任の先生にお会いしてきたですよ。美人でしたな。美人でしたな。二回言うなーっ!」
「ご、ごめんなさい」
反論を諦め、彼女はただ光樹の言葉に従う。兄の酒癖の悪さをすっかり忘れていた自分を、迂闊だったと思いながら。
「で、実加さんはなんでこんなに遅刻が多いのよ? お兄ちゃんは恥ずかしかった。美人のおねいさんに責められて恥ずかしくて嬉しかった。誰が虐められて嬉しかったかー!」
「ご、ごめんなさい‥‥でも、いつもお兄ちゃんと朝ご飯をずるずる遅くまで食べてるから‥‥」
「言い訳しない!」
「ひっ、ごめんなさい‥‥」
「まあいいのです。私も遅刻魔でしたしな」
筆者はいつも感じるのだが、説教する側というのは、自身のことを棚に上げて叱る傾向が強いように思う。案の定光樹もそうであり、もっともこの場合、酔っているので説教と言えるかどうかは怪しいのだが。
「ときに実加しゃん!」
「ひっ、はいっ」
「アナタはこの年になって彼氏の一人もいないのかね。いないのかね。お兄ちゃんなど、高校生の時分には恋のスラムダンク決めまくってたですよ! 決めまくってたですよ! 『背番号の無いエース』ともてはやされてましたですよ! もてはやされ――それって単なる補欠じゃー! くそう川上のヤツ‥‥」
次第に光樹の声が涙混じりになる。よほど川上という人にバカにされたんだろう。実加は、少し兄のことを可哀相に思った。
よよよ、と泣き崩れていた光樹が、またしゃんと背筋を伸ばした。気付かなかったが、もうかなり顔が赤い。そろそろ止めるべきかなーと、漫然と考えている実加に、また光樹は絡む。
「でだ、実加しゃんには、好きな男の子などいないのかね?」
「だーっ。どうしてお兄ちゃんにそんなこと言わないといけないのよ!」
「お兄ちゃんだからデス!」
ドン!とテーブルを拳で叩いて強調。理由にもなにもなっていない。これだから酔っぱらいは‥‥。
「わたしなんかのことより、お兄ちゃん自身の心配したらどうなの」
「あんですとーっ!」
「いい加減二次元以外の彼女さんでも作りなさいよ!」
「わ、わ、私のことはどうでもよろしいと言っておろうが! 問題は実加さんが恋のダンスサイト決めてるかどうかなのデス。それ以上でもそれ以下でもないのデス」
「わたしはお兄ちゃんと違ってもてるんだからねっ! でも、全部断っちゃうの、お兄ちゃん知らないくせにっ!」
「な‥‥。なぜかね実加くん。ときにチミは振られた男の子の気持ちを知っているのかね? 知って‥‥ぐす」
「だって‥‥」
また涙ぐみ始めた光樹を構うゆとりを、実加は失っていた。かっと頭に血が上ったまま、降りてこない。あー、わたしも少し酔ってるんだな、と他人事のように思ったが、言葉は止まらなかった。
「わ、わたしはさー‥‥」
もう、このバカ兄貴は‥‥
「わたしが好きなのはね‥‥
わたしが好きなのは、お兄ちゃんなんだからーっ!」
言っちゃった‥‥。
「‥‥くー、ふがふが」
「‥‥へ?」
「むにゅる、すぴー」
いつのまにやら、光樹は首をがくりと落とし、睡眠中だった。
「こ、こ、この‥‥」
「‥‥ふぅ、バカ‥‥」
急に優しい顔になって、実加は溜息を吐いた。側に寄る。光樹の長い前髪を掻き上げて、寝顔をのぞき見た。
「‥‥バカなんだから。そんなだから、彼女だってできないんだぞ」
微笑む実加に、眠る光樹が頷いたようにも見えた。
チュン、チュン‥‥
「ぎゃーっ! しまったーっ!」
平和な朝に、光樹の断末魔がこだました。
「遅刻だ遅刻だ遅刻ーっ!」
慌ててワイシャツを纏い、スーツをひっつかみ、リビングへと降りていく。
テーブルには、ラップにくるまれた朝食と、置き手紙。
『 お兄ちゃんへ
昨日は実加の部屋で寝ちゃってもう、大変だったんだから‥‥お兄ちゃんを部屋まで連れてくの。感謝してよね。
朝だって、何度起こしても起きないし‥‥。
今日は先に行くね。昨日飲み過ぎたみたいだから、あんまり無理しないで。
ちゃんと顔洗って出社するんだゾ☆ みか 』
「面目ない」
その手紙を拝んだ。残念ながら、朝食を食べている時間はない。
言われたとおり、顔だけは洗おうと、洗面所へ行く。
「‥‥なんじゃこりゃーっ!」
再び響き渡る叫び声。
鏡の中の顔には、額に“バ〜カゥ”とマジックで書かれ
ほっぺにキスマークが付いてましたとさ。
我らが久慈光樹先生の誕生日は、概ねこのような感じであった。
<久慈光樹さん、二十n回目(n≧5)のお誕生日、おめでとうございます!>
※この物語はフィクションです。作中に登場する人名、団体名、固有名詞等は全て架空のものであり、実在のものとは一切関係がありません。あるはずがありません。また、内容が一層へちょいのは仕様です。ご了承下さい。