すきすき! 久慈光樹先生!

−久慈光樹先生、起床する−

2002/05/25 匿名希望


 

 

 

 チュン、チュン‥‥

 

 

 カーテン越しに射し込む暖かい陽光。幸せな時間。

 朝。

 筆者は良く知らないのだが、朝というものは、布団の中で迎えるものらしい。

 

 

 我らが久慈光樹先生もまた、そのような一般的な朝を迎えようとしていた。会社で椅子寝りでは、物語は始まらないのだ。

 

 

 トントントン‥‥。

 軽快な足音が響く。それは、光樹の部屋の前でぴたりと止まった。

 一呼吸おいて、控えめとは言い難いノックが、部屋に響き渡る。

 

「お兄ちゃーんっ! もういい加減起きてよーっ。朝ごはん、片付かないじゃないっ!」

 

 そしてまた、しばし静寂。扉の向こうから「むーっ!」といううなり声。

 久慈家の長女、実加であった。

 

「お兄ちゃん! ほんとにまだ寝てるの? 開けるよ?」

 

 カチャリ‥‥

 さすがに遠慮があるのだろう、ゆっくりと扉が開く。さして新しくもない扉が、軋みを上げた。ドアの隙間から、そろりと覗く実加の顔。こだわりのツインテールが、微かに揺れている。

 

「お兄ちゃん――って、ほんとにまだ寝てるー! こーらー! 起きなさいっ!」

「‥‥むにゅる、すぴー」

 

 実加は溜息をついて、部屋に入った。

 枕元のノートパソコンは、電源を入れっぱなしだ。

 

「もー、だらしないんだから」

 

 電源スイッチを落とし(※軽々しくPCのスイッチを切ってはいけません!)ちょんちょん、と光樹の頬をつついた。ぐにゅぐにゅとくすぐったそうに唇が動き、また眠りに落ちる。

 実加は再び溜息をついた。

 

「ふぅ、まったくもーっ」

 

 しょうがないな、とでも言うかのように苦笑して、彼女は本格的に光樹を起こしに掛かった。

 

 ゆさゆさゆさ‥‥

 

「起きてー」

 

 ゆさゆさゆさ‥‥

 

「もー、起きてってばー、お兄ちゃん」

 

 ゆさゆ――

 

「うふぅんっ。なゆきー、そんなにはげしく、ふァ‥‥」

 

 ぴき。

 実加の額に、青筋が走った。

 

「起きろーーーっ、ヴァカ兄貴ィーーーーっ!!!」

 

 怒鳴り声とともに、大きく右腕を振りかぶる‥‥

 

 

 ごすっ‥‥

 

 

 鈍い音とともに、光樹の身体がくの字に跳ねた。

 布団の上から正確に正中を貫く肘は、日々の鍛錬のたまものである。

 

「ぐぼぁっ‥‥」

 

 光樹は喀血している。

 

「あっ、おはようっ、お兄ちゃん♪」

「お、お、お‥‥」

「どうしたの? 顔色が悪いよ? あ、いけないなー、夜中にお酒ばっかり飲んでるから、お腹が痛くなるんだよ。自業自得だねー」

「て、テメェ‥‥」

 

 

 

 

 

 

「――何か言いましたかしら? お兄さま」

 

 

 

 

 

 

 実加の眼光に、部屋の気温が三度は下がった気がした。蛇に睨まれた蛙のように、光樹は中途半端に口を開いたまま、固まっている。

 

「いけませんわ、お兄さま。あまり乱暴な言葉をお遣いになっては――ね?」

 

 切れ長の目をじろりと流し、光樹を封殺する。

 

「は、はい‥‥おはようございます‥‥」

「はい、おはようおはよう――で」

 

 ぎらん!

 

 再び鋭い眼光に射抜かれ、光樹は思わず居住まいを正した。

 

「お兄ちゃんっ!」

「は、はいっ!」

「お兄ちゃんに質問がありますっ!」

「ななななんでございましょうか」

「お兄ちゃん、わたしの目を見て、ちゃんと答えるのよ? ――『なゆき』って、誰?」

「すぴー、すやすや‥‥」

 

 ぐりぐりぐりぐり‥‥

 

「眠いのはこの頭か! この頭か!」

「ぐ、ぐっ‥‥ね、寝起きにフェイスロックは勘弁してクダサイ実加サマ‥‥」

「じゃあ正直に答えるのね。なゆきさんって、何者なの?」

 

 締めを解き、実加が訊ねる。

 光樹は両手を開いて溜息を吐き、やれやれ、と首を横に振った。

 

「実加は相変わらず慎み深くて、お兄ちゃんは哀しかったり嬉しかったり」

「はい?」

「フェイスロックするなら、せめてお胸をもう少し成長させ――」

 

 ぐりぐりめきめき。

 

「イタイイタイお兄ちゃん泣いちゃう‥‥」

 

 みしみしみし‥‥。

 

「ぐぁっ! マジ痛いっ! ごめん! ゴメンナサイゴメンナサイ、許して実加さん‥‥」

「では正直に答えなさい。『なゆき』 誰なの!? この名前は、お兄ちゃんの寝言に既に二百飛んで九回登場しているわ」

 

『ぐりぐり』を緩め、実加は訊ねた。

 

「嘘コケ」

「ふふーん、そう? はいっ、証拠テープーっ」

 

 青い猫型ロボットアニメを思わせる効果音とともに、実加の手に握られるラジカセ。意味ありげにウインクを寄越し、実加はそのラジカセのスイッチを入れた。

 

 カチ。

 ジーッ‥‥。

 

『あうっ、名雪っ、イイっ!』

『っ、ばかっ、優しくだっ! 噛むなって! 名雪ー』

『ぐへへへへ、今日は名雪の体温測定でありますですよ?』

 

「‥‥私が悪うございました。宜しければ、テープの方、回収させて頂けませんでしょうか、実加さま」

「それはお兄ちゃんの態度次第ね」

「いけずぅ」

 

 人差し指を銜えて上目遣いの光樹に、部屋の温度が更に三度は下がった気がした。

 

「だーっ、きしょい! やめれ! で、いったい誰なの? あの、その、もしかして‥‥」

「どうした、急にもじもじして‥‥あの日か?」

 

 次の瞬間、光樹の顔に、実加の拳がめり込んでいた。

 

「あの――も、もしかしてね、お兄ちゃんの彼女さん――だったりして‥‥そんなわけないよ‥‥ね?」

「すいません。顔にめり込んでる拳をどけてクダサイ‥‥」

 

 

 

 

「しかしなんだ、お前もまだ朝飯食ってなかったのか?」

 

 一般家庭にしてはやや広めのリビングダイニングに、もふもふと二人分のパンを咀嚼する音が充満していた。挽きたてのコーヒーの薫り。実加が淹れてくれたものだ。なかなかどうして、彼女は旨いコーヒーを淹れる。

 

「だって‥‥」

「だってもなにもないぞ? 俺はフレックスだから多少の時間の余裕はあるけど、お前はもう出なきゃいけない時間だろ?」

「えっ? うそっ! きゃーっ!」

 

 壁の時計に視線を走らせ、実加の顔色が変わった。慌てて自分の鞄をひっつかみ、食べかけのトーストを銜えて、立ち上がる。

 

「いっ、行ってくるねっ!」

「行ってらっしゃーい」

 

 しかし彼女は、リビングを出ようとしたところで立ち止まった。

 

「あの、ね‥‥お兄ちゃん」

「ん、なんだ?」

 

 彼女は背中を向けたまま、続けた。

 

「わたしって、がさつかなぁ‥‥」

「まあ、そうだな」

 

 もふもふと咀嚼しながら光樹。

「えへっ」と、実加は寂しげな笑いを漏らした。

 

「なあ、どうした? 遅れるぞ? それとも、ほんとに体調が悪いのか?」

「わ、わたしね、お兄ちゃんと朝ご飯を食べるの、とても楽しみにしてるんだよ? だから、毎朝こうして‥‥」

「‥‥」

「でも、お兄ちゃんに――その、彼女さんができたのなら、こんな妹って、ウザったいだけなのかな?」

「――はぃ?」

「『なゆき』さんって、お兄ちゃんの彼女さんなんでしょ?」

 

 リビングの空気が凍った。

 

「ぶわっははははっ!」

「な、なによなによっ、人がマジメに話してるのにっ」

 

 真っ赤な顔で振り返った実加に、光樹は席を立ち、ぽんぽんと頭を優しく叩いた。

 

「も、もうっ、子供扱いしない!」

「なあ実加、お前、勘違いしてるぞ」

「なにをよっ!?」

「名雪は、ゲームのキャラだ」

「‥‥え゛?」

「というわけでだ、お前が心配するこたーない。しかし、嫉妬するなんて、お前もなかなか可愛いトコ――」

 

 みるみる実加の顔が青ざめていくのにも気づかず、光樹は延々と名雪の魅力を語り始めた。

 

「お、お、お‥‥」

「なにかね、我が妹よ」

「お兄ちゃんの、ヘンタイーっ!」

 

 どたどたと廊下を駆けていく音

 残された光樹の頬には、鮮やかなもみじが象られていた。

 

「が、がさつな‥‥ヤツ‥‥」

 

 

 

 

「じゃ、行ってくるっ」

「ああ、遅刻するんじゃないぞ」

「そのセリフ、お兄ちゃんにそのままお返しっ。じゃ」

 

 玄関まで彼女を見送った。真っ新のスニーカーが、アスファルトを叩く音。小気味よくツインテールが揺れていた。

 サンダルをつっかけて、歯ブラシを銜えながら、その後ろ姿を眺める。

 

 ぴたっと、彼女が立ち止まった。

 振り返ったのは、お日様よりも明るい笑顔で。

 両手でメガホンを作り、彼女は叫ぶ。

 

 

「お兄ちゃんのーっ、ヘンタイっ!」

 

 

 思わずずっこけた光樹に、くすくす笑って彼女は再び声を上げる。

 

 

「でもねーっ、お兄ちゃん――」

 

 

 

 

 

「ダイスキだよっ♪」

 

 

 

 我らが久慈光樹先生の起床は、概ねこのような感じであった。

 

 

 

 

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※この物語はフィクションです。作中に登場する人名、団体名、固有名詞等は全て架空のものであり、実在のものとは一切関係がありません。あるはずがありません。また、内容がへちょいのは仕様です。ご了承下さい。

 

 

 

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