平検1級クロ検5級
<第一話>
−水草が青すぎたから−
2007/9/23 文:久慈光樹
絵:織田霧咲羅
2065年、地球は水没した。
地球温暖化なる現象が問題視され始めたのが2000年初頭。誰もがそれが致命的な問題であることを把握していた。だがそれ以降人類はまるで夏休みの宿題を先延ばしにする小学生のようにこの問題を先送りにし続けた。
そしてそのツケ、登校日は9月1日よりもよほど早く訪れることになる。
スイス、ロシア、グリーンランドに代表される氷河のみならず、遂には南北の極を覆っていた永久凍土までもが一ヶ月を待たずしてすべて溶解したのだ。
文字通り地球は「水の星」となり、主要都市はおろか山岳部までもが軒並み水没するという未曾有の大災害を引き起こしたのである。
氷河の溶解、それはありえないスピードだった、少なくとも当時の愚かな人類たちはそう嘆いた。だが2000年初頭であっても、地球温暖化というジョーカーが奢り高ぶった人類にどのような死神の鎌を振りかざすかなど、科学的に誰も把握していなかったのだ。『“恐らく”何十年単位で氷河が消失するだろう』『“予想では”地球は数百年後には水のみの星になる』などという予測は、楽観論的希望論に過ぎなかったのだと偉い学者たちが思い知る頃には、地球上に「陸地」と呼べる箇所など一つも存在しなくなっていたのである。
かくして2065年、地球は水没した。
「てーな番組を、昨日のソーラーTVでやってたんだけど、望ちゃんどう思うよ?」
「いや、とりあえずいいから急げ歌子、このままだと確実に遅刻だ」
ぶっきらぼうにそれだけ口にして、泳ぎに集中する望ちゃん。うぬ、わが親友ながら相変わらず可愛くない。つーかこれだから文武両道品行方正ぢょしちう学生は困る、わたしなんざ今さら遅刻したって担任から何も言われないぜ! はっはっは!
「ちくしょうっ!」
「うわっ、待てよ歌子」
やけっぱちになり得意の平泳ぎでスピードを上げたわたしに引き離されたのもつかの間、クロールに切り替えて一瞬で追いついてくる望。ちくしょう、やっぱ異常なくらい速いなこの女。
「つーかお前こそ異常だ、平泳ぎで並のクロールより速いとかおかしいだろう」
「うっさい、異常とか言うな」
悪態をつくがそれでも悪い気はしない。不肖この水野歌子14歳、ダテに中学2年生にして平検1級(平泳ぎ検定1級)保持者じゃねーんだぜ!
「クロ検(クロール検定)は5級だけどな」
やかましいわボケ。
先月あった水泳法検定結果を思い出して朝から超ブルーだ。いまどきクロ検4級なんて小学生だって持ってるっつーの。どうもわたしはクロールはニガテでいかん。
100年前ならいざ知らず、今の時代にクロールに限らず泳ぎは必須項目なのである。高校受験だろうが大学受験だろうが就職活動だろうが何もかもが水泳法の検定に左右される。ちなみにわたしの今の志望高校はクロ検3級の背検4級が必須だというからムカツク。ぜんぜん足りてねーじゃねぇかちくしょうめ。
つーかまぁ、今の時代は水泳法検定をとらないと生きていけない時代だしなぁ……
昨日のソーラーTV(STV)でもやってたが、いま地球は水の惑星だった。わたしが生まれる20年も前にはまだこの星に「リクチ」と呼ばれるモノが存在していたらしいが、2085年生まれのわたしなどはこの目で一度も見たことがない。
まぁこれでもSTVの受け売りなんだけど、その当時は『魔の一ヶ月間』と呼ばれて世界中で何十億人もの人が死んでしまったんだそうだ。まぁそんなことはいまどき歴史の教科書を見れば真っ先に載っていることで、わたしらのような世代からすれば「ふーん、あ、そう」てな感じなんだけれど。
とにかく、いまこの星は世界中どこに行っても海、海、また海。この時代に泳げないということは生きていけないという事と同義なのである。世知辛い世の中だぜ。
「おっはよー、歌子ちゃーん、望ちゃーん」
「おうゆかりん、相変わらず今日もボケ顔だな」
「おはよう、ゆかり」
「ひどいよー歌子ちゃーん。おはよー、望ちゃん」脱力して海に沈んでしまいそうなのんびり声で話しかけてきたこの呑気おさげ女は鈴木ゆかり、わたしのもう一人の親友だ。相変わらず今日もボケボケしてやがるぜ。
「歌子ちゃんー、ひどいよー」
「歌子は相変わらず口が悪いな……」
ちなみにさっきから隣を泳いでいるのは芳川望、ボーイッシュなショートカットで主に校内の女子の人気を独り占めする両刀使いのヘンタイ女だ。
「誰が両刀でヘンタイだ、ボクはノーマルだ。というかヘンタイはお前だろ」
やかましいわボケ。
「ほらふたりともー、急がないとそろそろ予鈴鳴るよー?」
ゆかりがいつものように背泳ぎで、まったく危機感のない口調でそう言った。こう見えてこいつは背検2級で、背泳ぎで言えば学年トップクラスだ。今だって流しているが本気で泳げば望のクロールとタメを張る。
「……つーかこれだけでかい浮き輪が2つもついてりゃなぁ」
制服のスクール水着を押し上げる2つのばかでかい膨らみ。背泳ぎすると自己主張するように水面に顔を出してやがる。きっと栄養が脳みそに行かないで胸に行ってるに違いない。
「……歌子ちゃんそれセクハラ…」
「……まぁ歌子は水の抵抗少なそうだからな…」
「てっ、てめぇ望! 言っていいことと悪いことがあるぞ!」
「だって、なあ?」
「なあ? じゃねぇ! 同意を求めるな! だいたいてめーだって似たようなもんだろ!」
「ふふん」
「な、なんだその余裕の笑みは、と、とりあえず先週の身体測定の値教えてみ?」
「いいだろう、ちょっと耳を貸せ(ごにょごにょ)」
「は、はちじゅう台だとぅ!」
「ちょ、ばっ、声が大きいよっ!」
真っ赤になってんじゃねーぞこのアマ。
くそ、納得できないぜ。
「ときに、ゆかりんはいくつになったのかね?」
「え? 私? えーと、ことしで15歳に……」
「はいはいそれはおめでとう、で? サイズはいくつよ?」
「うん、確かに少し興味あるかも」
「ううっ、望ちゃんまで……えっとね(ごにょごにょ)」
「……」
「……」
「……行くか」
「……おう」
「ちょ、ちょっとふたりとも無言で泳いで行かないでよぅー」
ちくしょう、世の中間違ってる。
結局、この日は三人揃って遅刻した。
罰として担任から言い渡されたのが、旧校舎の水草掃除。こんちくしょう、これもぜんぶゆかりんのおっぱいのせいだ。
つーか青々しすぎなんだよこの水草どもがっ!