幽霊のタンゴ

2004/5/20 久慈光樹


 

 

 

 学校の帰り道、公園で幽霊に会った。

 

「やほー! しょーねん! わたしのこと見える? ねぇ見える? うわちょー感激ぃー!」

 

 めちゃめちゃ陽気だった。

 

「……なんだお前」

「むっ、なんだとは失礼ね、見てわからない?」

 

 なぜだかふふんと鼻をならして、得意げにポーズなんて取っている。後ろが透けて見えるあたりが非常にシュールだった。

 

「……帰るか」

「待てコラァ!」

 

 首の後ろを思い切り掴まれた。

 

「うおぁ! 冷てぇ!」

「ふふん、幽霊だからね、とうぜんとうぜん」

 

 ヤツは――ああもうこんな非常識な幽霊は“ヤツ”で充分だ――ヤツはなぜだか妙に自慢げに、貧相な胸を必要以上に張ってふんぞり返った。

 

「……キミ、いまなんかすげぇムカツクこと考えたでしょ」

「いやぜんぜん」

「……まぁいいや、ねぇキミ名前は?」

 

 幽霊に名前を尋ねられるなんて初めての経験だ。なんてことを考えながら、それでも名乗る。

 見た目俺よりちょっと年上くらいだろうか、向こう側の風景が透けて見える以外は、そいつはどこにでもいる普通の女子高生みたいに見えた。野暮ったいブレザーは正直あまり似合っていなかったが。

 自ら幽霊と名乗る得体の知れない女(まぁ後ろ透けて見えるけどな)、それでも素直に名前を答えてしまったのは、見た目的に割と可愛い子だったからというわけでは決してない。

 

「ふーん、で、キミ小学生?」

「ばっ……! 中学3年だっ!」

「ふふーん、そうなんだ」

 

 にんまりと笑うヤツに、俺はからかわれた――というか体よくあしらわれた事を知った。

 

「なんて性悪な幽霊だ……」

「むっ、こんなかわいこちゃんを捕まえてそれはないでしょうキミ」

 

 ――しかも死語だ。

 死語の世界の住人らしい。

 

「幽霊だけに」

「うん?」

「あ、いや、なんでもない。んであんたは?」

「むっ、年上に向かって“あんた”はないでしょう」

 

 そう言ってぷくーと膨れた。どう見ても年上に見えん。というか同級生の女子よりむしろガキっぽい。

 ひとしきりぎゃーぎゃー文句を言って、それでもしつこく名前を聞くと、ヤツはふと遠い目をした。

 それはなんと表現すべきだろう。

 見ている俺の方がドキリとしてしまうくらい悲しげで、儚げで。

 少なくとも、15年間生きてきてこんな悲しそうな目をする女子を見たのは初めてだった。

 理由もなく不安になって、比喩ではなく本当に胸がドキドキして。そんな俺を前に、ヤツは、ゆっくりと噛みしめるように言った――

 

「お腹すいた……」

 

 速攻で回れ右をして家路を急いだ。

 後ろから「なによー! ほんのギャグじゃないのよー!」という叫びが聞こえたが、シカトした。

 

 

 

 

「やほー! しょーねん、また会ったねー」

 

 迂闊だった。

 よくよく考えてみればこの公園は俺の通学路であり、通学路であるということは夕暮れ時のこの時間帯も家に帰るために通るということだ。というか昨日のアレは夢だと思いたかったのに。

 夕暮れの中、なにがそんなに楽しいのか相変わらずニヤニヤして、ヤツは昨日とまったく同じ姿でその公園に立っていた。

 

「また来てくれたんだねー、おねえさんは嬉しい!」

 

 なにがおねえさんだ、このナイムネが、と思ったが、とりあえず何事も無かったかのように素通りした。

 

「待てコラァ!」

「冷てっ!」

 

 速攻で首の後ろを掴まれた。俺は猫か。

 

「なんだよもう! 話しかけんなよ!」

「むぅ、いいじゃないのよーケチくさいわねぇ」

「だいたいお前なんだよ! 幽霊ならもっと幽霊らしくしろよ!」

「幽霊らしくって、どんな風にすればいいのよー」

「うっ……た、例えば」

「例えば?」

「……うらめしやー、とか……」

 

 爆笑された。

 

「んだよ、笑うなよ!」

「ひー、ひー、『うらめしやー』だって、ぎゃはははっ!」

 

 こ、このヤロウ……

 たっぷりと5分以上バカ笑いしたあと、ヤツは思い出したように「キミってアホだね」と言いやがった。真顔で。

 

「……帰る」

 

 「また明日も待ってるよー」という声を背中に聞きながら、俺は公園を後にした。

 

 

 

 

 

「やっぱアイスといえばハーゲンダッツよねぇ、うまー! 超うまー!」

「てめーどこの動物だ」

 

 翌日、アイスをたかられた。

 幽霊にアイスをたかられるなんて初めての経験だ。なんてことを考えながら、自分の分をしぶしぶ口に運ぶ。冷たい。何が悲しくて、秋風に震えながら公園で幽霊とアイスなど食べなくてはならないのか。

 

「だいたいてめー、幽霊のくせして何がハーゲンダッツだ、恥を知れ!」

「なによー、いいじゃないのよー」

「普通はあれだろ、こう好物のアイスがあってももう幽霊だから食べられない、とかそういう展開だろうここは」

「だって食べられるんだから仕方ないじゃない」

「どこが仕方ねーんだよ、高かったんだぞこれ!」

 

 アイス一つに250円はないと思う。ヤツと俺の分で500円、中学生には厳しい出費といえよう。

 

「なによビンボくさいわねぇ、可愛い女の子とこうして毎日話ができるんだもん、安いもんじゃない」

 

 むっ、まぁ見ようによっては可愛いといえなくもない気がするが……

 

「致命的に色気が無い、特にムネとか」

「……言ってはならんことを言ってしまったね――呪うよキミ?」

 

 呪われた。

 具体的にはハーゲンダッツ3個分くらい。

 その日は軽くなった財布に泣きながら家に帰った。

 

 

 

 

「ほんとにねー、自縛霊ってのもこれで大変なわけよ、分かる?」

 

 幽霊に愚痴られるなんて初めての経験だ。なんてことを考えながら、適当に相槌を打つ。

 

「この公園から動くこともできないし、だーれもわたしのこと気付いてくれないし、もう退屈で退屈で死にそうだったわよ」

 

 死んでるだろお前、と心の中でツッコミをいれた。

 別に会うのが楽しみだったわけではなく通学路だから仕方がなかったのだ。こうして毎日ベンチに座って夕焼けのなか話をしていく日がもう一週間も続いている。

 

「で? まだ名前も思い出せないのかよ」

「そうだねぇ、ぜんぜん」

 

 やれやれともっともらしくため息なんぞついているが、傍から見ればまったく困っているようには見えない。

 自縛霊というからにはこの場所になにか強い執着でもあるのだろうが、それすらも思い出せないという。まーなるようになるよ、とあっけらかんと言い放つ様は、とてもじゃないが幽霊とは思えなかった。いまさらではあるが。

 

「わたしのことはいいからさ、キミのこともっと教えなさいよ」

「俺のことって言ってもなあ」

 

 こうやって改めて考えてみると、自分は平凡なんだなあと思う。成績は中の下で、一人っ子、両親ともに健在で特に運動ができるわけでもない。何か特技があるわけでもなく、趣味もこれといってあるわけじゃない。

 そんな俺のつまらない話を、だがコイツはとても面白そうに聞いていた。

 

「キミってさぁ、幸せなんだね」

「はぁ?」

 

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまい、笑われた。

 そりゃあまあ、幽霊からしてみれば幸せかもしれないけど……

 

「うんにゃ、キミ幸せだよ、わたしが言うんだから間違いないよ、うん」

「納得するなよ勝手に」

「……キミ、自分がどれだけ幸せかって気付いてないんだね」

 

 ――なぜか、ヤツの物言いが酷く、頭にきた。

 

「なんだよ! 知るかよそんなこと!」

 それは哀れまれたのだと思ったのか、それともお前に俺の何が解るんだ、というそれ自体が酷く子供じみた反発心だったのかもしれない。

 とにかく俺は、激昂し、気付けば――

              ・・・・・
「バカヤロウ! お前なんて、消えちまえ!」

 

 そう叫んで、公園から走り出していた。

 そのとき、俺は一度も後ろを振り返ることは無かったし、あのバカみたいに脳天気な声が聞こえてくることも、最後までなかった。

 

 

 走って走って、家に辿り付いた時にはもう後悔していた。晩御飯を食べて部屋に戻る頃にはなんて言って謝ろうか考えていた。

 

「はぁ……」

 

 どうしてあんなに怒ってしまったのか、自分でも解らない。

 

「消えちまえ、か」

 

 いくら相手が幽霊だからといって、いや、幽霊だからこそ、それは酷い言葉だと思った。

 なんて言って謝ればいいだろう。やっぱり怒ってるだろうなぁと考えて憂鬱になる、ひょっとしたらもう口もきいてくれないんじゃないだろうか。

 受験勉強も手につかず、その日は早めに床についたのだけれど。

 ヤツの似合わないブレザーと、怒鳴った時のびっくりしたようなマヌケ面がちらついて、俺はなかなか眠りに落ちることができなかった。

 

 

 翌日、学校でも俺はずっとヤツに謝る言葉を考えていて、先生に怒られたり理科の教室を間違えたりした。

 だが結局それらはすべて無駄になる。その日も、その次の日も、そのまた次の日も。ヤツは公園に現れなかったのだ。

 

「ったく、どこ行ったんだよ」

 

 4日目の土曜日になっても現れないヤツに、俺はそう文句を口にする。

 

「くそっ!」

 

 苛立ちに任せてベンチを蹴りつけた俺を、咎めるものはいない。

 この公園は、寂しかった。田舎のこの街のそのまた片隅にある公園は、訪れる者も滅多になく、こうして夕暮れ時ともなると人影はおろか車の音さえ聞こえては来ない。

 

「こんなところに、ずっといたのかよ」

 

 そして、これは本当に今にして思えばなんて迂闊だったのだろうと思うのだけれど。

 俺はここで初めてヤツが、あの脳天気な、無駄に明るくてバカみたいにケラケラ笑うあのアホ女が、自分とは違う世界に住んでいるのだということを自覚した。

 

「なんで、いねぇんだよ……」

 

『消えちまえ!』

 

 そう言ったからか、俺がそう叫んだから、ヤツは消えてしまったのか。

 いつの間にか、そう、いつの間にか俺は、ヤツを自分と同じ人間だと思って接していた。たった一週間だったけれど、ヤツと話している時間は楽しかった。

 

 

 ――そう、人とあんなに話をしたのは、本当に久しぶりだったから。

 

 

 ヤツに話したことは、そのほとんどが嘘だった。学校に、友達なんていなかった。クラスメイトはいたけれど、みな他人だった。

 友人同士輪になって笑いあっているその中に、一声掛けて入っていくというたったそれだけのことが、俺にはできなかったから。

 俺はあいつらとは違うんだ、あんなバカ話をするなんて俺にはできない。ずっとそうやって自分を騙してきた、本当は輪の中に入りたかったのにそんな勇気もなく、ただ他の人間はみなバカだと蔑んで、自分を慰めてきたのだ。

 それはなんて滑稽で、醜くて、卑怯で――

 そんな俺が、ヤツに『消えちまえ』なんて言う資格なんてなかったのだ。

 

 

 

「やほー、しょーねん」

 

 

 

 すぐには、振り向かなかった。

 恐らく俺は今にも泣き出そうな顔をしているだろうから。そんな顔をヤツにだけは見られたくなかった。もし見られたらなにを言われるかわかったもんじゃない。

 なるべくさりげなく、ごしごしと制服の裾で顔を拭って、振り返った。

 

「わたしのこと、見える?」

「……見えるに決まってんだろ」

「そか」

 

 秋の夕暮れ、真っ赤に染まった公園の中央に、ヤツは立っていた。

 

「どこ、行ってたんだよ」

 

 ヤツは答えず、夕焼けが逆光になってよくは見えなかったけれど、微笑んだようだった。

 

「わたしね、ずーっと前にこの公園でね、死んだんだ」

「……思い出したのかよ」

「ううん、ほんとはね、最初から自分のこと解ってたんだ。ごめんね、ウソついて」

 

 おあいこだね、と言って、また微笑む。その言葉で、俺は自分のウソがバレていたのだということを知った。自然と、腹は立たなかった。

 

「わたし、この公園で、レイプされて殺されたの」

 

 生々しい話に、息を呑む。なるべく悟られないようにしたつもりだったけれど、伝わってしまったのだろう。あはははと所在なげに笑うヤツが、初めて歳相応の少女に見えた。

 

「痛くて、苦しくて、キモチ悪くて――気付けば幽霊になっていましたとさ」

 

 沈んでいく自分の声を振り払うように、後半はいつものように脳天気な声だった。

 

「いやー、まさか自縛霊になっちゃうなんてねー、これがホントの自爆霊? なんつってなー、あはは」

「……」

「なんだよー、笑えよー、ここ笑うとこだぞー」

「……アホか、ぜんぜん笑えねぇよ」

「あははは、やっぱり?」

 

 ったく、こいつは……

「元気、出た?」

 

 そういったヤツの声はとても優しくて、その笑顔がとても優しくて。

 不覚にも、涙が出た。

 

「わわわっ、なんで泣くのよー!」

「……うるせぇアホ」

「むっかー! キミ年上に向かってなんつー言い草か!」

「……なにが年上だよ、ナイチチのくせに」

「うわっ! 言うに事欠いてなんつーことを、それセクハラだよ!」

「ふん、事実だろ」

「むっきー!」

 

 しばらく、そんなつまらない言い合いをしていたら、涙なんて普通にとまってしまった。いつの間にか、俺も、ヤツも、笑顔で。

 そして――

 

 

「キミのウソは、ウソじゃなくなるよ」

「だってキミは、生きているんだから」

 

 

 そう言って、ヤツは笑った。

 

 

 

「わたし、もう行くね」

 

 夕焼けの中ヤツがそう言ったとき、俺はあまり驚かなかったように思う。

 ヤツだったらこうするだろうということが解っていたのかもしれない、たった一週間だけの付き合いだったけれど、ヤツの考えそうなことだと思った。

 だから自然と言葉が出た。

 

「あのさ、お前も頑張れな」

 

 これから消えていく幽霊に向かって『頑張れ』もないと思ったが、気にしない。

 どこにいても、どんな境遇にあっても、頑張ることは同じはずだった。

 

「うん、キミもね」

 

 真っ赤な夕日を背にそう微笑むと、もともと透けていたヤツの身体は徐々にその透明度を増していく。

 

「なあ」

「ん?」

「そういえば名前、まだ聞いてなんだけど」

 

 俺がそう言うとヤツは微笑んで、だいぶ小さくなった声で答えてくれた。

 

 

「わたしの、名前はね――

 

 

 

 

 

 あの秋の日から一年が経って。

 俺はあんまり変われていない。相変わらず友達は少ないし、つまらないことで勉強が手につかなくなるくらい落ち込むこともある。人間、そんなにすぐには変わることはできたら苦労はないのだ。

 だけど、俺は頑張れる。頑張れると思う。

 あのとき最後に『バイバイ』と言って手を振ったアイツの姿を覚えている限り、俺はこの先もなんとか頑張っていけると思う。

 

「だからてめーも頑張れよ」

 

 空に向かってそっと呟いてみた。

 

 

 

『キミも頑張りなさいよね! しょーねん!』

 

 

 

 あのときと同じような秋の夕暮れのなか、ヤツの声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

<FIN>