「お兄さん、スーパーに行きますけど何か買ってくるものありますか?」
あー夕実ちゃん今日も元気だなー、ラジオ体操おつかれさまー、子供は朝から元気でいいよねー。
「ええと、お兄さん聞いてます?」
「んあー?」
すんません聞いてませんというか頭がまったくまわってません。
「はぁ……ほんと朝弱いんですね」
苦笑して冷たい麦茶を出してくれる夕実ちゃん。いやだってキミまだ朝の7時ですよ? いつもだったらまだ夢の中ですよ? ましてや休みの日なんてこんな時間に起きていること自体があり得ないですよ?
「あのさ夕実ちゃん、俺のことなら別に起こしてくれなくても……」
「ダメです」
「いやだってほら、俺、朝ごはん食べないし……」
「ダメです」
「いや、だからね……」
「ぜったいにダメです」
「……はい」
朝はちゃんと起きるべきです、と、始終笑顔ながらも妙に迫力のある夕実ちゃんに、結局俺は押し切られたのであった。
意外とこの子、押し強いな……
「情けないぞ裕也」
うるさい、というか親父いたならなんか喋れよ、無口にもほどがあるだろ。
夕虹 -ゆうにじ-
第六話
2010/08/17 久慈光樹
「早く起きてもやること無いんだよなー」
部屋に引っ込んだ俺は、朝の一服と洒落込んでいた。朝に吸うたばこは格別だったが、吸い終わると途端にやることがなくなってしまう。
ちゃぶ台に置かれた真新しいガラスの灰皿。わざわざ俺のためだけに用意してくれたそれをなんとなく眺める。
昨日はすぐにでも東京に戻ろうと思っていたが、なぜだか今はもう少しここにいてもいいかなと思える。
「お兄さん、ちょっといいですか?」
遠慮がちにそう声をかけてから、襖を開けて夕実ちゃんが顔を出した。
「さっきのことなんですけど、スーパー行くので何か買ってくるものありますか?」
ああそうか、そういやそんなこと言ってたな。
「あれ? でも買い物なら昨日したんじゃなかった?」
その帰りに偶然道で会って、雨宿りをした。そして二人で夕虹を見たのだ。
「あ、はい、今日はスイカを買ってこようと思って」
なるほど、昨日の時点で既に買い物袋はいっぱいだったから、スイカは今日改めて買いに行くつもりだったのだろう。
「あー、だったら俺が行ってくるよ、重いから大変だろ」
俺だって少しは兄らしいところを見せないとな。
「え、あ、でもお兄さん、スーパーの場所知ってますか?」
「……」
兄らしいところを見せる間もなく撃沈ですよ、情けないなオイ。
「あ、えと、そ、それだったら、い、いっしょに買い物行きませんか」
なんだかすごく申し訳なさげに、夕実ちゃんはもじもじしながらそう聞いてくる。
「あ、いや別にそんな気を遣ってくれなくても……」
「……ダメですか」
「ああいやいや! ダメじゃない、ダメじゃないから!」
気を遣ったのだろうと勝手に判断したのは早計だったらしい、しょんぼりと落ち込んでしまった夕実ちゃんに慌ててしまう。
いかんな、しっかりした子だからついつい対等な大人のように接してしまうけど、どんなにしっかりしてても夕実ちゃんはまだ小学生だ、変に勘ぐらず言葉の通りに受け取って対応してあげないと。
「よし、じゃあいっしょに買い物行こうか」
「はいっ」と気持ちのいい返事をして、夕実ちゃんはにっこりと笑った。
ああ、この子はやっぱり笑顔が一番だな。そんなことを思ったりした。
「大丈夫ですか、スイカ、重くないですか?」
「ああこのくらいなら平気。夕実ちゃんこそ重くない? もう一袋持つよ?」
「平気です、わたしこれでもクラスでいちばん力持ちなの」
「いや女の子がいちばん力持ちじゃダメだろ」
「えへへ、お母さんにも同じこと言われた」
変に勘ぐらず素直に接するよう心がけたのが功を奏したのか、それとも単に慣れてきただけか、最初の頃と比べて夕実ちゃんはだいぶ自然に接してくれるようになった。
まだ基本的には敬語だが、言葉の端々に気安さというか仲良しに接してくれる感じが出てきたように思う。
いやー、意外と俺って保父さんとかに向いているのかもなー。
「……お兄さん、いまとても失礼なこと考えませんでしたか?」
半眼で睨まれてぶるぶると首を振る。……意外に鋭いなこの子。
「しかしそれにしても暑いなあ……」
別に話題を逸らしたわけじゃなくて、本当に暑かった。湿度が低いのは救いだったが、なにせこのあたりはビルもなにも無いから日差しを遮るものがない。
「お兄さん汗かいてますよ」
額からつーっと頬にかけて汗が伝った。ポケットにハンカチは入っているけれど、生憎と両手がふさがっている。
「ちょっと待ってくださいね」
夕実ちゃんはそう言ってスカートのポケットから真っ白なハンカチを出すと、俺の顔に向けてぐっと手を伸ばした。
「……届かない」
いやそんなに恨めしそうな顔をしなくても……
俺が飛びぬけて背が高いというわけじゃなく、夕実ちゃんが平均的な小学5年生よりも低いんだと思う。
「夕実ちゃん、前へならえするとき腰に手を当てる位置でしょ」
「……………………はい」
なんともいえない長い間の後に、ぽそりと呟くように頷く。
やばい、ひょっとして気にしていたのか?
俺は慌ててフォローすべく口を開いた。
「あれだ、背があまり伸びないと、服を買い換える手間が省けて経済的!」
……フォロー失敗!
夕実さんこっちを超睨んでいらっしゃいます。
「あ、いや、今の無し!」
やり直しを要求。再度フォローを試みる。
「あれだ、ほら、その……そう! 小さいと食べる量も少なくて経済的!」
……またしてもフォロー大失敗!
そんなに経済面ばかり強調してどうする! どんだけ貧乏なんだよって話だ。
ああ、夕実ちゃんそんな冷たい目で俺を見ないでっ!
というかこの場合フォローとしては何が正解だったんだ!
「……もっとこう、小さい方が可愛いよ、とか……」
「え? 何か言った?」
「な、何も言ってません! お兄さんのオタンコナス! わたしもう帰る!」
ひぃ! ついにオタンコナス認定! というか夕実ちゃん何気に古風!
それから俺はもう二十歳過ぎた男としてそれはどうなのよ、と言われても何も反論ができぬほどに頭を下げて、帰りにアイス一本買ってあげるということでなんとか手打ちにしてもらったのだった。
この年頃の子は難しい……
「うわ、スイカバーとか懐かしいなオイ」
またスーパーまで戻るのも何だったので、途中少し寄り道して駅の売店でアイスを買うことにした。
荷物があるので食べながら帰るわけにも行かないし、待合室は冷房が効いているのでちょっと休憩していくにはもってこいの場所だった。
「あ、スイカバーいいな、うう、でもガリガリくんも捨てがたい……」
やっと機嫌を直してくれた夕実ちゃんがなにやら悩んでいる。
確かに小学生にとってアイスといえばスイカバーかガリガリくんだよな。棒が丸い黄色いバナナのアイス(なんて名前かは忘れた)とかも俺らにとっては定番だったが、さすがにそれはないようだ。
「スイカバー、種がチョコでまた美味いんだよね」
「あ、それわかる! かりっとして美味しいですよね」
「あれ? かりっと? チョコチップというか、チョコの塊でしょあれ」
「ええっ? 違うよ、なんていうのかな、丸くて中が空洞になってて、かりっとしてて」
「なんてこった、変わっちまったのかスイカバー、あれはチョコの塊だったから美味かったのに」
「えー、ただのチョコより今の方が美味しいと思うなあ」
そんな感じでわいわいとアイスを選ぶ。
夕実ちゃんはやっぱりわたしもスイカバーにしようかな、いやでもやっぱりガリガリくんも捨てがたいし……とまたうんうん悩み始めた。
俺だけ先に買って一人で食べるのは味気ないので、のんびり待つことにした。
なんとなくあたりを見回すと、ちょうどホームに電車が入ったところだった。
こっちは東京のように分単位で電車がくるなんてことはなく、昼前のこの時間だと1時間に一本ペースだ。
普通はその頻度だと一本あたりの乗車数が多くなりそうなものだが、電車が着いても乗る人もなく駅は閑散としている。なんともまあのんびりした田舎町だ。
乗る人はいないが降りる人は何人かいたようだ、ぱらぱらとまばらに大きな荷物を抱えた人が改札から出てきた。自動改札なんて洒落たものはないから駅員さんが一枚一枚切符を切っていく。
俺たちのいる売店は改札の正面にあったので、見るとはなしにぼんやりとそちらを見ていた俺は、改札を通り過ぎた女性と目が合った。
「……?」
いや目が合うどころの話じゃない、その場で立ち止まってこちらをガン見している。
ええと……誰この子。
年の頃は十代後半か二十代前半、女性の年齢は見た目からじゃ解らないものだが、少なくとも俺よりは年下に見えた。
涼しげなサマーシャツ、ホットパンツから伸びる白い脚が眩しい。長い髪の毛の一部を変則ポニーテールのような感じで斜め後ろで結んでいて、珍しい髪型だったがそれがまた似合っていた。
キャスターつきの旅行バッグを押しているところを見ると、俺と同じく帰省してきたのだろう。
別段、おかしなところがあるわけではない、割とかわいい子だとは思うが、知り合いというわけでもない、初めて見る顔だった。
それなのになぜかガン見。ぽかんと口を開けてまるで宇宙人と遭遇しちゃいましたみたいな勢いでガン見。
後ろを振り向いてみたが別に誰かが立っているわけではない、さりげなく一歩横に動いてみると、女の子の視線も追いかけてくる。間違いなく俺を見ているようだ。
「ええと……」
これはひょっとしてあれか?
ちらりと夕実ちゃんを横目で見る。
相手が女性だとはいえ油断はできない、これはひょっとして夕実ちゃんのかわいさになにかよからぬことを企てているヤバイ人なんじゃなかろうか……
「決めた! やっぱりわたしもスイカバーに――って、お兄さんどうしたんですか?」
なにやら決死の勢いで決断したらしい夕実ちゃんが、嫌な汗をかき始めた俺を見て怪訝な顔をする。
そのまま俺の視線を追って変則ポニーの子に気付き、息を呑んだように見えた。
いや、こちらはそれどころではない、ここは兄としてかわいい妹を守る場面じゃなかろうか。
ガツンと言ってやるべきなのだ。
そして夕実ちゃん、変則ポニー女、俺の三人が同時に口を開いた。
「音美お姉ちゃんお帰りなさい!」
「裕くんっ! うわー久しぶりー!」
「うちの夕実に何か用かコラァ!」
「え?」
「え?」
「え?」
三者三様の嫌な沈黙。
そしてまた気を取り直して同時に発言。
「ええと、お兄さん、音美お姉さんですよ?」
「うわー夕実ちゃんも久しぶり、大きくなったねえ」
「夕実に手ぇ出したらただじゃおかねぇぞコラァ!」
「え?」
「え?」
「え?」
またしてもイヤーな感じの沈黙。
「えと、とりあえずお兄さん空気読んで」
そして俺はよりによって夕実ちゃんにダメ出しされたのだった。
<つづく>