えっせい
「身体に障害を持つ」ということ
改訂版
私の中学の時の同級生で、将来は福祉の仕事に就くのだと夢を語ってくれた友人がいました。
何せ中学生の頃のことです。私などまだ「パイロットになるんだ」とかよくわからないことを考えていた時期なのに。
彼は今の日本の福祉が、いかに不公平なものなのか、いかに北欧などの諸外国と比べて遅れているか、とつとつと語ってくれました。
正直、私には理解できない世界でした。まだまだ子供でしたからね。シャカイフクシなんてテレビの中だけの話であり、現実感などありませんでした。
事実、高校に進学して彼とは別々の道を歩み、彼が語ってくれた話などすっかり忘れ去っていました。
私が高校を卒業し、コンピュータ系の専門学校に通い始めて。
彼の噂を聞きました。
彼は、中学の頃に私に語ってくれた夢の通り、福祉の専門学校に入学したそうです。
なんてすごいやつなんだろう。
私が一番に感じたことは、そんな畏敬にも似た念でした。彼は中学生の時、決して思いつきや奇麗事ではなく、真剣に、本当に真剣に考えていたんだな、と。
省みて、私はちょっぴり自分が恥ずかしかったのをよく覚えています。
今はもう彼と会う機会もそうそうないですけれど。きっと彼は夢を適えたのだと信じています。
我が家は現在、前々から身体の不自由だった祖父がまたしても倒れ、現在では俗に言う「植物状態」です。
身体に障害を持つ家族を抱える家庭の大変さ。現在、完全介護制の福祉施設はどこも飽和状態で、2年3年先まで予約でいっぱいな状況であるとのことです。
病院とても1、2ヶ月しか入院させてはくれぬ状況で、つい先日より意識のない祖父は家に帰り、今は母が一人、つきっきりで面倒を見ているのです。
仕事の都合上、実家を離れねばならない私です。母は「そんなことは気にしなくてもいい」と言ってくれます。弟が同居する際に取り決めた食費の仕送りを断ろうとした私を逆に叱った父と母。
「親の面倒を見るのは当たり前だ」と言い、「うちらがそうなったら今度はお前に面倒見てもらうからな」と笑う両親に、少し、ほんの少しだけ涙が出ました。
土日は仕事を何とか都合し、できうる限り実家に帰省するようにしています。
祖父の世話を見せてもらいました。私が想像していたよりも、ずっとずっと過酷でした。
ツンと鼻を突くアンモニア臭。喉に詰まらせぬよう専用の器具で日に何回も痰を取り、オムツを変え、鼻に通したチューブから流動食を与え、床ずれしないように何度か姿勢を直してやる。
社会福祉だとか介護だとか献身だとか、そんな奇麗事などそこには微塵もなく。
圧倒されるだけの私に、母は「結構大変でしょう?」と笑いました。
一度経験したら、漠とした憧れや夢などではとてもやっていけない世界だということを、身に染みて感じました。
冒頭に書いた友人も、ひょっとしたら最初は軽い気持ちだったのかもしれません。人に誉められる仕事だということを、意識してのものだったかもしれません。
ですが現実を知ってもそれを貫いた。私が彼のことを本当にすごいと思ったのは、結局最後まで自分の夢を貫き通したということに対してだったかもしれません。
今回のタイトルに「改定版」とついているのは当然訳があって、まだ祖父が2度目に倒れる前、昨年の12月初めくらいに一度このお題でエッセイを書いていたんです。
そのときは自分の家族のことをネタにするのに抵抗があって、IRCで数人の方に読んでいただいただけに留めました。
今回あえて改定版として公開したのは、その頃から状況が変わり、私の心境にも変化があったから。
昨年の私がどんなことを考えていたのか、こちらをご覧下さい。
口調が違うのはまぁ深い意味は無くて、でもやっぱりちょっぴり意味はあって。
あの頃考えていた「こうだ」というしっかりしたものが、私の中で揺らいでいる証拠なのかもしれません。
あの頃にあのエッセイを書いた時には、確かにああいう風に思っていたのだけれど。やっぱりそれは今にしてみればとっても奇麗事で。理想を優先して現実が見えていないように感じられて。でもだからといって全部否定するほどには割り切れていなくて。
私が心身に障害を負ったら、特別扱いして気を遣って欲しくはないなあ、とは思うけれど。実際にそうなってもそう思いつづけていられるのかなんてわからないし。
すごく嫌な感情だけど、祖父のようにはなりたくない、なんて考えてしまったりして。
正直、まだこのお題ではものを書くべきではなかったのかもしれません。
それでもやっぱり、「今現在の久慈光樹」が考えていること、考えないでいること。そういうものを残しておきたかった。
今回は正直ぜんぜんまとまりが無くて意味不明な文章になってしまったのをちょっぴり後悔しています。
もう少し時間が経って、私なりに色々と無責任に考えて。
それでちょっとでも答えが出たのなら、またこのお題でエッセイを書いてみたいと思います。
ふと。
福祉の仕事に就いたであろう、中学時代の友人の彼と、一回ちゃんと話をしてみたいな。
なんてことを思いました。