えっせい

「進むべき路を定める」ということ


 

 

 ちょっと私の話をしよう。

 

 私は専門学校卒である。大学は受験しなかった。

 大学に行く気はなかった。早く社会に出たかった。

 もう勉強するのがイヤだったというのも当然あるけれど、私は早く社会に出たかったのだ。

 

 今にして思えば何とも子供子供した考えであり、正直早まったかなぁなどと苦笑することもある。もうちょっと学生で楽しておけばよかったかなぁとか。

 当時なぜあんなに早く社会に出たかったのか、正直よくわからない。

 何かに焦っていたのかもしれないし、単に何も考えていなかっただけなのかもしれない。

 とにかく3年制のコンピュータ専門学校を卒業し、今の会社に入った。

 

 後悔はしていない。

 ……と続けばカッコイイのだけれど、そんな事は無く、後悔することもある。いやむしろ後悔のし通しだったと言っていい。

 仕事が辛いと泣きが入るなんて日常茶飯事だし、もう辞めようと思ったことだって1度や2度ではない。正直よく続いているなぁなんて自分で感心してしまうくらいだ。

 

 

 私は小学生の頃、パイロットになりたかった。それも旅客機のようなものではなくて、戦闘機のパイロットになりたかった。

 よく分からない。流石は小学生、バカである。

 なにせわたしゃ自慢じゃないが高いところがからきしダメなのである。遊園地で一番怖い乗り物は観覧車なのである。そのくせなりたかったのはパイロット。わけがわからない。

 中学生になってもう少し現実がわかってくると、今度は設計士になろうと考えた。家の設計をする設計士である。

 私のおじさん、母の弟であるところのおじさんが、この設計士だったのだ。

 私がまだ小さい頃、東京で勉強して資格を取ったこの「東京のおじちゃん」が設計した家は、カッコよかった。

 当時私は本気で設計士になろうとし、分かりもしない難しい建築関係の資格の本を買ってきて、親に呆れられたものだ。

 

 設計士になりたかった私が、今の職業についているのはCADを見てからだ。

 CADというのはまぁ簡単に言えばコンピュータで図面を書く機械である。

 こいつがまたカッコよかった。

 なにせ“こんぴゅーたー”なのである。時代の“さいせんたん”なのである。

 

 思えばこのときに道を踏み外したのだ。

 

 今の私はソフトウェア技術者である。

 だけど高いところが嫌いじゃなければ、今ごろはパイロットになって大空を駆け回っていたかもしれない。

 CADさえ見なければ自分の設計した家がバーンと建っていたかもしれない。

 今の私は必然ではなくて、単なる偶然の積み重ねだ。

 

 

 

 さて、私には弟が一人いる。

 この弟、はっきり言って“ぽややん”である。

 もう全くもって“ぽややん”であり、兄としては先行き不安と言わざるを得ないのである。

 世間知らずで危機感が足りなくて、そのうちに詐欺にでも引っかかって羽毛布団でも買わされるのではないかと不安になるくらいの“ぽややん”ぶりなのである。

 まぁ彼の名誉のために言い沿えるなら、7つ歳の離れた兄から見れば、弟なんてそんなもんかもしれない。

 7つといえばかなり離れている。

 私は弟と同じ学校に通った事がない。

 弟が小学校に入学する頃には私は中学2年生だったし、彼が中学校に入学する頃には私は専門学生で成人式だったのである。

 そんな彼も今年は大学受験であるのだから、光陰矢の如しとはよく言ったものだ。

 

 彼が高校受験の時には、私は東京の専門学校に通っていた。

 兄弟ではあんまり真面目な話はしないものかもしれないが、私と弟は割とした。というよりは私が心配で色々と聞き出そうとしたと言うのが本当のところであるが。

 なにせ心配だったのである。

 東京に一人暮しであり、弟と顔を合わす機会も極端に少なくなり、また彼は“ぽややん”であったから、もう心配で心配で仕方がなかった。

 ましてや「おい弟、キミは将来どんな職に就きたいのかね」「んー、わかんね」なんて会話をすれば兄としては不安になろうというものだ。

 結局高校は普通科を受験する事になり、受験自体もなんとか無事通過できた。恐らくは弟以上に安堵した私だった。

 

 その弟が、今年大学を受験した。

 大学受験に際し、弟と幾度か話をしたことがある。

 最初、彼はコンピュータ関連の仕事に就きたいというようなことを言っていた。

 全力で止めた。

 こんなヤクザな職業には就かない方が無難である。

 それからしばらくは私が長野に転勤になったこともあり、話をする機会も無かった。

 そして今年。いよいよ大学受験の年。

 弟は、私が戸惑うくらいはっきりと自分の将来の展望を語ってくれた。

 

 彼は将来、カウンセラーになりたいのだそうだ。

 心理学に興味をもち、それ系の小説やらなんやらを読み漁っていたのは知っていた。だがまさかそこまでしっかりと考えているとは思わなかった。

 そのために心理学関係の学科がある大学を自分でピックアップし、そこに入る事を目標に勉強をしていた。

 あの“ぽややん”が、である。

 まぁ彼も18なのだし、大学を受験する人にとってはそんなことは当たり前のことなのかもしれない。

 だが、あの“ぽややん”が、である。

 そして更に驚く事に、大学受験に必要なお金――受験の申し込み料であるとか交通費であるとか――は、彼が全額負担したのだという。今まで溜めていたお年玉やら何やらを全て使って。

 3校受験したらしいので、恐らく総額は20万円以上になったことだろう。それを全額彼が負担したと言うのだ。母も驚いていた。

 あわよくば今年合格したとしても、カウンセラーになるのに必要な資格は大学院まで行かないと取れないらしく、弟はあいつなりに考えて少しでも親の負担を軽減したかったのかもしれない。逆にただええカッコしいがしたかっただけなのかもしれない。

 だけどあいつはなけなしの貯金をはたいてまで自分の進みたい“路”(みち)に向かって歩き始めたのだ。

 

 

 話をまた私に戻そう。

 紆余曲折あって、私は「ソフトウェア技術者」という“路”を選択した。

 ちょっと抽象的な話になってしまうけれど、過去、私の行く末には幾つもの路があって、その一本が今であり、この先も幾つもの路が存在している。

 その路はどれ一つとして同じではなくて、違う未来に分岐している。

 決して後戻りはできなくて、時々後ろを振り返ってみることしかできない。

 そしてこれは当たり前のことかもしれないけど、その“路”は人によって違うんだきっと。

 

 私の路と弟の路は全然違う。

 きっと弟の前には、彼の望むカウンセラーになるという路があって、彼はその路に向かって歩み始めたんだろう。

 凄く遠いに違いない、ひょっとすると途中で違う路に分岐してしまうかもしれない。

 だけどあいつは確かに歩き始めた。

 

「あー、あそこに辿り着けたらいいなぁ」

 

 と立ち止まって眺めているのではなくて、

 

「辿り着くにはこの路を行けばいいんだな、じゃぁいっちょ行きますか」

 

 と一歩を踏み出した。

 こりゃあ私もうかうかしてはいられない。

「あー、もうこんなに来たんだなぁ」なんて後ろを振り返っている場合ではないのである。

 

 私の前にも路はある。

 弟より7年ぽっちしか先行していない、まだまだ半分も来ていない。うかうかしていたら、「兄ちゃんまだそんなところにいるの?」なんてことになってしまうじゃないか。

 兄として、そりゃあんまりにもカッコ悪い。

 

 立ち止まるのはもうやめだ。

 後ろを振り返るのはもうやめだ。

 立ち止まるのは後でもできる、振り返るのもいつでもできる。

 ほら、しっかりと前を向いて!

 走る必要なんて無いよ、ゆっくりでもいいんだよ。

 遠回りしたっていいじゃない。ちょっとばかし路を間違えてもいいじゃない。

 あんまりのんびりしてるのも困るけど、あんまりあくせくするのも柄じゃないしね。

 確かに路はきっと遠いけれど、一歩一歩はほんとうに小さいけれど。

 それでも歩かなくっちゃ辿り着けない。

 私には“翼”はないからね。歩いていくしか手は無いの。

 さーて、いっちょ行きますか。

 

 私の、私だけの、この“路”を。

 

 

 

 そんなことを、最近私は考えている。

 

 

 

<おしまい>