えっせい
「家族になる過程」ということ
「お父さん、おばあちゃん。ありがとう。今まで本当にお世話になりました」
新婦の涙声がマイクを通して会場に響く。
誰も物音ひとつ立てず、その声に聞き入る。
「私は、この人と幸せになります」
割れんばかりの拍手。
決してお義理の拍手ではなく、心よりのそれ。
私もその一員だった。
7月29日の土曜日、会社の先輩の結婚披露宴に出席した。
新郎は私の直上の先輩であり、今は東京勤務になってしまったが入社してから今まで、非常にお世話になった方だ。
私が仕事でポカをして、納期に間に合わなくなりそうな時もいっしょに徹夜して面倒を見てくれた。
お家にも何度もお邪魔してご飯を食べさせてもらった。
年齢が比較的近かったこともあり、いっしょに馬鹿やっては上司に怒られたり、新婦に呆れられたりしたものだ。
新婦も会社こそ違えど、私が転勤するまで居た協力会社の人で、この方にも入社以来非常にお世話になった。
結構気の強い方で、久慈は自社の先輩よりもこの方を恐れていたくらいである。よく怒られたが、そのくせさっぱりした気持ちのいい方でそのことを後に引きずることがない。
文章などさっぱりだった私に、ビジネス文書および文章の基礎を叩き込んでくれたのもこの方だ。おかげさまで多少は読める文が書けるようになったと思う。
新郎とそのお友達とキャンプに連れていってもらった時には、料理の見事な手際に驚いたものだ。
そのお二人が、遂にご結婚なさった。
我が事のように嬉しかった。
本当に幸せになっていただきたいと思う。
そんな気持ちいっぱいで出席した結婚披露宴。
新婦の見事なドレス姿にため息が出たり、新郎の見事な緊張っぷりに大笑いしたり。あまりにもあまりにもな我々システム部の余興(私も当然参加した)に顔から火が出たり。
結婚式というものには今までも何度か出席したことはあるが、やはり結婚する両人に思い入れがあると違うものだ。
そんな雰囲気で披露宴は進み、新婦による両親への挨拶。
私は新婦である先輩が涙を流すところを初めて見た。
普段は私などよりよほど毅然としている彼女が、涙に声を詰まらせながら、肩を震わせて必死に両親へ宛てた手紙を読む。
その震える肩をしっかりと新郎が支える。
新婦には母親が居ない。
詳しいことは知らない。死別なのか、そうでないのか。
就職して一人暮しを始めるときにもほとんど家出同然だったと以前本人が話してくれた。
他人である私には想像できないが、恐らく家族間の確執もあったのだろう。
だが、彼女は言った。
「今までありがとう」 と。
心よりの言葉には言霊が宿るという。
彼女の言葉が、それだった。
新婦の父も、母親代わりだったであろう祖母も、泣いていた。
以前私は家族についてのエッセイを書いた。
その中で、血の繋がりの是非を論じたことがある。
血は水よりも濃い。
私はこの言葉に反発を覚え、家族の定義に血の繋がりは関係無いと思ってきた。
今でもそう思っているし、血が繋がっていないからといって家族たり得ないとは思わない。
だが、確かに“血は水よりも濃い”のだろう。
どんなに反発しても、どんなに反目し合っても、家族という絆は決して途切れることは無い。
今回、そんなことを思った。
結婚を経て、新たな家族となった二人。
その絆は、各々の両親との絆に比べればまだ細く途切れ易いものだろう。
ちょっとしたことで揺らぎ、切れそうになる。
だが年を経るにつれ、より太く強固なものになっていく。
やがては二人も親となり、血の繋がりが形成されていくのだ。
無論、平坦な道ではないだろう。
喧嘩だってするだろう。不吉なことだが、重なった道が分かれてしまう事だってあるかもしれない。
あたりまえだ。
いくら付き合いの長い二人とはいえ、元は他人なのだから。
今まで二人が育った環境は、当然の事ながら全く違う。
それが今この瞬間から全く同じ環境下に置かれるのだ。
当然軋轢や摩擦があるに違いない。ましてや新郎の親と同居ということになるのだから余計に。
これも以前書いたことだが、某有名ロボットアニメに出てきた台詞。
「家族ごっこ」
初めて聞いたときにはいたく憤慨したものだが、家族になる過程はまさに家族ごっこに過ぎないのではないだろうか。
ずっと前になるがとある方から以前のエッセイについて感想を頂き、そして今回の結婚式に出席して、そう考えるようになった。
男性と女性。互いが無理をして、今までの環境の違いを埋めていく行為。
恋人以上、家族未満。そんな関係。
蔑みと自嘲のニュアンスが無ければ、家族ごっこという言葉がぴったりだ。
ごっこ遊びのまま終わってしまうか。
本当の家族になるか。
結局は二人次第なんだろう。
人生という舞台。
長く、永く、終幕がそのまま人生の終焉になるであろう舞台。
これからは共演となるその舞台において、二人がどんな幸せな舞台を見せてくれるのか。
正真正銘の他人である私は、お二人のこれからが幸多きものとなるよう、舞台の袖から祈ることとしよう。
お二人とも、末永くお幸せに!