えっせい

「見返りを求める」ということ


 

 

 おかげさまで「くじういんぐ!」も20000HITを達成した。

 2万。

 別に2万人の人が来てくれたという訳でもないだろうが、嬉しい事に変わりは無い。

 HPを開設したのが、1月31日。約4ヶ月が経過したことになる。

 HPを運営する時間は、主に睡眠時間を削って捻出している。

 平日でも、眠るのは大体2時過ぎだ。当然次の日は8時起きで会社が待っている。

 それが苦痛になったことは無いが、大変である事に変わりはなく、よくもまぁこんな無茶な生活が続いていると自分でも感心する。

 

 

 無償の奉仕では、人は行動できないと思っている。

 形あるものであったり、自己満足であったり、形態は様々だが何かしらの見返りを期待して人は行動するのだと思っている。

 例えば募金などの奉仕活動。

 世の中の恵まれない子供達に愛の募金をお願いします。

 それだって自己満足の要素を多分に含んでいる。

 私はこんなにも立派な事をしている。僕はこんなにも世の中の為に役立っている。

 当然それが全てでは無いにしても。

 だが、大事なのは結果であって過程では無い。

 例えそれが自己満足の発露であったとして、結果的にその行為で救われる人が1人でもいるのなら、それは意味のある行為だと思う。

 

 

 では、私自身は何を見返りとして求めているのか?

 

 仕事の合間を見ての、趣味としての執筆活動、HP運営。

 当然、書いていて楽しい、HPを構築するのが楽しいという事もある。

 だけど、それが全てなのだろうか?

 

 二次創作小説に関して言えば、最初の、書き初めの頃は何も見返りなど求めてはいなかった。

 原作となるゲームが好きで、その世界に少しでも浸っていたくて、少しでも自分自身の手で表現してみたくて。

 純粋に“書くこと”を楽しんで書いていた。

 無論今がそうでは無いわけではない。今だって書くことは楽しいし、書くことそれ自体が目的と言えなくも無い。

 だが、それだけではない。

 書いて、Web上で公開している以上、誰かに読んでもらいたい。読んでもらったら、感想を聞きたい。どこがよかったのか、どこが悪かったのか、どうするべきなのか。

 最初に書いた話を投稿し、それが公開されたとき、感想なんて求めていなかった。

 貰えたらいいな、とは思っていたけれど、まさか貰えるなんて思ってもみなかった。

 だから初めて感想を頂いた時には物凄く嬉しくて、何度も何度も、それこそ暗記するくらい読み返し、一人で悦に入っていた。

 それから何作か書いて、今では書いたお話に何にも感想を頂けないと、凄く寂しい気分になる。

 初めの頃はそれが当然だと思っていたことも忘れ、ひょっとして自分の話なんて誰も読んでくれてないのではないだろうか、と一人で落ち込む。自意識過剰な話だ。

 だけど、見返りを求めずにはいられないのだ。

 

 私が二次創作小説を書いている行為も、HPの運営という行為も、見返りを期待しているからこそ続けられるのだ。

 無論、プロでは無いからその見返りは金銭ではない。

 私の書いたお話を読んで「面白かったよ」又は「今回はあんまり面白くなかったよ」と言ってくれる人がいるということ。

 盲信するわけではないが、私のHPに20000回もアクセスしてくれる人がいるということ。

 それ自体が見返りであり、苦労が報われたと思う瞬間だ。 

 

 仕事にしてもそう。

 毎晩11時過ぎるまで残業して、土日すら満足に休めないほど働いて。何を見返りとして求めているのか。

 生活の為? お金の為?

 それもあるが、それだけではない。フルに残業代は付かないし、休出の手当てなんてものも無い。

 会社の為?

 冗談じゃない、いくらなんでもそこまで落ちぶれてはいない。

 じゃあなんの為なんだろうか?

 

 恐らくは半分意地になっているのだと思う。

 私は就職して今年で4年目になるが、いくらなんでも4年生にマネージメントの基礎なんて早すぎると思う。

 事実、私の同期連中は今だPGを組んでいる。

 自分の能力よりも上のことを要求されている為、当然無理が出る。

 そう、無理ですと言って投げ出してしまうことなんて簡単だ。

 だけど、それじゃ悔しい。悔しいから無理をしてでもこなそうとする。当然失敗続きで上司には怒られるし、お客さんに嫌味も言われる。

 だけど、それじゃ悔しいから。できないと投げ出してしまうのは悔しいから。

 だから無理をしてでも続けている。

 私は自分で思っているよりも、遥かに負けず嫌いな人間なのかもしれない。

 

 ちょっと話が逸れたが、この場合は何を見返りとして期待しているのだろうか。

 先のエッセイにも書いたが、一種の優越感なのだろう。

 自分で考えても、嫌らしい的外れな考えだとは思うが。

 

「4年目でこれだけのことをやっているのは同期では私だけだ」

「この歳でこれだけのことをやっているのはそうはいないだろう」

 

 そんな嫌らしい考えを支えにして、日々を生きている。

 これも見返りと言えるだろう。

 

 

 

 「無償の愛」というのは物の本でよく見る表現だけれど。

 私はそれを信じられるほど純粋な人間では無くなってしまった。

 誰だって辛い思いはしたくないし、水が低いところに流れるように楽な方楽な方へと流れるのが自然だ。

 それでもあえて辛い思いや面倒くさい行為をするのは、何かしらの見返りを期待しているからだ。

 人は無償では動かない。

 夢のない、磨れた考えだけれど、真理の一端は捉えているのではないだろうか。

 

 例えば二次創作小説を執筆するという行為。

 例えば会社で仕事をするという行為。学校で勉強をするという行為。

 期待する見返りは人それぞれで、万人が同じと言うわけではないだろう。

 あなたはどうだろうか?

 何かを見返りとして期待して、日々を生きているのだろうか?

 

 見返りを求めるというのは、日本人の感覚からすれば浅ましく感じられるかもしれないけれど。

 決してそうではなくて、むしろ自然な事であると思う。

 苦労した代償として、自分が何を見返りとして求めているのか、たまには考えてみるのもいいかもしれない。

 

 

 

<おしまい>