えっせい

「視野を広く持つ」ということ


 

 

 

 先日、会社のとある人から相談を受けた。

 その人は私が出向している先の社員で、ただ一人同い年だったから今までも割と話をする機会があった。

 部署が違った為、一緒に仕事をした事はなかったけれど、同い年の気安さからよく話をした。お互い敬語だけれど。

 

 その人は……

 

 会社を辞めるのだそうだ。

 

 この業界、珍しいことじゃない。

 納期が近ければ、徹夜も珍しくないくらいの環境、耐えきれずに辞めていく人も多い。

 

 同い年とはいえ、会社の違う私にそのような相談(というか報告)をしてくれるとは、嬉しかったけれど正直戸惑った。

 詳しい話を聞きたくて、当然私も仕事が押していたのだけれど、彼に付き合って飲み行くことにした。付き合いは仕事以上に大切なものだ。

 

 彼のよく行くというショットバー。

 照明は絞られ、BGMにジャズが流れるようなそんな店だった。

 

「男2人で来るところじゃないですねぇ」

 

 なんてお互い笑いながら、カウンターでとりあえずビールをオーダー。

 

 さて、困った。

 何から切り出せばいいだろう。

 とりあえずあたり障りの無い話から入るべきだろうか? それともいきなり核心を突くべきだろうか?

 

 そうこうするうちに、オーダーしたビールが来た。

 陶器のグラスに入ったそれを、お互いに掲げる。

 

「お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

 

 たまに仕事帰りに飲みに行く時と言葉は同じだったけれど、この時の言葉に込められた思いは少し違っていたように思う。

 

 

 やがて、遠慮がちに切り出す私。もうビールは半分程度に減っていた。

 

「これから…… どうするんですか?」

 

 凡庸な問い掛け。でもそれだけに切実なものだった。

 先に書いたが、今の仕事がきつくて、堪えられなくなって辞めて行った人は何人もいる。

 何せ、入社4年目の私の同期はもう半分も残ってはいない。一昨年私の部署に配属になった4人の新人さんはもう一人も残っていない。

 私らのような技術者は、手に職があるという強みもあるが、たかだか私程度の技術を持った人間はそれこそ掃いて捨てるほどいるのだ。それに、今の仕事がきついといって辞めても、次の職場にだってそれなりにきつい事はあるのだと思う。

 変な話、一度逃げてしまったら、どこに行こうと逃げるばかりだろう。

 

 そんな思考も手伝い、思い留まらせようとする意識が無かったといったら嘘になる。

 そんな意味を込めての「これからどうするのか?」だった。

 

 だが、彼の答えは明瞭だった。

 

「青年海外協力隊って知ってますか?」

「え? ああ、名前くらいは……」

「アレとは少し違うんですけど、僕、参加しようと思っているんです」

 

 詳しく話を聞くと、どうやらそれがかねてよりの夢だったらしい。

 青年海外協力隊。

 彼の参加しようとしている組織はそれと正式には少し違うらしいが、その選抜試験が今年の6月に実施されるのだそうだ。

 今からでは今年の試験には間に合わないが、1年間しっかりと勉強をして、来年の試験に賭ける、と彼は語った。

 試験に合格してからも1年間の訓練期間があり、それを経て初めて海外で活動できるらしい。

 

 彼の話を聞き、決して思いつきやいいわけで言っているのではないということはよく分かった。

 だがそれでも私はそれがあまりにも現実味の無い話だと感じてしまった。それに、せっかくこの2年間(彼はこの業界で2年間過ごしたらしい)が何の役にも立たないではないか。

 せっかく身に付けたプログラミング技術やドキュメントのまとめ方が、なんの役にも立たないではないか。

 

 酔いも手伝ったのだろう、私はその感想を思いきって彼にぶつけてみた。

 

「上司にも言われました。『この2年間は無駄だったな』って」

 

 苦笑しつつ、彼は言う。

 

「僕、高校しか出てないんです。高校を卒業して、翻訳の仕事をしたいと思って英語も必死で勉強しました。翻訳の仕事は需要が少なすぎてできませんでしたけど、その時身に付けた英語をもっと自分のものにしたくて、1年間ホームステイもしました。その後、帰国してコンピュータ関連の仕事に就いたんです」

 

 なんて波乱万丈な人生なんだろう。

 高校を卒業し、コンピュータ関連の専門学校に通い、卒業後今の会社に就職して3年間過ごしただけの私とは、物事を経験した量が全く違う。

 同い年だと言うのに。

 

「日本の会社って、ホームステイの経験があっても『ああ、遊んできたんだね』で済まされちゃうんですよね。凄く閉鎖的で、昔よりはよくなりましたけど、未だに会社に骨を埋めるって意識がある」

 

 事実、私もその傾向がある。

 

「確かに、コンピュータの知識はすぐには役に立たないかもしれません。でも、僕はこの2年間は全くの無駄だったとは思ってないんです」

 

 酔いも手伝ったのか、この日の彼はいつもより少し饒舌だった。

 後で聞いたのだが、この時は自分の思いを誰かに聞いて欲しかったのだそうだ。彼自身、迷っていた部分もあり、自分の考えを言葉にすることにより、まとめようとしていたのだそうだ。

 

「2年間翻訳の勉強をした事も、1年間海外に住んだ事も、そして2年間コンピュータの仕事をした事も、全部僕の経験になってます。それって決して無駄な事じゃ無いと思うんですよね」

 

 ああ、この人に自分は負けているな。

 その言葉を聞いたとき、私は唐突にそんなことを思った。

 ショックだった。

 なんて広い視野を持った人なんだろう。なんて前向きな物の考え方をする人なんだろう。

 ショックだった。

 

 これが、30過ぎた人の口から出た言葉だったら、感心こそすれ、ショックを覚える事など無かっただろう。

 「経験の差」、「年の功」で逃げる事ができたろう。

 だけど彼は24歳。私と同い年だ。

 私と同じ24年間、彼はこれほど多くの経験をし、そしてそれを身にして来たのだ。

 私の知らない世界を、彼は沢山知っている。

 私が想像した事すらない経験を、彼は経てきている。

 

 情けない話だが、この時私が感じていたのは、彼に対する賛意でもなければ励意でもなく、嫉妬心だった。

 私は彼に嫉妬していたのだ。

 

「久慈さんに話を聞いてもらって良かった、こんなこと真剣に聞いてくれる人、久慈さんくらいしかいませんよ。ありがとうございました。久慈さんっていい人ですね」

 

 やめてくれ!

 いい人なんかじゃ無いんだ!

 私は嫉妬しているだけなんだ!

 勝手に『負けた』なんて思って、対抗心を燃やしている狭量な人間にすぎないんだ!

 

 そう叫びたかった。

 

 だけど、私の口から出てくるのは、知った風な同意の言葉と、心をどこかに置き忘れてきたような励ましの言葉だけだった。

 

 

 その後、私の転勤もあって、彼と会う機会は無くなった。

 5月一杯で辞めるということだったので、今は仕事の引継ぎに追われている頃だろう。

 

 

 あの時感じた嫉妬心、情けない事に今でも抱き続けている。

 自分にはない経験をしているということと、それを確実に自分のものにしているという事実。

 私が嫉妬したのはそのあたりの事であるように思う。

 

 唐突だが、私は『若い』と思う。

 世間一般には24ともなればあまり若いとも言えないし、事実10台の方から見れば、立派な「おじさん」かもしれない。

 だけど、社会に出て、自分の仕事上の立場や責任の重さを考えると、十分に『若い』と思う。

 大学を出て就職した人達がほとんどである為だが、私の下についている人で、私よりも年下の人はほとんどいない。

 仕事上、同業者やお客さんと打合せなり保守なり担当する事があるが、そのような場では未だに自分と同年代、もしくは年下な人とは会った事が無い。

 見当違いであることは自覚している為、口に出したことは無いのだが、それが一種私の自信の拠り所でもあった。

 

 その見当違いの自信を、根こそぎひっくり返された気分だった。

 確かに仕事という一点だけを見れば、彼よりも私のほうが立場も上であり、責任の重い仕事をしている。

 だけど、いざ仕事を離れてみて、一個の人間として見た場合、私が彼に勝っている部分は何一つ無いに等しい。

 

 仕事としてお金を稼いでいればプロであり、プロであれば過程はどうあれ結果こそ全て。

 私はそう考えてきたし、それが完全に間違った考えだとも思わない。

 だけどそれが結果を追い求めるあまり、過程で身につく経験というものを無視することになり、結果的に視野を狭めることに繋がっていたのではないだろうか。

 

 そう、視野が狭いのだ、私は。

 

 いつのまにか。

 仕事、ひいては会社という狭い範疇でしか物事を計れなくなってしまっている。

 学生の時は、仕事一辺倒で趣味すら疎かにするようにだけはなるまいと思っていたにもかかわらず、だ。

 

 皆さんはどうだろうか?

 仕事ができる、できないだけで物事を計っていないだろうか?

 成績がいい、悪いだけで物事を見てはいないだろうか?

 

 実際にそんな風な思考に陥りかけていた私が言うのも笑止な話だが。

 

 

 それでも、そのことに気付く事ができたのは幸いだったと思っている。

 『物事に気付くのに、遅すぎるなんてことがあるのかしら』とは、ゲームの中の台詞だけれど。

 私も『遅すぎたなんてことは無い』と思いたい。

 

 

 

 

<おしまい>