えっせい
「大人になる」ということ
「申し訳ございません、こちらのシステムの不具合です。大至急お邪魔して修正するよう手配致します。本当に申し訳ございませんでした」
ふぅ、今月に入ってもう3度目の不具合だ。
そろそろお客も我慢の限界だろう。
最終的にチェックした自分に責任があるとはいえ、PG(プログラム)があまりにも貧弱だ。
プログラマは何をチェックしていたのか。
怒りが込み上げてくる。
しかし、前回もそうだったが、不正データが登録されてしまうPGに問題があるとはいえ、発端はお客のオペレーションミスだったのだ。
運用説明期間に何を聞いていたのか?
何度説明したら操作方法を覚えるのか?
そもそも覚える気があるのか?
駄目だ、どうも思考がネガティブになっている。
だが愚痴っていても問題は解決しない。
とにかく何とかスケジュールに都合をつけて、明日にでもお客のところに行ってこなくてはならない。
今日も帰りが遅くなりそうだ・・・
就職して3年目、私も受け持ちのお客がつき、電話や打合せなどのやり取りが増えてきた。
コンピュータ系の業界が、日がな1日パソコンとにらめっこしているかと言えば、全然そんなことはないのである。
少なくとも入社して3、4年経つと、自分の設計したシステムの保守を担当することになり、結果、客先とのやりとりも多くなる。
「お客様は神様です」とまでは行かないにしろ、情報処理産業もサービス業である以上はお客様第一の姿勢で行かなくてはならない。
学生時代はさっぱりだった敬語の使い方や、苦手だった電話での会話も、もう随分と慣れた。
心の中では「このやろう!」と思っていても、それを表面に出さず、ひたすら謝ったりへらへら笑っている術も学んだ。
自分に嘘をつくのがうまくなった。
大人になったということだろうか?
大人になるというのは、自分を偽って生きていくことが当たり前になることを言うのだろうか?
上司に対しても、部課に対しても、顧客に対しても、言いたい事は山ほどある。
俺だけが悪いのかよ!!
そう叫びたくなることもある。
でもそんなことは言えやしない。
小さい子供みたいに、言いたいことを言い、やりたいことだけやってられないだろ?
何故かって?
お前はもう大人だからさ。
いつまでもガキみたいなこと言ってんじゃねぇよ。
頭の中に、妙に分別のある「大人の私」がいて、不平不満を垂れ流す「ガキの私」にお説教を垂れるからだ。
勿論分かってるさ。
学生だから、社会人だからどうだって事じゃない。
人間が群れになって生活している以上、皆が皆勝手なことを言って、勝手なことばかりしていたのでは世の中回らない。
好きなことだけしてればいいのは、幼児と動物だけだ。
だけどその制約は年を取るに従ってどんどんきつくなって行く。
いや、違うか。
自分自身に制約をつけるようになっていく。
24にもなって、みっともないことはできない。
そんな思考になっていく。
前はこんなんじゃなかったと思う。
昔はもっと自分に正直だったと思う。
最もそれすら自分に対しての言い訳かもしれないが。
Web上の私を知っている方で、私の年齢を知らない方がいたら。
私が今年25になると聞くとびっくりなさるのではないだろうか?
それほどにWeb上の私はガキくさい言動が目に付くと思う。
そして、Web上の私しか知らない方が実生活での私をご覧になったら、それ以上にびっくりなされるのではないかと思う。
「インターネットでは、あんな馬鹿なことばかり言っているのに」と。
それとは逆に、実生活の私を知っている人間、例えば会社の同僚などがWeb上の私を見ても、多分私だとは気が付かないだろう。
「よく似た名前の人間がいるな」で終りだ。
どちらが本当の私なのか。
私自身、分からない。
どちらも本当の私のような気もするし、どちらも違うような気もする。
いや、それ以前に本当の私がどんな人間なのかなんて、忘れてしまった。
あまりにも自分を作りすぎて、どれが本当の私なのか分からなくなりつつある。
恐らくもう何年かすれば、本当の自分(いるとすれば、だが)を完全に忘れてしまうだろう。
私の好きなPCゲームがある。
その作品には、常に自分を偽っている一人の女性が登場する。
かわいらしくて、それでいて落ち着いていて全てを包みこんでくれるような大人の女性。
作品中ではそんな感じで描かれている。
そう、大人なのだ彼女は。
大人に“見える”のだ。
ゲーム序盤では、そんな彼女に好感を持った方も多いのではないだろうか。
私もその一人だ。
でもそれは偽りの姿。
内面には脆く、今にも凍りついてしまいそうなもう一人の自分を隠し持っている。
優しくて、落ち着いている“大人の”彼女は、演じている“偽りの”彼女なのだ。それが全てではないにしても。
私の書く二次創作小説で、彼女の事を描いた話が多いのも、そんな理由からなのかもしれない。
登場人物の内面を描写するのは、物語としては基本。
そしてそれが容易なのだ、彼女は。
なぜかって?
だって自分自身の事を書けばいいんだから。それは容易だろう。
私はゲームでの彼女のことが好きであると同じくらい、彼女のことが嫌いなのかもしれない。
人間、自分に似た人のことは本能的に嫌うものだ。
でも、今の自分が大嫌いかといえばそうでもない。
なにより、どんな人ともある程度の付き合いができるようになった点は大きい。
あくまでも“ある程度”のお付き合いだけれども。
それが、いくら自分の考え方と違う考えを持った人でも。
それが、いくら礼儀知らずで腹が立つ人でも。
少なくとも表面上は、問題なくお付き合いができるようになった。
それはそうだろう。
いくらなんでも、相手が気に入らないからと言って、その人がいる会社とは一緒に仕事ができないなんて事は言える訳がない。
どんなに腹が立つことを言う相手でも、それがお客さんであれば、へいこら頭を下げるし、話も合わせる。
自分で書いていても卑屈で情けないが、そういうものだと割り切れるようになった。
当然面白くはないが。
それでも、気の合う仲間と会社帰りに飲みに行ったり、休日にカラオケに行ったり。
Web上で知り合った方々も含め、交友関係は比べ物にならないくらい広がった。
大人になるというのは、自分を偽って生きていくことが当たり前になることを言うのだろうか?
冒頭で私が書いたこと。
恐らくその通りだろう。
大人になる = 自分を偽るのがうまくなる
という事ではないのか。
他人を、そして自分を偽ることがまだうまくできなかった学生時代。
カッコ悪かったと思う。
人付き合いもうまくできなくて、色々苦い経験もした。
でも少なくとも今よりは自分に正直だった。
端から見るとカッコ悪かったけど、自分に正直だった昔の自分。
自分に嘘をついているけれども、うまく人と付き合えるようになった今の自分。
どちらの自分がより幸せなのだろうか?
そんなことを最近考えている。