一人が炎を投げ、また一人は風を鳴かせた。目に見えない紅い線が、数えきれないほど通りぬけていく。
 その中を駆け抜けていく人間三人分はあろうかという程の巨大な猛獣。額に輝くのは、宝石のような蒼い石。
 そして、獣が駆けぬけていった後に残ったのは、数人の屈強な異能者たち。
 吹き飛ばされた者たちは恐怖した。その視線の先にいる…
「ぽてとっ、ごくろうさまだよぉ」
 小さな子供のように手を振りながら微笑う、少女と言っていい年頃の一人の女の子に。


異能者
circus

カノン
組織


「これで、四つ目の部隊だねぇ」
「ああ…」
 ぽてとを呼び戻した佳乃の言葉に、往人は力無く頷いた。
 異能者狩り部隊を潰す、というAIRの二つ目の目標を掲げたのは自分だが、そうそうそんな方々と出会えるはずがない。
 かなりの広い範囲に渡って、街から街への大道芸をしながらの索敵を続けたが、二月かかって未だ遭遇した部隊は四つだけ。
 しかも、出会うのは雑魚ばかり。争いごとを好まないといっても、張り合いが無さ過ぎる。
 これまでに暴れた晴子をなだめたことは何度かあったが、その方が数倍は骨が折れた。
 楽に越したことは無い、と言えばそれまでかもしれないが。
「団長、最後の仕事やでー」
 晴子が、吹き飛ばされ、気絶した異能者の脚をずるずると引っ張って往人の前に投げ捨てる。
 往人は無言で頷くと、掌を掲げた。
 異能者である記憶を全て消し去る。再び異能力に目覚めることは有り得ないであろう。
 ダメージを与えた後の逃亡を阻止するために予め使ってある『絶対なる孤独(アブソリュート・アローン)』が、今度は心的外傷になるように記憶を捻じ曲げる。
 もちろん、ついでにダメージを回復させてやることも忘れない。
「毎度毎度、ここまでするのは疲れるな…」



「潰す…って?」
 少し心配げに観鈴が言う。
 また、誰かを傷付けろと言うのか。
「二度と異能者狩りができない状態にする。何も、殺そうとか言う訳じゃない。奴らの異能力を封じればいいんだ」
 それから往人は、法術を自己で発展させること、『絶対なる孤独(アブソリュート・アローン)』を利用することなどを説明した。
「…もちろん、俺にとっても初の試みだから廃人集団を作り出すだけになるかもしれないが」
 往人はここで言葉を切って、観鈴を見る。
 この計画の要は、なんと言っても根本となる恐怖を植え付ける観鈴にあるからだ。
 少しだけ、間を空けた後に…、
「うん。わたし、頑張る」
 意を決したように観鈴が頷こうとしたが、
「あかん」
 直後に晴子から厳しい声が上がる。
 絶対なる孤独(アブソリュート・アローン)を使うことは絶対に許さない、とでも言うかのように。
「お母さん、わたしにしか、できないことなんだよ」
 ゆっくりと、自分の意思を確認するかのように観鈴は言葉を続ける。
「観鈴、わかってるやろ?」
 だが、晴子は観鈴の言葉に動じることなく「駄目」の一点張りである。
 そして人差し指で観鈴の額をこつんと押す。

「あんたが、いちばん危険な役割になるんやで」

 少しの間を置いて、
「わたし、頭よくないからどう言えばいいか解らないけど…」
 観鈴は翼を広げた。

「でも、この翼は好き。秘められた力は好きじゃないけど…
 今度みたいな使い方ができるなら…、わたし、きっと自分の翼をぜんぶ好きになれる」

 観鈴の言葉を聞いた後、晴子は「勝手にし」とぶっきらぼうに返事した。



「国崎君、ここらで休みをいれたらどうだ?」
 聖の言葉に、往人は「ああ」と短く返事をした。
「全く…、気が滅入ってるのは解るが…」
 やれやれ、と言うようにため息をつく。
 聖にも、往人の気持ちがわからないでもない。
 異能者狩り部隊を潰す、というのは往人にとっても一大決心であったに違いないのだ。
 実際、戦闘はした。
 戦闘訓練されている異能者は、今までにAIRが出会ったことのある異能者たちとは歴然とした差があったのも認める所だ。
 だが、AIRはONEの幹部連中と渡り合ってきた精鋭である。
 使い捨ての効く下っ端の連中など敵ではない。

「そうだな…。暇潰しになるかどうかは解らないが…」
 聖が思い出したように口を開く。
「この間の街で、ONEに敵対する組織があると聞いた。この間、ちょっとした…大きな戦争があったんだそうだ。
 そして、彼らはONE側を撤退させたらしい」
 往人が顔を上げる。気付いているのかいないのか、聖はそのまま言葉を続けた。
 そして、軽く笑いながら。
「会って、話してみる価値はあると思わないか?」
 往人も同じように笑う。
 協力してONEを潰そう、などと言う企みがある訳ではない。
 ただ、『永遠の』折原浩平さえも退かせた人間に会ってみたい。それだけだ。

 激しいサンドストームを巻き上げて、異能サーカス団AIRは突き進む。
 目指すは、北。
 Kanonと呼ばれる、ONEに敵対する最大の組織の御膝元へ。
「詳細は解らないが…、ONEを退けた奴には一回会ってみたい。それに…」
 北へは、まだAIRが進出したことは一度もない。
 未解明の地でサーカスを行うのも面白そうだと思った。
「…北…ですか」
「やっぱり、ここより寒いのかなぁ?」
「上着、用意した方がいいかな?」
 AIRは相変わらずの独特な空気を漂わせている。
「まったく…、これから行く所で歓迎されるとは限らないんだぞ…」
 ため息をつこうとして、ふと往人は思う。
 往人は、まだ監視された存在なのだろうかと。
 そして、すぐに頭の中からその考えを追い出す。
 もしそうであれば、方法を選ばなければいつでも殺すことはできた。だが、二ヶ月の間そういった動きは一切なかった。
 つまり、監視は解かれたか、監視はされていても狙われてはいないということだ。

『人を殺したことすら無いお前と俺とでは…背負ってるものが違うんだ』

 ONEのことを考えれば、必ずこの言葉が頭に張りついてくる。
 浩平が、往人を殺そうとした際に発した言葉。
 浩平は何かを背負っている。
 往人にはそれが何なのかは解らないが、それは余りに大きなものなのではないだろうか。
 浩平、そしてONEは快楽殺人者ではない。
 こちらの視点で勝手に『悪』と決め付けていたが、少なくともそれだけは解った。

 背負っているものがあるから、戦う。そのためにはどんな犠牲も厭わない。

 往人が受けた印象は、そういった感じだ。
 確証はないが、大き過ぎる戦う理由を持っているのは間違いない。
 『法術』に多大な関心を示したのもそのためだろう。
 普通に考えて、「面白そう」という軽い理由で側近を四人も動員するものではない。
 彼らは同時に恐れてもいたのではないか。
 願いを叶える力を持った『法術』を。

「…『法術』に関しては既に調べてあるってか」

 思わず声に出してしまったが、あまり気にはならなかった。
 『法術』が『永遠』と同じく多用できない異能力であることまで知っているのであろう。
 浩平は往人に対してONEに来るなら優遇するといった交渉を持ちかけたが、所詮は駒の一つであったということだろうか。
 真実を知る術はない想像だが、間違いは無いと往人は思う。
 
「…なぁ、北に着いたら、どうする? やっぱり、Kanonに行ってみるか?」

 考え事が一段落して、手持ち無沙汰になったところで往人は団員たちに尋ねてみた。
 Kanonが歓迎してくれるとは限らない。
 もし最初に歓迎してくれたとしても、AIRの異能者としての実力が示されれば同じ側に立てと勧誘が来ることだろう。
 そして、断ればONEと同じく戦闘となっても文句は言えない。
 敵に回るかもしれない危険性を考えれば、それは組織としては当然のことだろう。

 今回の北への遠征は、言ってみれば往人の我侭だ。
 団員に反対があれば中止にしても構わない。

「俺は個人的にKanonの総大将様と話がしてみたいだけなんだ。お前たちが嫌なら、無理に行こうとは言わない」

 発足当時から決まってることだ。『AIRの中では多数決は絶対である』と。
 絶対に戦いにならない、と言い切ることはできない。
 だが、
「わたしは行きたい。会ったことのない人たちに、わたしたちのサーカスを見せたい」
「私もです」
「あっ、あたしもだよぉ」
 観鈴、美凪、佳乃の三人がさっと意見を出した。これで過半数超過ということになる。
 聖や晴子としては観鈴や佳乃に危険が及ぶかもしれないと思うと嫌だろうが、ルールは絶対だ。
 往人に言えることは一つ。
「それじゃ、未開の地にもAIRのファンをつくってやろうか」
 少し挑戦的に笑いながら。




「原因不明の部隊の消滅…。これで四つ目か」
 失神している『異能者狩り』部隊の隊員を見ながら、一人の男が呟く。
 男は数分前まで戦場であったその地には相応しくないような、きっちりとしたスーツに身を包んでいた。
「義務とはいえ、いちいち報告するのは疲れるな…」
 そう言いながら、懐から携帯電話を取り出した。
 電源を入れ、待ちうけ画面の無いさっぱりとした画面を見て、苦笑する。
 液晶画面は『圏外』を示していた。



「…まだ着かないのか?」
 移動時間は今までは長くて三日、それなのに今回に限っては一週間にも上っている。
 一日二日だけの延長ならまだ我慢ができるが、これは倍以上の時間がかかっている。
 往人が痺れを切らすのも自然なことだ。
 他の団員のように睡眠をとりたくもなるところだが、団長という手前、晴子一人に全てを任せておく訳にも行かない。
「やかましい。うちだって好きでこんなに長く運転してる訳やない」
 やや不機嫌な口調で晴子が言い放つ。晴子とてストレスが溜まっていた。
 往人は少し後の方へと下がった。このままでは、とばっちりで裏拳の一つでもくらいかねない。
「なぁ、やっぱり俺が運転代わってやろうか?」
 正確には、往人が運転するのではなく『法術』による物体移動で動かすだけなのだが。
「お前にこれ預けたら不安で休んでられんわ」
 軽く言い返される。そして、付け足すように「それに、うちはサーカスに出られへんからな」と言った。
 往人は「そうか」と短く返事をした。話題を変えるように、晴子が訊いた。
「あんた、なんでONEにそんなにこだわるん?」
 往人は少し考える。あまり深く考えたことが無かったから。
 ONEが多くの人々から笑顔を奪いつづけているから? …それは何処か違うと思う。
 『法術』を本来の目的以外のことに利用しようとしたから? …往人自身も『本来の目的』とやらを知らないのに。
「…うーむ、考えたことが無かったな」
「あんた、幸せな頭しとるなぁ…」
「ほっとけ。それより前見て運転しろ」

 往人は気付いていなかった。
 「Kanonに行きたい」という気持ちが、浩平の『法術』を求めた気持ちとまったく同じであることに。
 それは『法術』と『永遠』という対とも言える力を持った二人ゆえであろうか。


「…ついてるな、ストレス解消にはなりそうだ」
 往人はちらりと左方に目をやる。異能力の波動。それも複数の。
「五つ目の部隊やな」
 晴子は軽く笑みを浮かべた。
 彼女はAIRで最も短気だ。今回ばかりは下手をすると死者が出るかもしれない。それもとばっちりで。
「お手柔らかにな。下手なことをすると観鈴が悲しむぞ」
 無駄だとは思いながらも往人は声をかけた。

 『異能者狩り』部隊の進行方向にバイクを方向転換させる。
 それから後は、もうお決まりだ。


 数十分ほど戦闘(と呼ぶには一方的過ぎたが)が続いた頃。
 両の脚をついて立っている異能者は残り一人。その一人に向かって晴子が飛び蹴りを繰り出した。
 これで終わった。誰もがそう思ったその刹那、一つの影が二人の間に割り込んだ。
「…弱いもの苛めは…許さない」
 後ろで結んだ長い黒髪をたなびかせて割りこんできたのは一人の女性。手に携えるは両刃の剣。
 女性はその剣の鍔で、晴子の蹴りを受け止めた。
「新手かいな…」

 晴子が『限界異常の運動性(ラピッドドライブ)』を発動させ、通常の数倍以上の速度で相手の後ろに回り込もうとする。
 しかし、
「早さなら私も負けない」
 相手もまた、晴子と同等の速度で背後への回り込みを防ごうとした。
 しかし、そこで往人の『糸無き人形繰り(ノンズレッドマリオネイション)』に阻まれ動きが止まる。
 同時に晴子が動きを止めた。
「往人! 手出しせぇへんとき!」
 厳しい口調で言い放つ。その言葉を聞き、往人も見えざる糸を消し去った。
「晴子っ、勢い余って殺すような真似するんじゃないぞ」


「…いくら勢いがあっても、私を殺すのは無理」
 女性がそう言い、瞬時に間合いを詰める。そして移動の速度以上の速さで斬撃を繰り返していく。
 晴子とて負けてはいない。一つ一つの攻撃を全て避け、反撃の隙を伺う。だが相手はこれだけ激しく動いていると言うのに微塵も隙を見せてはいない。
 完璧な剣の舞。そのような印象を抱かせた。命の遣り取りをしているのに不謹慎だろうか、と思いながら。
 ここまで剣の扱いが上手い人間は、晴子の知る限りでは一人しかいない。
 ONE最強の剣士、『狂戦士』七瀬留美。
「嬢ちゃん、強いなぁ。まるで…」

「あの七瀬留美並みやで」
 女性の動きが、一瞬止まった。
 その隙に攻撃を叩きこもうとした晴子だったが、
「佐祐理っ」
 それまで物静かだった彼女にしては珍しく取り乱した声を出し、今まで以上の速さで後に下がった。
「今すぐ、異能力を止めて。この人の攻撃じゃ…」
 そしてすぐに呼吸を整え、
「佐祐理の身体が、もたない」

「…まだおるんかいな。新手が…」
「今度の『異能者狩り』は随分骨が折れるな」
 二人だけでも事足りると思われたが、もう一人の『佐祐理』とやらが目前の剣士並みの力を持っているのであれば、危険な可能性も幾らか表れてくる。

 その時、不意に、
 往人は自分の首筋に冷たい感触を感じた。それが刃物だ、と認識するまでに数秒を要した。
「下手に動かないでくださいねっ」
 何故か明るい女性の声。
 背後に回られているために姿こそは見えないが、おそらく背後の人間こそが『佐祐理』とやらなのだろう。
 いくつも自分に不利な要素があるというのに、往人は何故か冷静だった。首筋にあてられた刃物、そして背後の人間には、殺気が全く無いのだ。彼女はただ、いつ終わるかも解らない戦いを早く終わらせたかっただけなのだろう。
 往人は「降参」とでも言うかのように軽く両手を上げた。

「一つ訊きたいんだが…」
「はい、なんですか?」
「お前たち、ONEか? 随分な実力者っぽいんだが」
「ふぇ? そちらこそ『異能者狩り』じゃなかったんですか?」
 どうやら、互いの思い違いで戦っていたらしい。
 戦う理由は灰燼と化した。
 振り返った往人は呆れた。物怖じもせずに人の首筋に刃物をあてた人間がおよそ戦いからは無縁そうな笑顔を浮かべていたのだから。



 荷台に二人の乗客を乗せて、AIR一行は北へ進む。
「はぇー、『異能サーカス団』ですか。凄いですね」
 『自己無き』倉田佐祐理が言った。 
「そんなことないさ。俺たちが好き勝手に自分たちの異能力を見世物にしてるだけだ」
「…私も凄いと思う」
 往人の応えより更に一拍遅れて『剣聖』川澄舞が口を開く。

「…壊すことよりも、生み出すことのほうが難しい」

 ただでさえ、人は『力』を持つと破壊の方へと矛先を向けたがるのに。
 AIRはそれをせず、それをむしろ逆に向けた。『笑わせる』と言うことに。
 自己と友人を護るためとはいえ『力』を行使してきた舞たちとは、AIRは明らかに異質だった。

「考えたこと無かったな。難しいとかは…」

 荷台に二人の乗客を乗せて、AIR一行は北へ進む。
 いつもの荒々しい騒音と砂埃を巻き上げながら。