異能者
circusディスペア
永遠
「芸人だと思ってたら…、ね」
留美がゆっくりと立ち上がる。
刀を杖のようにして床に突き立て、服の埃を払いながら。
「霧島さん、そっち任せてもええかな?」
晴子が構えながら言う。なるべく、明るい口調で。
相手も実力を見せようとしている。先程のように不意をついて蹴りを入れることは不可能だ。
後ろの観鈴を守りながら戦うと言うことを考えれば、こちらが不利になるのは明らかだ。
だが、引くわけにはいかない。
こうしている間にも、往人が危険な目に遭っているかもしれないのだ。
そして、ONEを止めないと異能者狩りによって悲しむ人が増えていく。
「…損な役回りやなぁ」
苦笑しながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
晴子の言葉に、
「ああ、こちらは私たちで引き受けよう」
聖も落ちついた声で返した。
平静を装ってはいるが、こちらも戦況は芳しくはならないだろう。
水の壁を打ち破れなかったという事実。
うまく間を縫って『必中投(ピアッシングスロウ)』を届かせることができても、みさきに軌道を見切られて止められてしまうだろう。
「佳乃…、後ろに下がって、遠野さんを守ってやってくれ」
仲間を守る余裕すらない。
「うんっ、わかったよぉっ」
「多くの人が泣かないように…か」
往人の攻撃を一つ一つ避けながら、浩平は考え事をするように呟く。
往人自身は武器を持たない。即ち体術による攻撃である。誰かに教わった訳でもないが、職業上、腕力や脚力なども必要になってくる。
つまり、往人自身は肉体的に決して弱い人間ではない。
にも関わらず、浩平は顔色ひとつ変えることなく往人の一つ一つの動きを見切っている。
「まぁ、そんなことより早く『法術』を見せてほしいんだがなぁ」
口調にも慌てる様子は何一つない。
「…っふざけろこの野郎!」
渾身の鉄拳も、浩平は難なく避けて見せた。
まさにサーカスの道化師、とでも言わんばかりに往人の動きは空回りし続ける。
そして、自分でも何発の攻撃を外しているのか解らなくなってきた時、往人は動きを止め、
「…そこまで見たいなら、見せてやるよ」
右の掌を浩平に向けた。
「人を傷付けるためじゃない…誰かを癒すために生まれた力を…」
その力を。
初めて、人を傷付けるために行使するのだ。
「『剣の暴君(ソード・タイラント)』!」
「危なっ…!」
至近距離からの留美の一撃を、晴子は精神バリアで耐え凌ごうとする。
だが、次の瞬間頼みの綱であった精神バリアは消え去っていた。
『精神波(サイコウェーブ)』
『沈黙の』上月澪。思わぬ連携に、晴子は衝撃波をまともに受ける。
「さっきの借りは返したわよ」
今度は逆に吹き飛ばされた晴子に、留美は勝ち誇ったように言い放った。
「あなたも間接攻撃を行うというのなら…」
茜は左手に集めた水を変形させ、弓を造り出す。
「私もこれで勝負しましょう」
そして、右手には蒼い矢が現れる。
聖はメスを握りなおす。
相手の得意とする戦い方に合わせる、という分、彼女には余裕があるのだ。
茜の後で戦いを傍観している(と言うのも語弊があるかもしれないが)みさきのことも気にかかった。
「『法術』が一つ、『糸無き人形劇(ノンスレッド・マリオネイション)』」
見ることも、触ることもできない糸で物体を操る異能力。往人の人形歩行はこの能力によるものだ。
これを人間に対して使った場合、完全に対象となった人間を支配できる。まるで操り人形のように。
「………」
浩平は動かない。無理だと悟っているのか動こうともしない。
そうか、とでも言うように何かに納得した表情を浮かべているだけ。
「動けないだろ? …いい気分じゃ、ないよな」
往人はゆっくりと右手を握り締める。自分を抑えるので精一杯だった。
少しでも自分に油断をしてしまえば、浩平を殴り飛ばしてしまいそうだ。
佳乃と聖の父の敵、それだけではない。目の前の男がいたからこそ、多くの人が泣いた。
浩平に、その痛みを味あわせてやりたい。一人の人間の身体には、大きすぎるほどの重さを持った罪を、解らせてりやりたい。
力いっぱいに握り締めた右腕から、紅い雫が滴り落ちた。
「俺の要求に応えろ、解放してほしいなら…」
往人は、静かに言葉を放った。
だが、往人の言葉に反応するでもなく、浩平は呟いた。
「『永遠の世界(エターナルワールド)』」と。
見えざる糸は、闇に掻き消えた。
留美の攻撃力は脅威、としか言いようが無い。
加えてこちらの防御は澪によって消される。
これを打破する手段は…
「攻めて、攻めて、攻めまくるしかあらへんな!」
幸い、こちらの攻撃手段は封じられていない。晴子自身も防御に回るよりも攻撃一辺倒の方が性に合っている。
武器を持ってない分リーチの差はある。
そして、留美は異能力で攻撃力の方に多分に強化している。
だが、留美と同じく自身を強化するタイプの異能者である晴子にとって脅威なのはその攻撃力部分だけだ。
スピードに全くついていけない、ということは無い。
懐に入り込むことができれば勝機はある。
「その刀、叩き折らせてもらうで!」
「やれるものなら、やってみなさいよ!」
真っ直ぐに、晴子は留美に向かって突進する。留美も、晴子に向かって剣の切っ先を向ける。
留美は、晴子が直線状に自分を攻めてくると判断した。
限界異常の運動性(ラピッドドライブ)の異能力を発動させれば、背後にも回りこめる。
飛んできた水の矢を、聖は飛び退くようにして避ける。
矢をつがえる時間が無い分、次々に矢が飛来する。
避け切れないほどではないが、避ける分だけ体力を削られるのも事実。
相手も異能力を発動させた分だけ体力を失ってるはずなのに、無表情で次々に蒼い矢を放ってくる。精神的に追い詰められている感が否めなかった。
「…化物か、あの娘は…」
嫌でもそう思わざるを得なくなる。
実際に体力が減っていないということは有り得ないと解っていても。
「意外に、粘りますね」
感情の篭もっていない声で、茜が呟く。
茜自身にも、実際には焦りはあった。本人も『焦り』と認識していない程の僅かなものであったけれども。
聖は、茜が思っていたよりも素早かった。
このまま続けていたとして、不利になっていくのは茜の方だ。聖のスタミナは衰えを見せていないが、茜の水、そして体力は削られつつある。
矢を放つ間隔が広がってきているのは、聖も気付いた。僅かずつであったが、最初の頃と比べるとその差は明らかだ。
「無表情なだけ、か」
右手に手術用のメスを握りながら。
「あながち、大道芸人の体力仕事も無駄ではなかったようだな」
こんなことに役立つのも嫌といえば嫌だが。
「……嘘、だろ?」
信じられない、としか言いようが無い。
破られたことの無い、破られるはずの無い決め手であったはずなのに。
往人は構えることもせずに、立ち尽くした。
「『法術』か、確かに便利だ。惜しいな、本当に」
声は、背後からした。そして往人が背後に向きなおそうとした直後、
ドガァッ!
ほぼ顔面に近い即頭部に、浩平の回し蹴りが叩き込まれた。
精神バリアを張ることなく、往人は無防備に蹴りを受けて倒れる。
「おいおい…、それくらいでダウンなのか?」
浩平の言葉も耳に届かない。
絶対の自身が、軽い一言によって粉砕されてしまったのだから。
「うーん、形勢不利だね。意外だよ」
我関せず、とでも言うかのようにみさきがのんびりと声を発した。
「でも、そろそろ私もいるってことを忘れてるんじゃないかな?」
その手に握られているのは、銃。
銃口が、向けられる。
茜と聖の戦いを見守る、佳乃に向けて。
佳乃と美凪は聖を心配してか、戦いの方に眼を向けたままだ。みさきの銃に、気付いていない。今の状態ならば、精神バリアを張るよりも速く攻撃できる。
「良く頑張ったけど…惜しかったね」
銃声が、一つ響いた。
晴子の姿が、留美の視界から消えた。
「なっ!?」
「…もろたっ!」
声がするのは、剣を持つ右手の側。
留美は瞬時に何が起こったのを判断した。晴子はスピードを極限まで上昇させ、一瞬で右側に回りこんだのだ。
「覚悟しいっ!」
「あんたがね!」
即座に、水平に薙ぎ払うようにして剣を振るう。
剣の暴君(ソード・タイラント)。晴子の攻撃が留美に届くよりも先に、衝撃波が晴子を襲った。
先に一度、強力な衝撃波を受けた分、幾分か晴子の敏捷度に亀裂が入っていた。
立ち上がろうと思っても、二度もの衝撃波を受けたその身体は言うことを聞いてくれそうになかった。
「…お姉、ちゃん…」
銃弾が佳乃を貫くことは無かった。
みさきにも警戒を怠っていなかった聖が、身を呈して庇ったから。
佳乃がみさきの攻撃より一歩遅れて精神バリアを発動させるよりも、そして佳乃が黒い銃弾に被弾するよりも、聖の方が速かった。
「佳乃…、怪我は無い、な?」
傷口から、血が吹き出す。
フラッシュバックするのは、かつての紅い世界。
だが、最愛の妹をその世界に引きずり込むことは防げた。
晴子が、聖が崩れ落ちる。
「神尾さん…、下がっていてください」
後ろに下がっていた美凪が、留美の前に一歩出る。
右手に握り締めるのは、煌く小瓶。星の砂。
―――望まれた形ではありませんけど…許してくれますよね。みちる。
小瓶の栓が、ひとりでに開いた。
「お姉ちゃん…、あたし…使っても、いいよね?」
佳乃にもたれかかるようにして倒れた聖を、佳乃は仰向けに寝かせる。
そして、自分の手首に巻かれた黄色いバンダナに手をかける。
―――見てて、お姉ちゃん。
バンダナを、自分の手で解いた。
美凪は大きく小瓶を一振りする。中の輝く星の砂は空中に散布され、小さな星空を作り出す。
「『追憶の星屑(スターライト・リコレクション)』」
星の一つ一つから、幾千もの光が放出された。
光は澪と留美の精神バリアを、まるで何も無いかのように貫き、星の光を浴びせる。
そして、星の砂は光を放出し終えると、瓶の中へと戻って行った。
佳乃に向けて、水の矢と銃弾が放たれる。
だが、攻撃は佳乃に届かなかった。
「『決意の魔法(レゾリュ―ション・ミスティック)』!」
佳乃が掌を水の矢にかざせば、矢は弾け飛んだ。銃弾も同じくあらぬ方向へと逸らされる。
そして、次に腕を振るうと、茜とみさきの身体が宙に浮いた。
凄まじい速度で天井に激突させ、直後に床に叩きつける。
先の晴子、聖との戦闘もあり、留美、茜の両名は気絶し、戦闘不能となる。
残ったみさきと澪も戦闘要員ではない。
「…早く、手当てをしてあげてください」
「お姉ちゃんを傷付けたのは許せないけど…あたしたちは芸人だから」
一刻も早く、往人の元へ。
幻を見せても、一瞬で闇にかき消された。
法術で呼び出した、ONEに殺された者の死霊の声にすら、浩平は恐怖を感じなかった。
『法術』の全てが、『永遠』の闇に蹂躙されていくのが解る。
「…畜生…」
往人が力なく呟く。
強さの'格'が一段も、二段も違う。
あらゆるパターンを駆使して攻撃のできる『法術』と全てを消し去ってしまう『永遠』とでは、異能力の差も限りないほど大きかった。
「国崎往人、お前は『癒すため』にその力をふるうのだろう?」
往人には、一瞬だけ何を聞いているのか解らなかった。
「人を殺したことすら無いお前と俺とでは…背負ってるものが違うんだ」
闇が浩平の右腕に宿る。
だが…、
「待って!」
観鈴が、往人の浩平の間に割り込んだ。
「『翼もつ』神尾観鈴…。と言うことは、残りの四人が戦闘中ってところか」
観鈴は、首を振る。
「お母さんと、霧島先生の手当てが終わったら、来るよ。みんな」
あえて、AIRが勝った。とは言わない。
戦士ではないAIRに、戦いの勝ち負けなど、どうでもいいことだから。
「遠野さんも、霧島さんも…力を使った。例え仕方なくても、傷付けるために」
「だから…」
「わたしも、戦う。あなたを止めるために」
ヴァサッ…。
観鈴の背中に、一対の白い翼が現れた。