「まぁ、そうだな。…って、柚木!? …いつ現れやがった」
「え? そんなことよりONEに乗り込むつもりなんでしょ?」
悔しいが図星だった。
話を全て知っているらしいから、この判断は当然のものかもしれないが。
「ちょうど良かったよ。会って欲しかった人もONEの人だから」
異能者
circusアフェクショネイト
姉妹
「すまんな、こんな時間に呼び出して」
街灯の明かり以外、光と呼べるものは何も存在しない深夜。
その街灯の下、人影が二つ。
一つは異能サーカス団AIR団長、『法術士』国崎往人。
もう一つは…、
「いや…、わざわざ'こんな時間'に'私だけ'を呼び出したんだ。それなりの大事なのだろう?」
AIRの専属医師、『外法医師』霧島聖である。
「…もっとも、愛の告白なら答えは「No」だがな」
少し冗談めかして言う聖。往人は苦笑した。
「おいおい…、俺はいたって真面目なんだぞ」
そして、少し間を空けてから…、
「少しの間、俺の代わりにAIRを率いてくれないか?」
聖は腕を組み、
「…理由を聞かせてくれるか?」
往人は頷いた。隠す必要なんてない。
どこから話したらいいだろうか。少し迷ったが、最初から話してもそれほど長くはならないだろう。
志野さいか、まいか姉妹のこと。
異能者狩りのこと。
出会った(と言っては語弊があるかもしれないが)少女、柚木詩子のこと。
そして、彼女が最後に言った言葉。
『私の会って欲しい人もONEの人だから』
「…私の記憶が間違ってなければ、柚木詩子と言えばONEの中でも上層部に属する人間だぞ」
「………何ぃっ!?」
素で驚いた。
「『神出鬼没の』柚木詩子といえば聞いたことくらいないか?」
往人は首を振った。
それどころか…
「って言うより…、ONEってどんな組織だ?」
今度は聖が驚かされた。
「……君に学がないのは前から知っていたが…」
片手で頭を抑えながら、「ふぅ」と小さくため息をつく聖。
「俺はこう見えても興味のないことに関しては一切の知識を持たない主義なんだ」
「…興味があっても知識はないだろう。君の場合」
本当にこんなのが団長で大丈夫なんだろうか。そんな気さえしてくる。
「まぁ、そういうことだ。俺はONEに乗り込んで」
「無駄だ」
往人の台詞を遮って、聖が厳しい口調で言葉を出した。
往人は知らな過ぎる。ONEという組織の大きさ。そして、何より…、
絶対なる力を持つ、『永遠の』折原浩平を。
「確かに、異能者としての君の実力は信じている。だが『永遠』は…」
聖と佳乃の父は軍医だった。
聖は父を尊敬していたし、父と同じ医者の道を歩んだ。
母はいなかった。幼い頃に他界したから。
おぼろげな記憶の中では、母とは佳乃の方が仲が良かったように思う。
ある時、大きな戦争があった。
父の手伝いとして、聖も戦場に駆り出されることとなった。
だが、父は聖が戦場に出ることを頑なに認めようとはしなかった。
このままでは、反逆行為として父が捕らえられてしまう。そう思った聖は、父に別の提案をした。
戦場には出ない。だから、軍医の仕事を手伝わせてくれ、と。
父は深く考えこんだ上で、頷いてくれた。
純粋に、嬉しかった。
尊敬している人が、自分を認めてくれたような気がしたから。
新米であった聖には、そこの光景は重すぎた。
幾重もの悲痛な声が、耳を突いた。
いくら止血をしても、赤く滲んでいく包帯。
麻酔も無しに、しかももぎ取ったように断たれた腕や足。
例え身体中の皮膚をすべて剥がしてしまったとしても決して落ちることはないだろう『死』の臭いが漂っているのが解る。
血と傷だらけの手を見るたびに思った。泥にまみれた手の方が、まだ良かった。
父がここに来ることを承知しなかった理由が、今更になって解った。
いつから、世界は紅く染まってしまったのだろう。
「私の父は軍医だったと言ったな?」
静かに、聖が声を出した。「ああ」と往人も短く返事をする。
「父は死んだんだ。ONEとの戦いで」
これで何人目だろうか。
声なき声と、頬を伝わってくれない涙を抱えて、泣きながら介抱にならない介抱をした。
泣くんじゃない。辛いのは自分じゃない。そう思っても、心はそう動いてはくれない。
「死なせてくれ」という彼らの願いを、叶えてやりたいと本気で思った。
命じられた通りに、水を汲みに小さな身体には大きすぎる器を抱えた時だった。
不意に、背中を押された。
押された、というよりも、突き飛ばされた。
「逃げろっ、聖っ!」
父の声だった。
振り向こうとした。しかし、身体がそれを許してはくれない。
言葉通りに、聖は逃げた。
そして、不意に思う。
――――父さん、は?
振り返ったそこに、絶望があった。
「『永遠』に呑み込まれたんだ」
AIRに入った今でも眼を閉じると鮮明に思い浮かぶ。
紅かった世界が、黒い闇に呑み込まれていく光景。
「佳乃がいなかったなら…、私は狂っていただろうな」
聖は、力なくぺたんとその場に座りこんだ。
自分はいったいどうしてしまったのだろう。そして、彼らはどうなったんだ。
目の前で起こったことのはずなのに、自分自身にうまく伝わらない。
黒い闇が消え、跡には何も残っていなかった。
始めから、何も無かったかのように。
よかったじゃないか。願いは叶ったんだ。
『 彼らを死なせてやりたい 』
…願いは叶ったはずなのに。
どうして。
どうして、私は涙を流している?
「純粋過ぎる笑顔だからこそ、私は救われたんだ」
『ピュアスマイル』に。
だからこそ、守りつづけなければならない。佳乃を守れるのは、もう自分しかいないから。
「…私はそれからは戦場に出たことはない。私は'負けた'んだ」
ため息を一つついてから、
「'負けた'も何もないだろう。そんなもの」
往人は、吐き捨てるようにそう言った。
そもそも、戦争というもの自体無い方が良いに決まっている。
「往人君…?」
声のした方に振りかえる、そこには見知った少女の影があった。
「……はっ?」
「…佳乃?」
深夜に部屋から出ていった聖の後を追ってきたのだろう。そして、聖が往人と一緒にいるのを見ると…、
「わわわっ、お姉ちゃんが往人君と密会だよぉ」
どうやら、たっぷりと誤解されているらしい。佳乃に弁解する聖を見ながら、往人はもう一度ため息をついた。
これでは、今夜の内に黙って旅立とうとした計画が無駄ではないか。
実際のところ、計画というほどのものでもない。往人がAIRを離れれば、詩子がすぐに現れるだろう。
そう言えば、詩子は毎度のごとく往人のそばに現れていた。
「どういうことだ…?」
思わず声に出してしまった。
往人の方を向く、佳乃と聖。
聖に話した所では、彼女のいた所に彼女は現れなかったらしい。
前回の志野姉妹の時にしても、美凪がいない時に詩子は現れた。
面倒なことを嫌う往人より、他の団員を誘い出せば往人も行かざるを得ないというのに。
つまり…、
「…俺が監視されている……?」
どうして?
おそらく、一風変わった、未知数の異能力だから。
訳が解らない、と言う風に首をかしげる佳乃と聖。
その二人を見て、往人も我に帰る。
「すまない。ちょっと考え事をしていてな」
「いや、それなら良いんだが…、こっちこそ、すまない」
「へ? 何言ってるんだ?」
今度は往人の頭に『?』マークが浮かぶ。
「往人君を一人で行かせなんかしないよぉっ」
何故か意気込む佳乃。大方、弁解の際にうっかり口を滑らせてしまったといったところか。
どうやら、単身で赴くということは不可能のようである。
「逃げつづけることは不可能だと思う。向こうは瞬間移動を使えるようだしな。それと…」
―――奴らの狙いは、おそらく俺(法術)だ。
出かかった言葉を、不意に飲み込む。
こんな言葉を言うのは、たぶん逆効果だ。余計に一人にはしておけない、と言われるのが落ちだろう。
「いや、何でもない。ただの思い過ごしだ」
確証がないのに、わざわざ心配させるようなことを言うことはないか。
「仕方ない。じゃあ明日、皆の前で言おう」
「うんっ」
佳乃が、笑顔で頷いた。
そして、次の日。
昨日、往人が黒い世界に巻きこまれた場所に、AIRはいた。
「却下」
「速っ、またかよ!」
晴子が厳しい口調で言い渡す。晴子とてONEの危険を知っている。AIRの面々もまた然りだ。だからこそ行かせる訳にはいかない。
「何でだよっ! このままだとAIRにも危険が有るかもしれないんだぞ!」
それだけじゃない。
おそらく、狙いは往人なのだ。巻き込む訳にはいかない。確証が持てないのも事実だが。
「うちは別にONEに乗り込むことに反対してる訳やないで」
晴子が軽くにやりと笑った。
「お前が一人で行くことに反対してるんや」
「あ、それいいなっ。みんなで行こうっ」
「リクエストは受け付けなきゃいけないんだもんねぇ」
「…せっかくついてくれた、ファンですから」
頷くAIRの面々。
「私は反対だ」
そんな中、聖はきっぱりと言った。
唯一、『永遠』の現実を目撃したから。
「仕方ないだろ。AIRの中じゃ、多数決は絶対だ」
往人がため息をつきながら言った。
過去、見物料を取るか否かでのときに、既に解りきっていることだ。
「柚木、今の話を聞いてるんだろう?」
誰に対してでもなく声に出す往人。間髪入れずに、
「なんのことかな?」
輪の中に、自然に詩子がいた。
いつからいたのかは解らなかったが、いちいち確かめるほどのことでもない。
「聞いての通りだ。俺たち全員で行くことになった。ところで…」
「ああ、そのこと? 場所なら私が案内するよ」
聞いちゃいねぇ。
往人は再び溜息をついた。ここの所、どうもため息が多い。
「ささっ、皆さんもご一緒に。浩平君が待ってるよっ」
浩平。
その名前を聞いたとき、軽く悪寒を覚えた。
「晴子のバイクは大丈夫なんだろうな?」
「…大丈夫です。さいかさんが守ってくれてますから」
「みんな捕まったかなー? それじゃ行っくよー」
詩子が、異能力『瞬間移動(リープムーブ)』を発動させた。
視界が歪む。次の瞬間、彼らは見知らぬ建物の中にいた。おそらく、ONEの領地にある施設の一つなのだろう。
「てっきりVIP待遇かと思ったんだがな」
送られた場所は部屋ですらない。
微妙に薄暗い廊下だった。明度がはっきりしないために、どちらを見ても先は闇だ。
「えっとね…、国崎君がこっちで、他の皆は反対側に向かってくれるかな?」
少し考えた結果、詩子の言葉に従うことにした。地の利は相手にあるのだから、その方が無難だろう。
往人は詩子が指差した方向へと歩き出した。
「それじゃ、また後でな」
往人が背を向ける。
「往人君っ」
佳乃が声をかけた。その背に、何か影のようなものを見た気がしたから。
振り向く往人。
佳乃には、何と言ったら良いか言葉が見つからない。だから…、
「お仕事、うまくいくといいねっ」
笑顔で、そう言った。左手を挙げて答えながら、往人は再び歩き始めた。
「…お仕事、か。まぁ、人を傷付けさせない、と言うのもAIRの仕事か」
苦笑しながら呟く。 狭く、薄暗い割には清潔に保たれているろうかを歩きながら。
視界は相変わらず、薄暗い。真っ暗よりも、かえって薄暗いほうが不気味なのかもしれない。
そうこうする内に扉が見えた。折原浩平はその奥にいるのだろう。
「ノックでもした方がいいかな、こりゃ…」
半分ふざけてでもいないと、震えあがってしまいそうだった。
――――『永遠』に呑み込まれたんだ。
頭をよぎるのは、聖の言葉。
これから会う相手は最強の異能者だ。今だって、殺そうと思えば簡単に往人を殺せるに違いない。
「ったく、俺は非戦闘要員なんだぞ…」
そう良いながら、往人は扉に手をかける…。
一方、往人と反対側に進んだ女性陣。
「うちら、いったいどこへ連れていかれるんやろな」
「きっとショーの準備がもう整ってるんだよ」
人数が多いからか、割とAIRのほのぼのとした雰囲気を保っていた。
「あっ、そろそろ出口が近いみたいだよぉ」
廊下の突き当たりに、大きい扉が見えた。
「お待ちしていました」
その先の部屋に待っていたのは、四人の少女。
一人目は、異様なまでに長い髪を両側で三つ編みにし、ピンク色の傘を携えた少女。先程の声も、この少女のもの。
二人目は、ツインテールの髪型には少し不似合いな二振りの剣を提げた少女。
三人目は、束ねていない長い漆黒の髪と、どこまでも漆黒な瞳をした少女。
四人目は、他の三人と比べても少し小柄で、ショートの髪型に大きめのリボンをした少女。
ONEの、折原浩平の側近である四人の異能者だった。
「…となると、国崎君は折原浩平と一対一で会話しているのか…」
聖が呟く。
『そうなの』
頭に声が響いた。『沈黙の』上月澪の音ではない声だ。
『心眼』川名みさきも一緒にいることから、往人の元へ行くための下手なこともできないようだ。
「少し楽にしたら? 私たちも別に取って喰おうってつもりじゃないんだし」
『狂戦士』七瀬留美の言葉も、聖の耳には届かなかった。
「よう」
初対面にしては、少し馴れ馴れしいかもしれない第一声。
「ノックはした方がいいと思うぞ」
聞こえていたらしい。
十代後半。容姿は実際会うまではどんな化物かと思っていたが、そこらの気さくな若者と変わりない。
だから、逆に不気味だ。
「…まず、質問に答えてもらうぞ」
「ん? ああ、俺に答えられるのならな」
慎重に訊いた方が正しいのか、それともストレートに切り出した方が良いのか…。
「俺たちを、いや俺を狙った理由は?」
短い時間で散々迷ったが、後者を選ぶことにした。
「それはだな…」
思わせぶりに間を取って…
「面白そうだったからだ」
…
……
………
浩平を知ってる人間からすれば、なんとも『浩平らしい』理由だったといえる。
しかし、冷血非道の極悪人だと思っていた往人にとっては、想像とのギャップにただ言葉を受け取るのに時間がかかった。
「まぁ、'面白そう'ってのは俺たちにとって便利そうだからっていうのもあったんだがな。
つまりに…、ONEへ来ないか? 『法術士』国崎往人」
往人は少し笑った。
考えるまでもない。答えなんか、もう出ている。
「冗談だろ? 俺は誰かを傷付けるのに荷担するつもりは無ぇよ。俺を勧誘したきゃONE全体を芸人に仕立てあげな」
己が信ずるものを曲げる訳にはいかない。例え命がかかっていても。
「どうやら、最初の誘いは断っちゃったみたいだね」
みさきの声。
『それじゃあ…』
澪の声無き声が脳に直接届いた次の瞬間、蒼く透き通った壁が、AIRの四方を取り囲んだ。
壁に触れると、指が濡れた。『水魔』里村茜の異能力らしい。
「あなたたちには、少し大人しくして頂きます」
「どうして俺がお前と仲間を分けたと思ってるんだ?」
AIRのメンバーは人質だ。『法術』を手に入れるための。
浩平の言葉を聞いた往人は、挑発的に笑った。
「…AIRは、お前が思ってるほどヤワじゃない」
これは、強がりじゃない。
AIRは芸人としても、戦士としても一流の異能者たちだ。
「癒すのは、傷付けるのよりも難しいんだぜ?」
「『必中投(ピアッシングスロウ)!』」
聖が手術用のメスを投げる。
しかし、投げたメスはことごとく水の壁に阻まれる。
「…無駄です」
聖の異能力は投げたものを目標に確実に突き刺す、というもの。だが相手は水。勢いよく投げたはずのメスは壁を通るときに大きくスピードを奪われ、簡単に相手に受け止められてしまう。
「往生際が悪いですね」
茜が指を回すような動きを取ると、蒼い壁から蒼い壁から腕が延び、聖の右腕を掴んだ。
晴子がなんとか掴む腕を切り離そうとするも相手は水、あらゆる物理攻撃は突き抜けてしまう。
時間が経つにつれ腕の締め上げる力は強くなっていく。聖が苦悶の声を上げそうになった、その時、
「お姉ちゃんっ!」
佳乃が叫ぶ。そして、同時に聖獣を召喚。
現れたぽてとは、普段の毛玉犬とは全く違った獰猛な獣を思わせる外見をしていた。
もちろん、全身の大きさも格段に大きくなっているので頭部のみの登場だった訳だが。
頭だけでも、それで充分だった。物理攻撃ではどうやっても断ち切れなかった蒼い腕を、頭だけの猛獣の牙があっという間に噛みきったのだ。
それに最も驚いたのはONEの側近たちではなく、聖だった。
佳乃を守れるのは、もう自分しかいないから。
そんなことは無かった。佳乃は、知らない内にずっと強くなっていた。
いつまでも子供だと思っていたのに、いや、そんな思いをずっと抱いていた自分の方が子供だったのか。
そして佳乃がぽてとを全て解放すると、ぽてとの巨体が水の壁全体を突き破った。
「はやく往人君の所にいこうっ!」
「そうだな。でもその前に…」
出口の前に立ちはだかる四つの壁を乗り越えなければならない。
散った水が、再び集まって今度は美凪に襲いかかる。だが、蒼い無数の槍が美凪を貫いたかと思った瞬間、美凪の姿は弾けるようにして消えた。
「…『夢幻の水球(ドリームシアター)』の応用です」
「っこのっ!」
茜の死角から現れた美凪を、留美の剣が襲う。
それに対しては聖がメスを投げた。命中はしなかったが、動きは止められた。そこに晴子が飛び蹴りを喰らわせた。
「うちらを芸人軍団だと思ってナメてたら…痛い目に遭うで」
「異能者狩りを止めてもらう。多くの人が泣かないように」
往人が飛びかかる。
本来、『法術』は傷付けるための力ではない。代々、誰かのために役立てるための力として継がれてきた。それも、大破壊よりもずっと前からだ。
だが往人は特別といってもよかった。
彼の能力は異端と言えるほどに代々の法術士たちを大きく凌駕していた。
だからこそ、
彼はなにものにも縛られず、なにも知らなかった。
『永遠』の恐怖さえも。