「私? 私は柚木詩子。ただの善良なお客さんだよ」

 てくてく…。善良なお客さん、ね。

「…善良な客なら、隠れる必要は無いと思うぞ。タダ見は感心しないが」
 そうは言うが、AIRは見物料を請求しない。これは多数決の末に決まったルールであった。
「ねぇ、会ってほしい人がいるんだけど」


異能者
circus

シルエット
闇夜


「嫌だ」
 速攻だった。
 得体の知れない相手からの頼みをやすやすと聞けるほど、往人は世話好きな人間ではない。
 第一、相手はまだ名前を告げただけで姿さえ見せていないのだ。
 いきなり背中を刺されたとしても、何ら不思議はない状態である。
 もっとも、そんなつもりがあるのなら既にそうされている訳であるが。
「随分だねえ。まだ誰かすらも言ってないのに」
「面倒そうなことには首を突っ込まないのが俺の生き方なんだ」
 ここは適当にごまかして、相手に引いてもらうのが得策だろう。
 そう判断した往人は人形を歩かせながら、ぶっきらぼうに言い放った。
「それに、俺はこいつの新たな芸風を開発せにゃならん」
 一拍おいて、

「そっか。残念」

 そう言ったきり、詩子の声は途絶えた。

 往人は振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。
「…やっぱり、異能者だったのか」
 そう言った瞬間、人形がパタリと倒れた。往人が力を込めるのを止めたからだ。
 考えてても埒があかない。今夜はもう、眠っても平気だろう。
 詩子とは少し話しただけだが、交渉が決裂しただけで狙ってくるような人間とは思えなかった。
「おっと、その前に…」
 溜まったおひねりを、女性陣の元へ届けねばならなかった。

 灯りを右手に、往人は夜道を歩く。
 いやに静かだった。
 賑わい、と言ったものがないのだろうか。雑音や歓声といったものは、全く耳に入らなかった。
 まだ住民たちが眠りに入る時間帯ではないはずだ。日が落ちてから、それほどの時間が経ったとは思えない。
 往人は周りを見まわした。

 おかしい。
 通行人の姿が、全く、無い。

「…さっきの柚木って奴の仕業か…?」
 街の自警団がどういった能力を持っていたかは知らないが、晴子によって彼らは再起不能。
 他に範囲が街一つに及ぶ程の強力な異能者がいるとは考え難い。それも、街の人だけを消し去るという特異な形で。
「柚木ぃっ! 出て来いっ!」
 左手に人形を握り締めて、叫ぶ。
「はいはいっ、気が変わった?」
 何事もなかったかのように笑顔で現れる詩子。
 そういえば、と思う。往人は初めて詩子を見た。
 年齢は自分よりも下。観鈴や佳乃、美凪と同じくらいか。声や口調の印象と同じく、やはり悪人には見えなかった。
「そうじゃない。これは、お前がやったのか?」
「どういうこと?」
 詩子は周りを見て、少し驚いたように言った。
「わっ、誰もいないねえ」
 軽い口調だった。
 「楽しんでるだろう、お前は」と言いたくなるのを我慢して、往人は質問を続けた。
「…お前がやったんじゃ、ないのか?」
「私、そんなことできないし」
 推測は間違ったらしい。往人は再び考え直すことにした。
 可能性として、夜の町に繰出さないことが街のルールであるか、異能者の仕業であること。
 どうも前者としては考え難いし、後者にしてもどういった能力であるのかが解らない。
「…誰かの異能力だったとするなら、俺たち以外の全員が捕らえられたのか?」
 詩子は答えない。彼女も、この状況を測り兼ねているようだった。
 近くの飲食店らしいところにも、人の姿は見えない。
 ならば、観鈴たちが泊まっている宿は…。
 往人は走り出した。詩子が後で何か言っていたが、往人にはどうだって良いことだった。

 誰もいないロビーを抜けて、
「観鈴っ! 晴子っ!」
 誰もいない廊下を走り抜けて、
「佳乃っ! 聖っ!」
 誰もいない階段を駆け上って、
「美凪っ!」


「…はい」


 一拍遅れて、美凪が部屋から顔を出した。
「…」

 間。

「…変質者さん?」
「誰がだっ!」
「…冗談」

「誰も、いませんね…」
「ああ、もしかしたら異能者がいるかもしれない」
 と言うより、それ以外に考えられる原因もないのだが。

「そうだ、観鈴の部屋に羽根はあるか?」
 今思いつく上で、唯一にして最大の手掛かりである。
 観鈴の現状が解れば、打破できる手段も解るかもしれない。
 そうして、美凪を先頭に観鈴の部屋へと足を向けた。



「無駄、だよ…」



 不意に背後から聞こえた声。
 往人は振り返る。灯っていたはずの明かりは消え、背後には闇が広がっていた。
 少しだけ、背筋がぞっとするのを感じる。光のない廊下は突き当たりすら見えなく、どこまでも黒で吸い込まれてしまいそうだ。
 空気が冷たく感じる。きっと気のせいではないだろうと思いながら、服の上から腕を擦った。
「誰だっ!」
 闇の先からした声を睨みつけた。
「…国崎さん」
 睨みつけるのを制するように、往人の一歩前に美凪が進み出た。
 そして、前へと踏み出す。
 一歩、また一歩…。
 美凪が一歩進むごとに往人の周りの明かりも消え、もはや周りには闇しかない。
 どこまでも広がる黒。その中に、美凪の姿だけがはっきりと見える。
 それは、鮮やかな―――としか形容の仕方がなかった。見慣れている姿だと言うのに、黒という色はここまで印象を変えてしまうものなのだろうか。

 美凪が、歩みを止めてその場にしゃがんだ。
「………」
 彼女には、この黒の世界にも何かが見えるのだろうか。
 語りかけるように、じっと一点を見つめていた。
 答えが返ってくるはずが無いのに。


「…どうして」


 闇から、声が漏れた。
 先程の、ぞくりとする感覚はなかったが、同じ声だった。
 黒い世界に、音も、光も無いのに亀裂が入ったのが解った。
 そして、同時に理解する。

 捕らえられたのは、観鈴たちや街の住人ではない。むしろ逆、往人と美凪であることに。

「…柚木は、たぶん巻き込まれただけだったんだろうな…」
 どこからともなく現れ、そして消えていった彼女のことだ。異能力もそういった類のものだろう。
 だからこそ、最初は疑ったのかもしれない。
「そういえば、あいつ逃げられたのか…?」
 やはり得体が知れないとはいえ、連れてくるべきだっただろうか。
 往人は軽く首を振り、
「ま、入ってこられたんだから出られるだろ」
 そう思うことにした。


 美凪の見詰める先に、小さな影が見えた。
 それは幼い少女と言った風体。
「…どうして…」
 何が「どうして」なのか往人には解らなかった。それ以前に、なぜ自分たちが捕らえられたのかも知らない。はっきり言って、解らないことだらけだ。

「…あなたは、私と同じ」
 美凪が、ゆっくりと言った。
「ほら…」
 小瓶を、少女に見せる。中の砂は、光を反射している訳でもないのにきらきらと輝いた。
 それは、思い出の品。

 もっとも、大切'だった'人との。

「おい、それって…、つまり…」
 往人は、言葉に詰まった。
 もしも、美凪の言う通りだとしたら…、
「…大切な人と、離れ離れなんでしょう?」
 淡々と。
 少女は少し間を置くと、小さく頷いた。
「それで、なんで俺たちをこんな所に連れてきたんだ?」
 往人の問いに、少女は肩をびくっと震わせる。
 この質問はタブーなのか? すこしだけ舌打ちでもしたくなったが、現状を悪くするという可能性も考え止めておく。

「…お姉ちゃんを、…っく、たすけて…」
 少女はそう言った。絞り出したかのような、涙混じりの声だった。
「もう…いいから」
 少女の肩に手を置いて、
「お姉ちゃんは、この世界にいるの?」
 ゆっくりと話しかける。少女は小さく首を振った。
「そと」
「じゃあ、ここから出してくれるか?」
 今度の往人の問いには、普通に頷いた。
 普段に観鈴たちによく言われる通りに、目つきが悪いのが祟っただけだったらしい。少女も、慣れてくれたようだ。

 すーっと、頭上の闇に白い『線』が走った。そして、少しずつその『線』が太くなっていく。
 いや、違う。往人は眼を細めた。出口が、開いていくんだ。
 『線』に見えた裂け目が、完全に口を開けた。辺りはもう、無人の街とも黒の世界とも全くの別世界の真っ白な光が刺し続く世界。
 光はどんどん強くなっていくのに、眩しいとは感じなかった。
 ふと気付く。足場すら、無くなっている。
 出口に向かって、上昇している。

 次に気が付いたとき、往人はあの荷台の前にいた。
 右手には、おひねりの溜まった缶を握りっぱなしだった。
 往人は苦笑した。自分はまるで守銭奴だなと。
 美凪の姿が見えない。彼女は彼女で宿の方に戻ったのだろうか。
 どちらにせよ、おひねりを届けることもあって宿には行かねばならない。往人は再び宿へと向かった。

 昼間や黒の世界では気付かなかったが、街灯などの設備もあって明かりを灯す必要は無かった。
 すれ違う人々の会話が耳に入るのが、何故かほっとさせた。
 さっきは誰もいなかった飲食店には、家族や恋人たちが談笑している。
 間違いなく、ここは昼間に異能サーカス団AIRが芸を見せた街だった。

「美凪ーっ」
 ドンドン、やや強めにノックをして呼びかける。

 一拍遅れて、美凪が部屋から顔を出した。
「…」

 間。

「…変質者さん?」
「誰がだっ!」
「…冗談」

 何やら進歩のない二人だった。

 そして、眼が合うとどちらともなく笑い出す。
 ひとしきり、笑い終わると、
「それじゃあ、行くか」
 何処へ、とは言わない。
 解りきってることだから。
 大切な人と離れ離れになっているという少女のところへと。
 何処にいるかは知らない。
 それでも、なんとなく解るような気がした。
 だから…、
「はい…っ」
 美凪は、微笑みを浮かべて頷いた。


 小さな掌の中にある、まっくろい硝子球。
 中に広がるのは、街。
 外からは見えないけれど、わたしだけは知っている。
 わたしのつくった街。
 お姉ちゃんとわたしのいた街。

 少女は何か考えるかのように硝子球をみつめる。
「…来た、ね」
 そして誰に言うでもないのに呟き、背にした大樹に軽く体重をかけ、頭上の枝を見上げた。


 少女の足を、なにやらぽむと叩く背の低い何か。
 足元に目をやると、掌大の人形が手を振っていた。
「よう、家には帰らないのか?」
 視線を上げると、往人が決して良いとは言い難い目つきを、最大限に常人の笑顔のそれに近付けようと努力している顔が見えた。
 逆に不気味だった。
 だから少女は、それを見て思わず吹き出す。
「……おいおい…」
 苦笑して頭を掻く往人。
 美凪が、黒の世界でそうしたように少女の肩に手を置いた。
「やっと笑ってくれましたね…」


「…で、色々と訊きたいことがあるんだが、答えてくれるな?」
 往人にできる範囲の優しい口調の言葉に、少女は小さく頷いた。

 少女の名前は、志野まいか。姉の名は、さいかと言うこと。
 姉妹揃って異能者として生まれたこと。
 しかし、さいか自身は自分の異能力を絶対に使おうとはしなかったこと。

 しかし、生まれ育った街は異能者に対して冷たい。
 例え幼い子供であっても、それは例外ではなかった。
 まいかには、友達と呼べる人間は存在しなかった。

「でもね…、わたしたちは…、しあわせだったんだよ…」

 いつも記憶の中には姉の笑顔があったから。
 小さいけれど、優しい幸せが、確かにそこにあった。


「やっぱり…、あなたは私と一緒です」
 肩に手を置いた状態から、腕を首へと回して、優しく抱きしめる。
 かつて自分のいた凍った時間、その中にいる少女に、温もりが伝わるようにと。


 だが、小さすぎる幸せさえも踏みにじられた。
 『異能者狩り』である。
 ONEより数名の異能者が、少し距離の離れた街にまで派遣されたらしかった。
 放っておけば自分らのいる街にも現れるかもしれない。
 異能者である自分らは、助かる可能性が無いでもない。しかし、街の人々は?
 確かに自分たちには冷たかったかもしれないが、「本当に悪い人たちなどではない」と姉は言っていた。

「お姉ちゃんは、言ったの」

 『わたしが良いというまで、隠れていて』と。
 最初は言葉通りにした。
 幸いなことに、まいかには絶対的な安全圏があった。

 いつまで経っても待っていた笑顔は現れなかった。
 何日待ったことだろうか。
 もしかしたら、知らないうちに外の世界では十年くらい経ってるのではないだろうか。

 そして、ついに孤独に耐えきれなくなったまいかは、そっと黒い硝子球の外に出た。
 視界が明るかった。どうやら、外は昼だったようだ。
 外に出たまいかは、隠れる前には無かったものがあることに驚かされた。

 そこにあったのは、『大樹』だった。

 久しぶりに浴びた太陽の光を無数に別れた枝が和らげ、光を受けた葉は翡翠色に煌いていた。
 まいかは、息をするのさえ忘れた。最初は、その大きさにただ見とれた。
 こんなこと、あり得る訳ない。次にそう思った。
 硝子球は樹の根に挟まれていた。まるで、どこかへ転がってしまわないための抑えのように。
「お姉…ちゃん?」
 幹に触れた。
 それは、どこか暖かくて普通の樹と違っていた。
「…お姉ちゃんなんでしょ?」
 答えは無かった。


「それから、ずっと…」
 背中の大樹に、小さな掌を当てながら…
「わたしは、ここにいるの。お姉ちゃんを助けてくれる人を、まってるの」
「そうか…」
 往人が数歩出て、樹に掌をかざす。
 『法術』の一端。思考を読み取る能力。
 往人は人形を操る以外の能力は滅多に使うことがない。『封印している』と言っても過言ではないほどに。
「…なるほど、な。確かにお前の思う通り、この樹は'さいか'だな」
 まいかの顔が明るくなる。しかし、往人は首を振った。

 本人であることを確かめられても、元に戻すことはできない、と。
「これがさいかの異能力なんだ。しかも、ただ樹になってるだけじゃない。
 自分の身体を樹にして、広範囲に渡って'場'を創っているんだ。言うなれば、意思を持った精神バリアだな」
「…なんとか、ならないの?」
 再び往人は首を振る。
 AIRの中に、そういった異能力を持った人間はいない。
 さらに、彼女が自分の意思で樹と化しているのであるのだから、元に戻す意味があるのかも解らない。

「でもな。心はここにある」
 往人の空いたほうの掌が、ぼんやりと光る。
「美凪、『無限の水球(ドリームシアター)』は今できるか?」
 美凪は頷き、大きくシャボン玉を一つ膨らませた。
 そして往人が、膨らませたシャボン玉の方に掌の光をかざすと…、

「お姉ちゃんっ!」

 '志野さいか'の映像<シルエット>が、『無限の水球(ドリームシアター)』に映し出された。




「ごめんなさい。お兄さんたちを巻き込んで…」
 申し訳なさそうにまいかが頭を下げた。
 それを見て、
「笑ってください」
 珍しく有無を言わさぬ口調の美凪。
 彼女は知っているから。
 残された者に対して、残す者が抱く願いを。

「ずっとずっと笑い続けて…」

 美凪の言葉に…、
「…うんっ」
 まいかは、大きく頷いた。


「…これで良いんですよね? …みちる」


「まぁ、今回みたいに脅迫まがいのことをやられても嫌だがな」
 今回の一件の始めは、『閉じ込められて、出してやるから姉を助けろ』と言われたのである。
 「子供だから」と言う理由で流せる内容ではない。

「それにしても、良い話だったねぇっ…」

「まぁ、そうだな。…って、柚木!? …いつ現れやがった」
「え? そんなことよりONEに乗り込むつもりなんでしょ?」
 悔しいが図星だった。
 話を全て知っているらしいから、この判断は当然のものかもしれないが。

「ちょうど良かったよ。会って欲しかった人もONEの人だから」