異能者

<外伝>

−2人の剣士−


 

 

 

「というわけで、お前に行ってもらいたいんだ七瀬」

「いきなり呼び出されて、それだけで通じるかっ!」

 

 部屋に七瀬の怒声が響きわたる。

 七瀬が怒るのはいつものことではあるが、その大抵の原因は浩平のほうにあり、今回も決してその例に漏れるものではなかった。

 突然の呼び出しをうけたあげく、浩平から発せられたのが先の一言だけでは、さすがに七瀬といえども状況を把握しようがないのだった。

 

「おいおい、察しが悪いぞ七瀬」

「理由から言え、理由から」

 

 当然の質問をする七瀬。

 どう察しがよくてもあの一言で理解を求めるのには無理があるだろう。

 

 無茶な浩平の言動に思わず『剣の暴君(ソード・タイラント)』を発動しかけるが、さすがに思いとどまって説明を求める。

 

「で、結局なんなの?」

「うむ、それなんだが………」

「さっさと話しなさい」

「つまり、支部が何者かに壊滅させられてな」

「へえ………って、それって結構、重大な話なんじゃないの?」

 

 その言葉は、『昼食でも食べに行くか』という位の簡単な口調で告げられたので、七瀬は驚きが遅れてしまったが、浩平の言葉の内容は割と深刻である。

 ONEは組織を有機的に運用するために各地に支部を持っているが、そのうちの一つが何者かによって壊滅させられたというのだ。

 それが大規模なレジスタンスの活動を意味するのならば、ONEとしても相応の対応を取らねばならないだろう。放っておくと調子づかせてしまうし、なにより他への示しにならない。

 

 驚きを顔に表し始めた七瀬に、浩平が言葉を続ける。

 

「いや、そんなに大した話じゃない。壊滅させられたといっても、やられたのはONEの派遣員だけで、組織運営上は問題ない。別に送ればいいだけだからな」

「………どこの支部なの? どちらにしても、実行犯を放っておく訳にはいかないでしょうけど」

 

 壊滅ではなく派遣員が殺されたというのならば、確かに話の重要度は極端に下がる。

 明らかなONE支配体制への反逆行為ではあるが、支部の組織に連絡して犯人を処罰する、それで事足りるはずだ。

 

 だがそれは末端の構成員の役割であり、七瀬のような側近に話すような内容ではない。

 疑問に思った七瀬を納得させたのは、次の浩平の一言だった。

 

「第十七区の支部だ」

「………あそこは確か、割と強い異能者が派遣されてたわね」

 

 普通ならば大した事件ではないはずだが、銃で撃たれても効かない異能者、特に精神バリアを張れる程度の異能者が殺されたとあっては、また話は変ってくる。

 それはつまり犯人も優秀な異能者であり、それも敵対行動を取っているということを意味する。あまり愉快な状況とは言えないし、末端の者の手に余る。

 

「そう………へぇ、あそこの異能者、殺されたのね」

 

 本来ならば同胞を殺された怒りを隠さないだろう七瀬の、しかしこの時の口調には、どこか冷めた色があった。

 

「まあ自業自得かもしれんな。あそこの異能者は権力を振りかざしてやりたい放題だったらしいし、近々粛清するつもりだったからな」

「そうね」

 

 七瀬が間髪いれずに同調する。その派遣員のことを思い出して、七瀬は唾棄したくなる気分になっていた。

 

 浩平を慕う異能者達の中にも、腐ったリンゴはわずかながら存在する。

 全体としては問題にならない数ではあるが、組織機構に食いつき甘い汁を吸おうとする寄生虫は確かにいるのだ。この場合、十七区の派遣員がそうであった。

 十七区の派遣員は横領、略奪に類する行為を頻繁に行っていることが発覚しており、それを浩平が看過しておくはずもなく、近々粛清の対象となっていた。

 

「だが、その前に勝手に死んだということだ。この場合犯人にも言い分がありそうだし、何より異能者だ。味方は多い方がいいだろう?」

「………なるほどね」

 

 この時点で七瀬は浩平の意図を悟った。

 現在のONEは圧倒的に人材不足の状況であり、優秀な異能者は何にもまして率先して求められる。

 今回の場合、できれば犯人に仲間に加わってもらいたいほどであり、浩平は説得が可能ならば勧誘するつもりだった。殺害の事情についても、酌量の余地が多分にありそうでもある。

 だが相手は強力な異能者の可能性が高く、ONEに敵対している可能性も同様に高い。普通の人物を審問に向かわせると、返り討ちになる可能性もあるわけだ。

 

 そこでこういった相手への勧誘の任務は、大抵が七瀬の役割となっていた。

 理由はわかりやすく、七瀬なら負けないだろうということに尽きるのだが。

 

「というわけで、お前に行ってもらいたいんだ七瀬」

「まあ、わかったわ………そういうことなら」

「うむ、血が騒ぐだろう? それでこそ『狂戦士』だ」

「………折原、ここでその異名を発揮してあげましょうか?」

 

 にこやかに微笑みながらの七瀬の言葉に、浩平の背筋に冷たい滝が形成される。そもそも初めから刺激しなければいいのだが、『狂戦士』の異名を七瀬が嫌うことを知っているのに、ついからかってしまうのが浩平なのだろう。

 

 普段ならばここから七瀬の攻撃が始まるのだが、どうやら七瀬の意識は既に、見知らぬ敵へと向いているらしい。

 このあたりの性格が『狂戦士』たる所以だと浩平は思うのだが、口に出しては言わなかった。溜めなしで『剣の暴君(ソード・タイラント)』を乱発された日には、命がいくつあっても足りない。

 

「じゃあ、任せるぞ七瀬」

「うん、行ってくるわね」

 

 部屋を出る七瀬を見送ると、嵐が去った、とのんきに一人呟く浩平。

『剣聖』と『狂戦士』の出会いの、これが始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 

「あははー、留美さん、どんどん食べて下さいねー」

「はぁ………」

「………食べないの?」

「頂くわ………」

 

 七瀬の十七区への旅は、無意味に足止めを食らっていた。

 一刻も早く現地に着いて調査を開始したい。

 そう考えている七瀬はしかし、何故か旅先で出会った妙な2人組みと、食事を共にしているのだった。

 

 この2人との出会いはどんなだっただろう?

 七瀬はその時のことを思い出してみる。

 簡単だ。

 七瀬は飢えた犬がいたので、気まぐれに餌をあげてみたのだ。

 この時分の犬は警戒心が強く、餌をあげたとしても普通懐かない。

 この場合も犬は懐かなかった。

 懐いたのはなんと、人間のほうだったのだ。

 

 そのシーンを偶然見ていたその2人組みが、主に佐祐理という少女の方が七瀬をいたく気に入ってしまったようで、食事に誘われて御相伴にあずかっているという次第だった。

 大地に引かれたシートに腰を落ち着け、弁当箱を箸でつつく。

 なんとも間抜けな気のする七瀬ではあるが、まあたまにはいいかもしれなかった。

 

「どうですかー、今回のは結構よく出来たと佐祐理は思ってるんですよー」

「………おいしい?」

「ええ、まあ、すごく………」

「あははー、実は自信作だったんですよ、今回は」

「………佐祐理の料理は、いつもおいしいから」

「確かに、これは本当においしいわね」

 

 食事はお世辞抜きでおいしかった。

 配色も色とりどりに美しく、味付けや食感も見事なものだ。

 なんでも作ったのは佐祐理らしい。

 最近では調味料の類も手に入りにくくなっているのに、ありあわせの材料でここまでのものを作れる腕に驚嘆する。手の中の箸も、実によく進んだ。

 

「………」

「あ、舞はそのウインナーが欲しいそうです」

「あ、これ? はい」

「………(パクリ)」

「留美さん、これなんか特にお勧めですよー」

「うん、おいしいわ」

「………」

「あ、舞は今度は、その卵焼きが欲しいそうですー」

「はい、舞」

「………(パクリ)」

 

 七瀬にひたすら料理を薦める佐祐理と、ただひたすら黙々と料理を食べる舞。

 七瀬に舞の意図を解説する佐祐理と、それにそって料理を舞に渡す七瀬。

 やはりそれは間抜に思えた。

 だが少なくとも本人達は楽しそうなので、七瀬もとりあえずはこの雰囲気を楽しむことにしたのだった。

 

「留美さんはこれから、どちらへいらっしゃるんですか?」

「ああ、あっちに街があるでしょ。なんか事件があったみたいだから、行ってみようと思って」

 

 七瀬は目的の方角を指差しながら、そう答える。

 目的までは言う必要がないと思ったのだが、この時の佐祐理の顔が瞬間わずかにこわばったのを、七瀬は見逃さなかった。

 

「………あそこは、行かない方がいいですよ」

「へえ、どうして?」

 

 七瀬はこの2人の正体にうすうす気づきはじめていた。

 そもそも先ほどからの2人の居作には隙がなさ過ぎる。

 特に舞といった少女のほうは真剣を腰に下げ、その動作の端々から実力のほどが窺い知れた。間違いなく只者ではない。

 そして恐らくはこの2人も、似たような印象を七瀬から受けているはずだった。

 

「この前にあった事件で、その………ONEの派遣員の人が殺されてしまいましたから。ちょっと混乱状態にあって、今は治安もあんまりよくないんです」

「で、あなたたち2人がその犯人って訳ね」

 

 意地が悪いかなと思いつつも、七瀬は単刀直入に切り出す。

 

「………」

 

 無言の肯定を告げる2人に、七瀬は続く言葉をかける。

 

「しかも私は実はONEの側近で、その事件を調べに行くところだった、と」

「………!」

「………ONEの刺客」

 

 七瀬のその言葉に佐祐理は顔色で過剰に反応し、舞は傍らにあった剣を手にかける。

 

「ああ、待って! いまあなた達と争う気はないから」

 

 七瀬が制止の声をあげる。

 その言葉に警戒は解かないものの、距離を置きつつ2人は話を聞く気になっているようではあった。七瀬は用件を告げる。

 

「どう、事情を話してみないかしら? 極端にあなたたちに非がなければ問題ないし、罪を鳴らしたりはしないわよ」

「………わかりました。説明はしてみますね」

「………佐祐理、お願い」

 

 佐祐理の語った事情は、次のようなものだった。

 ONEの派遣員が街を歩いていた佐祐理と舞の美貌に目をつけ、権力に任せて強引に狼藉を働こうとした。それに対して舞が剣で報いた、と。

 

「………なるほどね、じゃあしょうがないわね」

「え、あの、この話を信用なさるんですか?」

 

 佐祐理が驚きを交えた顔で問い返してくる。

 確かにいきなりそんな説明を受けても、普通は言い逃れと取る場合が多いのかもしれなかった。

 佐祐理と舞にしても、そのまま信じてもらえるとは思っていなかったのだろう。

 

「ああ、いいのいいの。どうせそんな所だろうと思ってたし」

「はえ〜」

「………適当」

 

 七瀬の投げやりな言いぐさに、2人は困惑を隠せないでいた。どうやら彼女は、舞と佐祐理の断罪をしに来たのではないらしい。

 それではそもそも、七瀬は何をしにあの街へ向かうつもりだったのか。

 

「それより、こっちの話がメインなんだけど」

「はい?」

「………何?」

 

 七瀬にしてみれば事件の真相など知ったことではなく、佐祐理の話もありそうなものに思えたので瞬時に興味は失せた。それより、彼女にはもっと優先する用件があったのだ。

 

「ONEの下で働かない? 強い異能者はいつでも最大に歓迎されるわよ」

「………舞」

「嫌」

「え、いや、もうちょっと考えてくれると嬉しいかも………」

「嫌」

 

 すげなく答える舞。なんともそっけない答えに、さすがの七瀬も少し拍子抜けする。

 

「さ、佐祐理はどうかな?」

「佐祐理は舞と、一心同体ですからー」

 

 つまり、拒否ということだ。

 説得の不可能を悟った七瀬は、別方面から切り出すことにした。

 

「じゃあ、私があなた達と戦って、勝ったらってのはどうかしら?」

「………」

「どのみち実は戦うつもりだったのよね。あそこの異能者は嫌な奴だったけど、弱くはなかった。それに勝った貴方達に、興味があるわけよ」

「………どうしても、ですか?」

「別に派遣員殺しの罪を糾弾して、あなたたちと戦ってもいいんだけど………正直が好きなのよね、私は」

「………」

 

 この言葉を聞いた時点で、佐祐理と舞は説得の不可能を理解した。

 彼女の行動を決定しているのが条理ではなく、剣士としての心の声であることを悟ったからである。

 不敵に笑う七瀬を見て、舞が先に反応する。

 

「私がやる」

「舞!」

「私は佐祐理より強いから………それと、手出しは無用」

「でも………」

「私も、戦ってみたい」

 

 その言葉に、佐祐理は続く言葉を飲み込む。

 舞も七瀬の言葉に、剣士としての欲望を押さえられなかったようだった。

 剣を鞘から抜き、佐祐理を下がらせる。

 

「………へぇ」

「………」

 

 剣を抜いた瞬間に、相手の力量を肌で感じ取っていた。

 気を抜いて勝てる相手ではない。互いの認識は、その1点において完全に共通していたのだった。

 

「………負けたら約束どうり、ONEの下についてもいい。でも、あなたが負けたら何をくれるの?」

「………何でも一つ、言うことを聞いてあげるわ!」

 

 2人の戦いの、それが始まりだった。

 

 

 

 

 

 ギィン!

 

 剣の奏でる鈍い音楽が、不定のリズムで鳴り響く。

 必殺の斬撃を互いが繰り出し、紙一重でかわし、受け流しているのだ。

 

「速いわね………」

 

 舞の動きに七瀬が驚嘆の声をあげる。

 その踏み込みの鋭さ、剣戟のスピード、どれを取っても彼女の今まで経験してきた水準を凌駕している。確かに十分に賞賛に値するものではあった。

 

 だがまだ七瀬は、それが舞の全力であると誤認していたのだ。

 

「次は………もっと速い!」

「なっ!」

 

 その言葉だけを残して、信じられない現象が起こった。

 舞の姿が、消えたのだ。

 戦いの渦中、七瀬の人間離れした動体視力を持ってさえ、動きが見えなかった。

 側面からの殺気を感じ取り、かろうじて剣を合わせる。

 

 ギィン!

 

 白刃が火花を散らし、再び剣戟の応酬が始まった。防ぐのがやっとの七瀬は、不本意ながら守勢に回される。

 

「異能力ね………」

「………『神歩行(ブリンク・スルー)』」

 

 意識せず使っている異能力の名を、舞が口にする。

 

 脅威の高速移動。

 発動までにほとんど時間を必要とせず、瞬時に相手との間合いを詰め、死への扉を開ける。

 

 攻撃に要する距離をゼロにできるその能力は、向き合う全ての者にとって脅威であった。

 彼女でなければ先の一瞬に、まず再起不能の一撃を叩き込まれていただろう。

 

 相手に絶対の恐怖を与えるその異能力、だが七瀬はその事実に狼狽するでもなく、薄笑いを浮かべながら舌を湿した。

 

「………今度は、こっちの番ね!」

 

 舞の剣戟の狭間、わずかな空白の時間を見切って、今度は七瀬が異能力を高める。

 本能的に危機を悟った舞が、とっさに異能力を発動して横に跳躍した。

 

「『剣の暴君(ソード・タイラント)』!!」

 

 目視不能の衝撃波が、半瞬前まで舞の立っていた地点を通過する。

 地面をえぐりながら突き進んだそれは、進行方向にあった樹木群をことごとくなぎ倒した。

 立ち込める粉塵の遥か右方で、舞が姿を現す。

 

「舞!」

「大丈夫………」

 

 かろうじて直撃を避けた舞も、わずかながら手傷を負っていた。

 舞の神速をもってしても、七瀬の異能力を完全に避け得なかったのだ。

 不安げな佐祐理の声に答えながらも、意識は一瞬たりとも七瀬から逸らしていない。

 

「あれを、あの距離とタイミングでかわすなんてね………」

「お互い様」

 

 再び向き合う2人、だが互いの能力と技量を把握したため、かえって踏み込めなくなっていた。

 戦いへの、相手の力量への恐怖が、前進を許さないのだ。

 2人は互いに攻めあぐね、手を出しかねているかのように見え、確かに実際そうであった。

 しかし2人は膠着状態となりながらも、心の内からの欲求が激しく主張を繰り広げていたのだ。

 

 それは、戦士としての欲求。

 強敵を求め、相手を知り、同時に自分をも深く知りたいという欲望。

 この心の声が恐怖を上回ったとき、再び彼女達の戦いは開始された。

 

「はぁっ!」

 

 異能力を全開にし、風と化した舞が七瀬へと迫る。

 

「『剣の暴君(ソード・タイラント)』!!」

 

 正面へと放たれた衝撃波を横っ飛びにかわし、再び七瀬へと肉薄する舞。

 続けて衝撃波を放つためのわずかのタイムラグに、舞はぎりぎりで割り込んだ。

 

 ギィン!

 

 再び剣戟の応酬が始まる。

 力では七瀬が、速さでは舞がそれぞれ制していた。

 

 異能力を溜めるわずかな隙も許さず、舞の手数が七瀬を圧倒する。

 舞の剣戟を力で強引に弾き飛ばし、異能力を放つ機をうかがう七瀬。

 2人の技の応酬は極めてきわどい均衡を保っており、ほんのわずかのミスや集中力の外れが、勝敗に直結することは明らかだった。

 

 きっかけは、何だったのだろうか?

 

 舞の剣を弾き飛ばそうとした七瀬の斬撃を、強引に剣筋を曲げて舞が外す。

 慣性のついた剣に引っ張られ、わずかながら七瀬がバランスを崩した。

 

「くっ!」

「これで………終わり!」

 

 舞も剣の軌道を曲げたことで態勢を崩していたが、わずかながら舞の方が、剣が届くのが速い………そう思われた。

 

「おおっ!」

 

 だが舞の想像していたよりも遥かに速い速度で、脅威の腕力によって剣の慣性を封じると、七瀬は全力で舞の剣を打ち防ごうとした。

 

(………よし!)

 

 七瀬はぎりぎりで舞の攻撃を防いだのだ。

 剣を弾かれた舞はそれに流され、七瀬も態勢を立て直す時間を与えられる。勝負はまだつかない、しきり直しだ。

 

 そう、そうなる………はずだった!

 

 バキン!

 

「なっ!」

「………!」

 

 唐突に、それは起こった。

 七瀬の全力を込めた一撃をうけ、舞もろとも間合いから遠ざけるはずの剣が、舞の剣が、その衝撃を吸収し、二つに折れたのだ。

 その予想外の力の流れに、今度こそ七瀬は、取り返しのつかないほどバランスを崩す。

 そして、その隙を舞は逃さなかった。

 

「はあっ!」

 

 舞の回し蹴りが七瀬の側頭部に命中した。

 しなやかで強靭な、激しい異能力を込めた舞の一撃。

 

 もはや避けようもなかった。

 完全な無防備でそれを受けた七瀬の意識は、そこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

「舞、大丈夫?」

 

 佐祐理はいまだ立ち続ける舞に、いまだどこか呆然としたおもむきを見せる親友に、声をかけた。

 立ちすくむ舞の視線は虚ろであり、絶望に染まっていた。

 捨てられた子犬のような目をしていた。

 

「………佐祐理、私は負けた」

 

「え、でも舞は………」

「違う、私は………」

 

 舞は、わかっていた。

 

 自分が今立っているのが、この剣のおかげであることを。

 根元から折れた、持ち主を守るために犠牲となった、この剣のおかげであることを。

 

「もし、この剣が………」

 

 もしあの時、この剣が折れなかったらどうなっていただろう?

 恐らく戦いはいまだ続いていただろう。そしてあるいは集中力の切れ目を突かれ、あの衝撃波を至近から食らっていたかも知れなかった。

 今立っているのは、舞ではなかったかもしれなかった。

 

 何より剣は舞の魂そのものであり、それを折られてしまったということは、剣を殺されてしまったということは、その時点で舞にとって敗北であったのだ。

 

「………」

 

 佐祐理は、何も言わなかった。

 言ったとしてもこの親友は、舞は、決して納得はしないだろうから。

 言葉で伝わらないことは、きっととても多い。佐祐理はこの親友と会ってから、その言葉を言う資格を得るほどには、舞に対して言葉を投げかけてきたのだから。

 

「ご飯、用意するね。留美さんが起きた時のために」

「………お願い」

 

 だから、2人がかわした言葉は、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あいつつつ………ここは?」

 

 目がさめたとき七瀬が感じたのは、香ばしい料理の匂いと頭に残る痛みだった。

 

「あははー、おはようございますー!」

「………おはよう」

「え、お、おはよう………」

 

 七瀬は目の前の二人を見まわしながら、五秒ほど考え込んだのだった。

 そして、不意に思い出した。

 

「………そっか」

 

 負けたのだ、この舞という少女に。

 剣では無敗であると思っていたが、とんだお笑い種だったのだ。

 結局自分はその程度の実力で、剣において誰よりも強いと思っていたのは、自惚れだったのだ。

 表現しがたいほど巨大な喪失感に襲われ、言葉を失っている七瀬に、舞が声をかける。

 

「留美、私は負けた。約束どうり、ONEの下で働こうと思う」

「………なっ!」

 

 その言葉は七瀬の神経を逆なでした。

 勝者が敗者に声をかけるなど、ましてそれが哀れみでもなく、冗談にしても許しがたいこのようなセリフだなど、七瀬には見過ごせるものではなかった。

 

「あんた! わたしをからかって………」

 

 血が上り逆上しかけた七瀬は、しかし、そのときの舞の顔を見て咄嗟に理解した。

 

「………舞」

 

 それは、敗者の表情だった。

 自分と同じ喪失感を伴った、勝負に負けた者の。

 

 そこにあったのは、鏡だった。

 七瀬自身の心境を表す、鏡だった。

 だから七瀬には、彼女が偽りを言っていないことを、理性でなく本能によって悟った。

 

「………なんでなの?」

「………剣を折られた」

 

 短く消え入りそうな声だったが、それで七瀬には通じた。

 

 そう、もしかしたら自分も、そう感じるのかも知れなかった。

 剣士の魂そのもの、剣士の命そのものである剣を折られたら、それは敗北であると。

 

 だが、同時に七瀬は思った。

 剣が持ち主を助けたいと思うほど、剣が自ら折れたいと思うほどに心を通わせれたということは、それで剣士としての十分な資質なのではないかと。

 

 自分はそこまで剣に信頼されていただろうか?

 それを思ったとき、彼女はやはり舞に負けたのだと思った。

 なにより、最後に立っていたのは舞ではないか。

 

「やっぱり、私の負けよ」

「違う、私の………」

「いや、私の………」

「………あのー、料理が冷めてしまうんですけど」

 

 2人の奇妙で真剣な譲り合いに終止符を打ったのは、佐祐理のその一言だった。

 お互いに顔を見合すと、さもしくなった腹の具合を思い出す。

 

「………ぷ」

「………はは」

「あの、ですから食事が………」

「あっはははははははは!」

「………ふふふ」

 

 豪快に笑う七瀬と、苦笑交じりに笑みを浮かべる舞。

 それを交互に見ながら佐祐理は、ひとり困惑する。

 

「もうっ、いいです! 1人で食べますよ、佐祐理は!」

「いや、ごめん佐祐理、食べるってば!」

「………私も食べる」

 

 とりあえず笑いを収めて、健啖ぶりを示す二人と、それを見て笑う佐祐理。

 すばらしい健闘をした2人に対する、その料理がささやかな報酬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう行ってしまうんですか?」

「ええ、もう用はないしね」

 

 ONEの下で働いてもいいという舞と佐祐理の申し出を、結局七瀬は辞退した。

 2人の望みがそこにないことはなんとなく分かったし、それに敗者が勝者に要求することは何もなかったからだ。

 

「でも、いずれまた会うわよ。今度こそ負けない、文句の付けようもない勝利で終わるわよ」

「………次は、私も負けないから」

 

 舞のその言葉に、七瀬も力強く頷く。

 2人はこの時、いつかもう一度戦う時の来ることを確信していた。

 それがどのような形であるかは、まだわからないけれど。

 

「ふふ………あ、そうそう、一つ言うことを聞いてあげる約束だったけど」

「いや、それは………」

「ここから三日ほど北に行ったところに、『魂の剣(イスケンデルベイ)』って名剣があるって噂よ。あんたの新しい相棒になってくれるかもね」

「………ありがとう」

「ホントは私が頂くつもりだったけど、まあ私にはこの剣で十分だしね」

「………ありがとう」

「あははー、次の行き先は、そこで決まりだね舞」

 

 これからのことを話し合う二人を見て、七瀬はなんとなく寂寥感に襲われた。

 別れたくないようにも思う。

 だが、自分には帰るべき場所があり、彼女達には行くべき場所がある。そのことを七瀬は知っていた。

 

「………じゃあお別れね。いずれ、再戦を」

「………いずれ、もう一度」

 

 七瀬の差し出した手を、舞が強く握り返す。

 それが約束を、再開を、そして再戦を記す、2人の間で交わされた儀式だった。

 

 彼女らの再戦は、どのような形で行われるのだろうか?

 この後、彼女達は異なる2組織に分かれて争うことになるが、それはまた別の物語。

 

 

 

 

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